「よぉし、一回静かにしろお前らー。これから色々と説明すっからなー。騒がしくしたら殴るぞー」
「ふふっ。だって、しゅー君。おっきい声出さないようにしなきゃね」
「……」
バスが動き出し、しばらく。高速道路に乗って外の景色がつまらなくなった頃、桜木先生が手を叩きながら立ち上がる。
無論、テンションマックスな奴ばかりだから、そう簡単に静かにはならなかったが。黙らないと現地での自由時間を無くすと脅された途端、一瞬にしてバスの中は静寂に包まれた。
「あの、三葉さん。先生の話、ちゃんと聞いた方がいいんじゃないでしょうか……」
「大丈夫。私がちゃんと左耳で聞いておくから。だからしゅー君は、両耳とも私の声を聞くのに集中して」
「っ……おま、その耳元で囁くのやめろって。くすぐったいから」
「しゅー君専用、彼女さんの生声ASMR♡」
集中するも何も。こんな、ゼロ距離で囁かれては、嫌でも他の音なんて聞き取れない。
三葉の顔が今にも触れそうな位置にある俺の左耳は、もはや彼女さんに堕とされてしまった。
何せ彼女さんのーーーー好きな人の囁きを生で味わえるASMRだ。聞くと身体に相当な負荷がかかるのを分かっていても、耳を傾けずにはいられない。
「あ、耳赤くなってきた。恥ずかしいの?」
「あたりまえ、だろ。恥ずかしくなるような台詞ばっかり吐かれてるんだからな……」
身体が芯から熱くなり、胸の鼓動がどんどん速くなっていくのを感じる。
俺は今、猛烈にドキドキしている。
して当然だ。こんな、何度も耳元でかっこいいだの好きだの言われ続けて。しかもその相手はSSS級の美少女ときた。男なら、むしろこうならない方がおかしいくらいだ。
「しゅー君の耳たぶ、柔らかそう。はむはむしていい?」
「はっ!? だ、だめに決まってんだろ!?」
「ふふっ、真っ赤っかになった。しゅー君、かわいい」
「〜〜っ!!」
これヤバい。本当にヤバい!!
コイツ、完全に遊んでやがる。身動き取れずに抵抗もできない俺と実質二人きりになったことで、みるみるうちにタガを外して俺に″自分を好きにさせる″ことに全力を出し始めた。
分かってやっているんだ。百二十パーセントの甘々な愛を囁くことも、たまにこうやって悪戯な笑みを見せることも。三葉の行動一つ一つが、全て俺を堕とすことに直結することを……。
事実。俺の身体は今、緊張で強張るフェーズを超え、その奥深くにある理性ごと溶かされそうになってしまっている。こんなのをあと一時間、いや、帰りも合わせて二時間以上も続けられてしまったら……もうどうなってしまうのか、俺にも全く想像がつかない。
駄目だ。やっぱりこのままじゃ。無駄かもしれないと薄々分かってはいるが……せめて、少しでも抵抗しなければ。
そうだ。話題だ。今は俺がまともに喋らず受け身にばかりなっているからずっと責められ続けているが、何か話題をこちらから振れば。このただASMRを繰り返される状況から脱出できるかもしれない。
話題……話題。あっ、そういえば。
「な、なぁ」
「なに? 横顔もかっこいい彼氏さん」
「っ……。い、いやぁ、な。ちょっと小腹空いてきたなぁと思って。ほら、お前お菓子持ってきてるって言ってただろ? 俺もあるから。食べないか?」
回らない頭を必死で回し、なんとか絞り出した話題は、お菓子のこと。
三葉が持ってきているのは知っていたからな。俺も家にあったポテチを持ってきておいた。それもコイツの大好きなのり塩味だ。
俺は今はもう感情を振り回されすぎたせいで完全に空腹感が消えてしまっているが、三葉は別なはず。元々俺よりも朝からしっかり食べる奴なこともあって、かなり久しぶりに朝ごはんなんて抜いたら昼まで持つはずがないのだ。
お菓子なんて少しの時間稼ぎにしかならないだろうが……今はそれでいい。ひとまず心を休ませるクールタイムが欲しいからな。
そして、そんな俺の思惑通り。こくん、と頷いた三葉は、その細いお腹周りに軽く手を当てて。呟くように言う。
「確かに……お腹、空いた」
よーしよしよし。流石にあの三葉さんでも空腹には勝てないだろう。
これで濃厚イチャイチャタイムは一時中断。ようやく心を休められそうだ。
「そういえば三葉は何持ってきたんだ? なんか甘い物って言ってたっけ?」
「ん。普段はこういうの買わないんだけど、見たらつい欲しくなって。ちょっと待ってね、今出すから」
甘い物、か。グミか何かだろうか。
塩っぽいものを持ってきた俺と、甘いものを持ってきた三葉。全くの正反対だが、むしろそれがいい。お菓子のシェアなんて同じような味のもの同士でしても仕方がないからな。
それに、俺は普段あまり甘いものを食べない。だから甘いお菓子と聞いて、実は少し楽しみにしてたり……な。
「私が買ってきたのは、これ」
「どれどれ? ……ん?」
「懐かしいでしょ? 食べるのは随分と久しぶり」
「お、おぉ……まあそう、だな」
「? どうかした?」
「へっ!? い、いや。なんでも」
すっ。俺たちの前の座席の後ろに付けられている折り畳みテーブルを引き出してその上に三葉が置いたそれはーーーー棒状の、国民的お菓子。
ま、まさかな? 考えすぎだよな、うん。このお菓子を見て俺の頭には真っ先に一つのゲームが浮かんだけど、まさかそんなベタな。周りの目が無いからって、いくらなんでもそんなことするわけ。
「しゅー君」
「……なんでしょう?」
「しよ。ポッチーゲーム」
あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっ……。