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第十三話

「それは……体質ゆえ、ということですか?」


「うん。なんなら、本人は親の顔も名前も知らない。ただ、自分が特定の輪に属しておらず、その輪を転々としてきたことだけは知っている。ずっと肩身の狭い思いをしてきたとね」


「……それで、抜け出てきたんですか」


「山の奥で暮らしていたらしい。ただ、山を降りるとなると自給自足で生きていかねばならないだろう? 餓死しかけて盗みをしていたところを私が拾ったのだ。麓の集落でね」


 ──盗み。その一言に胸が跳ねる。だけれど僕は、それを面と向かって糾弾できる自信はなかった。僕ならば迷いもせずそうしていただろうから。どこかの小説家が書いた物語のように、生きていくためにはそうするしかないのだ。野垂れ死にするのは御免なのだから。


 少なからず動揺していることを看破されたのか、堂主はセンチらしく口角を上げながら──そうして咥えた煙草を指に持ち替えながら、顔を伏せて上目気味に問いかけてくる。


「……こまねに失望したかい? 君はあの子の良い部分だけしか見ていないだろうからね」


「いや……上辺だけで飾ったそこらの人間よりは、遥かに人間らしいなと。それだけです」


「面白いことを言うね。さては彩佳くん、少々人間嫌いの気があるだろう? うん?」


 からかうように笑う彼につられて僕も笑みが零れる。どうやら丸分かりだったらしい。


 二人でひとしきり顔を見合わせると、「まぁ、それはそれだ」と話を戻された。


「ここからが本題なのだがね──こまねは、居場所がないことを極度に恐れているのだよ。だから他人に奉仕することで自分の存在意義を守っている。それも恐らく、無意識的に」


 そういうことか、と小さく溜息を吐きながら前髪を掻き上げる。彼女の辛さが少しでも分かってしまったから、やけに心臓が痛んだ。自らの境遇ゆえに居場所をなくした少女。一度はきっと死を覚悟し、しかし人間に拾われた少女。けれども幼少期からのトラウマは未だに拭えず、心のどこかで、他人に寄り添わねば自分の存在意義はないと信じているのだろう。


「あの子が女給らしい格好をするようになったのは、丑三堂で私と暮らしてすぐだ。私に拾われていなかったら、きっと自分は化生になっていたと言ってね。あやかしとして生きていられるのは私のおかげだと。その恩義と罪悪感から、自分を律するようになってしまった」


 ──彼女はどこまで、今の自分を演技しているのだろうか。すべて分かっているうえで、それを悟らせずに振る舞っているのだろうか。さっき見せたあの弱々しい態度だって、本当はあれがこまねの本性なのかもしれない。何かに怯えているような、自分に自信がないような、そんな性格。普段の無邪気で快活な様子はその裏返し、なんて、考えすぎだろうか。


「堂主は……それを前々から知っていたんでしょう? 今までどうしてきたのですか」


「どうもしてこなかったね。こまねがそんな素振りを見せることがなかったから。普通にしていればただのいい子だ。だから、私もあの子もそこに落ち着いてしまっているのだよ」


「じゃあ、せめて僕はどうすればいいですか? 彼女の相方として必要なことでしょう」


 何も言わないまま、彼はふと窓の向こうを見た。木々の先に往来がある。傾いた夕日が眩しくて、部屋はまるで茜色の日だまりのようになっていた。暖かさだけは穏やかだった。


 ずっと指で持っていた煙草を仕舞う。無言をごまかすように髪を掻き上げる。僕はそれを目で追い続けて、ようやく口を開いたのは一分以上も間が空いてからのことだった。


「……こう言うと君は幻滅するかもしれないがね。何があっても、大抵のことは時間が解決してくれるものなのだよ。自分に非があると思ったものは反省して改善をする。そうしていくうちに、前のことはさほど気にならないようになる。だから、今回のことも──」


「違う、今回のことじゃない。その場しのぎの話はいらないし、どうでもいいんです。こまねの抱えてきた過去に対して、僕が何かしてやれないかと……そういう話をしたいんです」


