「しゅー、君……?」
突然の行動に、三葉は驚いた様子できょとんとした目で俺を見つめる。
それは、俺自身も理解できていない行動だった。
完全に無意識だ。考えがまとまるより先に、身体が動いてしまった。
(なんだよ、これ……)
三葉の身体が俺から離れた瞬間。俺の中で″何か″が一気に爆発的な感情として膨らんで、気づけば手を伸ばしていたように思う。
俺はそんなに今日のデートを終わらせることが嫌だったのだろうか。自分で思っていたよりもーーーーそれこそ、三葉以上に。
そんなはずがない、なんて。簡単に一蹴することはできなかった。
だって俺自身が無意識にしたこの行動こそが、何よりの証明だから。
「もしかしてしゅー君も、同じこと思ってくれてた?」
「っ……」
「そっか。嬉しい」
振り返り、優しく微笑む三葉を見て。少しずつ思考が身体に追いつき始める。
三葉はさっき、俺に対して「寂しい」と。そして「もっと一緒にいたい」と言った。
それらは全て、今。きっと、俺の身体を動かしていた原動力と同じ感情だ。
どうやら俺は不覚にも、まだ三葉と一緒にいたいと。離れたくない、と。そう思ってしまったらしい。それも、無意識に身体が動いてしまうほど強く。
全く身勝手な話だ。さっきは断っておいて、いざ自分も同じことを思った瞬間引き止めようとするなんて。
でもきっと、それだけ……
「あ。門限一分過ぎちゃった」
「……すまん」
「えへへ。このまま駆け落ちする?」
「さ、流石に駄目だろ」
「嫌、とは言わないんだ」
「……」
嫌なわけがない。
だって心の奥底では、このまま二人でこの場を離れたいーーーー手を引いて三葉を連れて駆け出したいと、そう思っているのだから。
ただ同時に、そんなことをしてはいけないことも重々理解している。
だから俺は……そっと、手を離したのだった。
「ねえしゅー君」
「なんだよ」
結局俺は、中途半端なことをしただけだ。
三葉からすれば″無駄な期待″をさせられただけ。そのうえ門限まで破らされて、怒ってもいいはずなのに。
俺をじっと見つめるその目には、怒りなんて感情はこれっぽっちも映っていなくて。むしろ心の底からの幸せが、さっきまで以上に大きなオーラとなって目どころか身体中に纏われているかのようだった。
そして、幸せ百二十パーセントの少し憎たらしくも思える悪戯な笑みを浮かべて。言う。
「無意識に身体が動いちゃうくらい、もっと一緒にいたいって思ってくれたの?」
「〜〜っ!? や、やめろその言い方!」
「ふふっ。また否定しなかった。へぇ……そっか。そっかぁ」
「ぐぬぬ……嬉しそうだなこの野郎」
「ん。だって好きな人がここまで想ってくれたんだもん。ようやく日頃の成果がしっかり形になって現れてくれたって感じがする」
「日頃の、成果……?」
「そう。日頃のーーーー絶え間ないアピールの成果♡」
「っ!?」
なんだよ、それ。
その言い方じゃまるで、俺が……
「これは案外″実る″日も近いかもしれない。いや、もしかしたらもう……」
「お、おまっ!? んなわけないだろ!? いくらなんでもそんな、早すぎるって!」
「んーん。むしろ遅いくらい。こんなに可愛くて強い幼なじみに言い寄られて、ここまで(仮)なんて関係でいれたことの方がおかしい」
「そんな、こと……」
ずっと、三葉のことはただの幼なじみだと思って日々を過ごしてきた。
物心つく前からずっと一緒で、小学校、中学校も。幼なじみという意味であれば他のどの友達よりも特別な存在であったことは間違いないが、それはあくまで友人関係の物差しで。
だからこそ、高校生にあがる直前の春休みに突然告白された時……どう答えればいいのか分からなくなった。
これまで十何年も一緒にいて、関係値を築いてきた間柄だからこそ。今好きな人がいないからとか、可愛いからとりあえずとか。そんな曖昧な理由でそれまでと関係性を一変させてしまうことが、怖かったんだ。
でも、いざ(仮)の恋人同士になって、きちんと三葉を異性として見た途端。″女子″としてのコイツの魅力に、数えきれないくらい気付かされて。
(俺は、三葉のことを……)
俺の心を覗き込むように真っ直ぐ視線を向ける三葉の笑みに取り憑かれた瞬間。今朝の記憶が脳内でフラッシュバックする。
『ずっとずっと、優しくて。辛い時もそばに居てくれた。多分そういう日常の積み重ねが、しゅー君を好きにさせたんだと思う』
『つまり好きになったきっかけは、″優しさ″ってことか?』
『ん。少なくともそれがかなり大きな要因なのは、間違いない』
『? なんか含みのある言い方だな』
『積み重ねだけが、恋愛じゃないってこと』
『……すまん。どういう意味だ?』
それは、星空コーヒーでの会話の記憶。
俺は三葉に″好きになったきっかけ″を問いかけた。
きっと俺は今、この瞬間も。きっかけを探している。
俺は意気地無しの臆病者だから。この感情に″理由″を付けたくてたまらない。一度自覚してしまったら更に大きく俺たちの関係性を変えてしまうこれに明確なきっかけを付け加えて、自信を持ちたいんだ。
でも……きっとそれは、俺たちにとってはとても難しい。
三葉はとうの昔に気づいていた。そして気づいた上で自分の中に一つの″結論″を出し、好きを確信に変えた。
『ふふっ。恋愛初心者のしゅー君に、私から一つアドバイスをあげる』
幼なじみは負けフラグ、なんて言葉もあるくらいに、この関係性はとても厄介で。なまじ一緒にいた期間が長いからこそ、恋愛感情を抱くのが難しくなっていく。
きっとそれは俺のように″きっかけ″を探してしまうからなのだろう。それが無いとどこかふとしたタイミングで自分の感情に自信が持てなくなる日が来るんじゃないかと、不安になってしまうから。
しかしどうやら……恋愛というやつは複雑で、それでいて思っていた以上に単純なものらしい。
何かの積み重ねと、あと一つ。
『人を好きになる瞬間は、突然やってくるから。覚悟しておいてね……しゅー君♡』
(まさか、当日のうちに理解させられるなんてな……)
きっかけの有無は関係無い。
今、この胸の中にある確かに自覚させられた感情の名をーーーー恋と。そう呼ぶのだろう。