ピッ。改札にICカードを当てると機械音が鳴り、ゲートが開く。
「……よし。知り合いはいないな」
時間が時間だ。外もすっかり真っ暗になった午後九時前にクラスメイトとばったり会うことなどそう無いと分かってはいつつも。念のため周りを見渡し、慎重に駅を出る。
俺たちの家まではここから徒歩で約十五分。その間、誰にも出くわさなければいいのだが。
「? なんでそんなの心配してるの?」
「なんでってそりゃお前。今見られたらデート帰りって丸分かりだからに決まってんだろ」
「……それになんの問題があるの?」
「俺の命に関わる」
「え゛っ」
ただでさえ今、クラスの男子連中の俺に対する当たりは強い。
なにせ俺はクラス一の美少女と交際しているだけじゃ飽き足らず、あんなイチャイチャバカップルみたいな宣言までかましてしまったのだ。そりゃ非リア男子からしたらたまったもんじゃないだろう。
そしてそんな奴らがもし、俺と三葉が共に夜の駅から出てくるのを目撃なんてしてしまったら……。もはやその後のことは想像もしたくない。嫉妬は如何様にも人を狂わせるもんだ。
とはいえ、そんな俺の心配は邪推に終わる。
街灯に照らされた道を歩く最中、俺たちはただの一人も学生とすれ違うことはなく。たまにおじさんおばさんの姿だけを横目に見ながら、気づけばあっという間にお互いの家の前へとたどり着いたのだった。
「……で、三葉さん。一応着いたわけですけど。帰らないんですか?」
「……」
だが、どうしてか。
三葉がーーーー離れてくれない。
いや、どうしてなんて言っておいてあれだが、理由は分かっている。いくらなんでもこのタイミングでこんな事されて心中を察せないほど俺は鈍くないからな。
「帰ったら、デートが終わる」
「そりゃ、な」
「やだ。寂しい。まだ一緒にいたい」
そう。今本人がしっかりと口にしてくれましたね。つまりそういう事ですよ。
きっと今日の遠出デートが楽しすぎたが故の弊害なのだろう。ここに来てその終わりが明確に目の前に現れてしまったことによって、一気に寂しさが膨れ上がったのだ。
ただでさえ普段から三葉は別れ際に寂しそうな顔をすることが多い。日常生活でもそうなのだから、その更に上をいく楽しい一日を経験してしまったのならそれはもう。こうなって然るべきで。
いつもは別れ際に充電を挟む事で納得してもらえているが……今日もそれでどうにかなるだろうか。
「まだいたいってお前……あと五分で門限だろ。それまでなら別にいいけどさ」
「あと五分だけなんて短すぎる! せめてあと三時間は欲しい!!」
「無茶言わないでくれ……」
三葉の気持ちも分かる。だが、俺にも立場というものがあるのだ。
三葉のお母さんーーーーおばさんは、俺のことを信頼してこの遠出デートを許可してくれた。門限だって普段はもう少し短いのだが、夜ご飯まで食べてくるのを見越して伸ばしてもくれた。
つまり、俺にはその信頼に応える義務がある。ただの口約束かもしれないが、逆に言えばそのたった一つの約束すら守れないとなれば、また次このような遠出をする時に許可が降りなくなるかもしれない。
「ま、また明日も会えるだろ。多分ズタボロになってると思うからデートは無理だろうけど、別に家来るくらいはいいからさ」
「むぅ……」
分かっている。ちゃんと頭では分かっているのだ。
だが……駄目だ。思わずまだ一緒にいようと言ってしまいそうになる。
それほどまでに、今日という日の終わりに抗わんとする三葉の姿は可愛いくて。それでいて、愛おしくて。
「あっ……。あと一分で九時になっちゃう」
「……」
ああ、そうか。俺も同じなんだな。
まだ終わってほしくない。朝からずっと一緒で、あれだけ動き回って身体中ズタボロだってのに。
断言できる。きっと今日という日は俺にとってーーーーこれまで生きてきた中で一番、楽しい日だった。
だからこそ、終わってほしくない。たとえそれは無理なことだと分かっていても、必死に頭を回してしまっている。
おばさんに頼み込めばもう少し許してもらえるんじゃないか。今からでも家の前から離れて電車が遅延したとでも嘘をつけばいいんじゃないか。いっそのことーーーー泊まっていってもらえばいいんじゃないか。
いくつもの選択肢が浮かんでは、消えていく。
別れを惜しみながらも抱きついてきて、最後の一分を目一杯楽しもうとする三葉の頭をそっと撫でながら。何度も、何度も考えて。
そして無情にも時計の針はーーーー午後九時を指した。
俺の胸元に沈めていた小さな頭をゆっくりと上げて。三葉は呟く。
「明日、朝から会いに行ってもいい?」
「……おう」
「ゲームしたりごろごろしたり、今日みたいに門限ギリギリまで一緒にいてもいい?」
「…………おう」
漏れ出るような問いかけに対して俺は、そっと二度、頷いた。
「嘘ついたら針千本、ちゃんと飲んでね」
「つかねえよ。嘘なんて」
「えへへ……知ってる」
三葉の暖かい体温が、俺の身体からゆっくりと離れていく。
まるで今生の別れみたいだ。どうせ明日の朝にはまた今日みたいに、勝手に俺の部屋に三葉が入ってきていて。「おはよう」って声と共に起こされるって分かっているのに。
「今日はすっごく楽しかった。ありがとう、しゅー君」
楽しかった一日をしみじみとした顔で終わらせたくなかったのだろう。最後にそう言った三葉の表情には、心からの幸福感が映し出されていた。
三葉がそれを望むなら、俺もそう返すべきだ。
笑顔で、手を振って……
「じゃあ、また明日ーーーー」
「三葉ッ!!」
「……へ?」
だが、そんな見せかけの貼り付けたような考えとは裏腹に。俺の身体は、あまりにも欲望に従順で。
気づけば、去ろうとする三葉の腕を……引き止めるように、掴んでいた。