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第5話 いってきます

「ん……やっぱりおばさんの卵焼き、おいひい」


「ふふっ、ありがと〜。やっぱり食卓に可愛い女の子がいると画になるわねぇ。ね、駿?」


「なんで俺に聞くんだよ」


 もしゃもしゃと勢いよく朝ご飯を食べ進めていく三葉と、それを嬉しそうに眺める母さん。そして俺。


 この三人で食卓を囲むのはもう何度目になるんだろうか。


 三葉は幼い時からよくこの家に来ていたからな。その度にご飯を食べていくわけではないとはいえ、ただでさえ母さんはコイツのことをかなり気に入っている。お呼ばれされれば三葉は三葉で断ることはしないし、かれこれ回数は三桁を有に超えているに違いない。


「そういえば成功した? 駿への寝起きドッキリ」


「……失敗した。あとちょっとのところでしゅー君が起きちゃって」


「あらあら、ほんとに。せっかく早起きして来たのにねぇ」


「おい、俺が悪いみたいに見るのはやめろ。どう考えても被害者だろ」


 じろっ。まるでこれから説教でも始めんと言わんばかりの表情で、母さんが俺に目線を飛ばす。


 いくらなんでも酷くないだろうか。母さんが三葉を贔屓目に見ていることは知っているが、それでも。今朝のことばかりは誰がどう見ても俺は被害者だ。「何起きてんだお前。三葉ちゃんが可哀想だろ」なんて目で訴えられてもな。もう少し息子のことも労ってくれ。


「被害者はないでしょお。せっかく可愛い幼なじみちゃんが……ああいや、今は彼女ちゃんだけど。起こしに来てくれるなんてアンタ、ラブコメの主人公みたいな幸せ者なのよ?」


「わ、わざわざ言い直すなよ。あと俺はそんなこと頼んだ覚えないぞ。彼女だったとしても、だ」


 俺がそう言うと、母さんはさらに渋い顔をして呟く。


「はぁ。ごめんね三葉ちゃん。こんなんで」


「大丈夫。慣れてる」


 こ、こんなんて。あんまり虐めるとしまいにゃ泣くぞ。


 分かってるよ、自分が恵まれてるってことくらい。


 俺はあくまで今朝のことについて言っただけだ。三葉みたいに可愛い(だいぶ変人だが)幼なじみがいて、しかも俺のことを好きだなんて。ラブコメ漫画でもなきゃ許されないような展開だからな。


「安心して、しゅー君。これは運だけのご都合展開じゃない。私はしゅー君だから好きになった」


「……さいですか」


「あーっ! 息子照れてる! んもぉ、結局あーだこーだ言っても三葉ちゃんのこと大好きなんだから〜」


「はぁっ!? いや、違っーーーー!!」


「だ、大好……ぁう」


「お前も赤面すんな!!」


 ドヤ顔でやったぜ感を出しながらあんなことを言っておいて一瞬で乙女の顔に変わるのはやめてほしい。ドキッとするから。


 母さんも母さんだ。面白がって茶化しやがって。


 今の俺らはそこらへん色々と複雑なんだ。頼むからそっとしておいてくれ。


「……って、のんびりしてる場合じゃないぞ! 時間ヤバい!!」


「あら、もうそんな時間? もうちょっと息子弄り回して楽しみたかったのに〜」


「てめぇ……マジで覚えてろよ」


 時間はあっという間に過ぎるもので。ふと掛け時計に目をやると、既に針は八時十分を指していた。


 俺たちは徒歩通学である。高校までの距離は一キロちょっとで、かかる時間はおよそ十五分。


 一限が始まるのが八時半。いつもはかなり余裕を持っての登校だが、このままではかなりギリギリ……それどころか遅刻まで視野に入ってしまう。


 まずいな。最悪多少走るとして、リミットはあと五分といったところか。歯を磨いて制服に着替えてをそれだけで……間に合うだろうか。


 いや、間に合わせるしかない。悩んでる時間があったら身体を動かさねば。


「三葉、先出て家の前で待っててくれ。俺は部屋に戻って大急ぎで着替えてくる!」


「やだ」


「やだ!?」


 コイツ、こんな時に何言って……ああクソ、言い合いしてる時間も無いってのに!!


「そんなに焦る初必要ない。いつもは余裕持って出てるけど、本気を出せば十分切れる」


「それが嫌だから急いでるんですけどねぇ!?」


 誰が朝から本気ダッシュなんて決めるもんか。多少は覚悟してるが、いくらなんでも学校まで全力疾走なんて身が持たない。俺はお前みたいな体力お化けとは違って一般人なのだ。


 こういう時、自転車が使えたらよかったんだけどな。入学してから知ったことなのだが、学校までの距離が一キロを切る住所に住んでいる生徒は自転車での通学が禁止らしい。


 なんでも自転車置き場があまり広くなく、混雑を避けるためなんだとか。全く、迷惑極まりない。


 まあとにかく、このまま会話していても埒が開かない。むふんっ、と鼻息を鳴らす三葉をその場に置いた俺は急いでリビングを出て、二階へと戻った。


 寝巻きを脱ぎ、ズボン、シャツ、ブレザーを自分の動きとは思えないほど素早く着て、再び一階に戻った時には時刻は八時十五分。


 もうこの際だ。歯磨きは一限終わりの休み時間にでもするとしよう。とりあえず歯ブラシだけ洗面台からーーーー


「しゅー君。はい、歯ブラシ。二人でごしごししよ」


「ほんとなんでお前はそんなに余裕なわけ!? もう歯磨きは学校でするから!」


「だめ。すぐしないと虫歯なる」


「んなぁぁぁああッッ!!!」


 母さんかお前は、なんて。もうツッコむ余裕すらない。


 しかし長い付き合いだから分かる。コイツ、俺がちゃんと歯磨きするまでここから逃がさないつもりだ。


 ふざけやがって……。


「最低でも三分はごしごし。……これ、同棲してる新婚さんみたいでちょっとドキドキする」


「っ……はぁ。もうどうなっても知らないからな」


 抵抗するだけ無駄だ。俺は諦め、差し出された歯ブラシを受け取った。


 本人は未だ余裕綽々だが、これでもう遅刻に王手だ。まさか「一緒にご飯食べてたら遅れました」なんて馬鹿正直に言うわけにもいかないしな。先生への言い訳、考えておかないと……。


 一度諦めるとさっきまでの焦りはどこへやら。歯を磨きながらもクリアになった思考でそんなことを考えて数分。


「いってらっしゃ〜い」


「いってきます……」

「いってきます!」




 母さんに見送られ、ため息混じりに家を後にしたのだった。

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