 貴方が彼女にしてあげたように──と、最後に付け加える。


「こまねは僕の昔話を聞いてくれました。それだけじゃなくて、頼られる限りは手を尽くす、とも。だから、昔のことは思い出さないようにしよう、とまで言ってくれたんです」


 今なら分かる。あの時は素直に受け取れなかった優しさも、やはり彼女の本心だったのだと。けれども他人にすり寄るような醜悪さはなくて、ただひたすら、心からの優しさだった。過去に暗いものを持つお互いだからこそ、その痛みが普通以上に感じてしまうのだろう。だから、少しでも和らげてやりたくなる。そうしなければ、自分まで痛い思いをするから。


「……そこまで二人で腹を割って話したのなら、もう私の出る幕はないかもしれないね」


 どういうことですか、と僕が言うよりも早く堂主は言葉を続ける。どこか物悲しそうな目つきをしているから、それがふと気がかりだった。そう思うくらいには、今の僕は他人に対して柔らかくなっているらしい。こまねに向けたものが、他にまで波及しているような。


「私とこまねの年齢は一回りほど違う。同じ屋根の下で暮らしてきたといえど、ある程度の遠慮というものは隠せないのだよ。ましてや私が、彼女の恩人である以上は余計にね」


「……どういうことです?」


「彩佳くんは二十二歳だろう? 大して歳が変わらない。年齢というものは非常に重要で、それだけで親近感が得られるものだ。現に君はこまねと砕けた感じで話していたらしいね」


「えぇ。敬語でなくとも構わないと言われたので」


「そう言わせることが大事なんだ。私が君を丑三堂に引き入れ、こまねの相方にすると決めた時は嬉しそうにしていたよ──嘘だと思うならその手記を読んでみたまえ。私に対する接し方と君に対する接し方は、こういう細かいところを観察してみると違うものでね」


 きっと、僕よりも付き合いの長い堂主が言うならそうなのだろう。それでもにわかには信じがたくて、嬉しいような物悲しいような、そんな複雑な気持ちになる。なにより、こまねのいないところでこういった話を聞くのがどこか申し訳なかった。本人から聞きたいのだ。


 だから、と、話を締めるように彼が続ける。わざとらしく着物の襟を整えているのが体裁を取り繕っているみたいにも見えて、けれど、それには気にしないまま僕は先を促した。


「……私にはただ、あの子を店に置いておくしかできない。普段の素行が優秀なことには変わりない。ただ、過去のことまで今更ながら触れるのは、不躾というかね……分かるだろう」


「だったら尚更、僕にやらせてください。すぐにというのは難しいかもしれませんが──これを貴方とこまねへの恩返しといたします。店に置いていただける以上は、このくらい」


 凝然と見据えた瞳を見つめ返すように、堂主は何秒かこちらへ視線を向け続けていた。それからふっと笑って顔を伏せると、「申し訳ないね」と言ったきり窓の向こうを眺めてしまう。話が一区切りついたのを察してから、気になっていた別の話題を振ってみた。


「というか、結局……僕が倒れた後はどうなったんですか? 加賀美や如心会は?」


「あぁ──こまねに経緯をすべて聞いて、私が事後処理まで引き継いだよ。この数日間で反面したこともある、が……まずはどこから話したものかね。当初の依頼人について話そう」


 演技なのか素なのかは分からないが、彼はいきなり身振り手振りを交えながら話し始める。先程までのどこか重い空気感はいつの間にかなくなって、談笑でもするかのような、普段通りの彼らしい雰囲気になっていた。もしかしたら一段落して気が抜けたのだろう。


「あそこの家は久野といったね。おばあ様を亡くされたものの、火葬後に怪死と判明したわけだ。とはいえその正体が新興宗教による邪神である、と素直に説明するのは心が痛んでね……。こまねにも助言を仰いだ結果、そのことに関しては伏せて話すことにした」


「それで……どうしたんですか?」


「神様に魅入られてしまったのだろう、と。そこに関しては間違いではないからね。私が担当した事件にもそういうことは稀にあったから、それをお話したら納得いただけた」


 そうですか、と返事する。正直、安心した。彼らにこの状況をどう説明しようか悩んでいたから。根幹の部分を書き換えず、いちばん優しい嘘で納得してもらう。それができれば万々歳だ。きっと家族の誰も、悩み苦しんで尾を引くようなことはないのだろう。


「……それで、あの宗教団体が入ったビルディングなのだがね。私が事後調査として向かった時には、既に夜逃げされてもぬけの殻だったよ。なんらかの形で教祖の訃報を知り、しかも逃げ足の速さからして、暗々裏に緊急時の行動は決めていたと見て間違いはないね」


「行方不明、ということですか……。如心会の経営等に関しても調べましたか?」


「そこまでは。ただ、頭が消えた以上は下が動く必要性もない。意志を継ぐ者がいない限り自然消滅だろう。教祖以外はほぼ雑務を担当していたようだ。信者はお気の毒だがね」


 信者──この新興宗教に謀られた信者は、きっと少なくはない。現状はただの敬虔な教徒だったとしても、明日には怪死している可能性さえある……いや、それはどうなのだろうか。あの邪神も加賀美も死んだはずだ。死してなお続く信心の対価など、通常ならばあり得ない。


「……教徒が捧げた祈りを引き換えに、神は代償を得て成長した。しかし神が死んだ今、信者には今回のような対価は二度と要求されないはずです。もう怪異は起きませんよね?」


「無論。なんなら件の神も、信者からの信心を糧に成長した例だ。そして最後には、教祖を贄とすることで彼に仇なす人物を抹殺しようとした。そこまでの話ということだよ」


 堂主の説明を聞いて、思わず安堵の溜息を吐く。心の底から素直に良かったと思えた。


美辞麗句を並び立てて、そこに飛びつく哀れな者から徹底的に絞り尽くす鬼の所業。既存の宗教ならまだしも、自らのエゴを満たすために利用された、人間の咎そのものを体現したのが新興宗教だ。信心と金銭を巻き上げるばかりの、まったく酷い、薄汚い裏商売だ。


「……加賀美も、最初は普通の人間だったらしいですね。身内を亡くして変わってしまった」


「彼のことは調べたよ。君の聞いた通り妻子に恵まれた男だった。子供好きでね、教師をやっていたらしい。……が、ある時に交通事故で二人を亡くし、彼だけが取り残されたのだ」


「えぇ。それに耐えきれず自殺を考えるも、苦しんで死ぬのが嫌だから──」


「そうだ。だから、自分の怨念を糧に神を作り上げた。そのために色々としたらしい。手始めに、呪術で例の事故の当事者を呪い殺した。その呪物は神を作る糧となった。次に──」


 ──それから淡々と、加賀美が行ってきたことが告げられる。許しがたい、最大限に軽蔑すべき人間のはずなのに、やはり僕は、どうしてだか、彼の気持ちも分かるような気がした。愛すべき身内を殺されたことへの報復。自己の望む結末を果たすための、哀れな小細工。こんなものを肯定するつもりはないが、ただ悲しいことに、共感はできてしまった。


 彼も僕たちと同じ異能者だったらしい。人のために相手の忌むべき記憶を読み、相手のために式神を携えて守る──それができる大人で、事実、そうしてきたという。真っ当な異能の使い方だ。きっと、過去に生んだトラウマなど何もないのだろうと思わせるほどには。


「──つまるところ、こうやって彼は時間をかけて神を仕立て上げたわけだよ。その過程で組織運営を任せる人材を集め、下積みを経て教徒を獲得していったのだと予想される」


「逆に、そこまでの能力はあったということですから……皮肉なものですね。ひとつ間違えたらすべての選択肢が逸れてしまう。彼の妻子もそこまでは望んでいなかったでしょうに」


「……私は君より一回りしか生きていないが、意外とそういう人間も多いのだと知ったよ。元来の素質を活かせるのは、その大半が環境だ。環境も時にして天命に左右されてしまう」


 君もそうだし、こまねもそうだ、と、堂主は優しい眼差しで告げる。


「君たちは環境に恵まれて才能を発露した側だよ。けれど、その環境だっていつ崩れるか分からない。彩佳くんのご実家がそうなったようにね。まぁ、ここにいる限りは心配無用だ」


 環境──確かにそうなのかもしれない。僕が実家に居続けることができたのは、ひとえに環境のおかげだった。トラウマによる精神疾患も希死念慮も抑え込めたのは、逃げ場所があったからだ。一歩間違えば死んでいただろうし、満足に作家業も続けられていなかったろう。


 思案にふける僕を眺めながら堂主はおもむろに懐中時計を取り出した。それからわざとらしく声を上げて椅子から立つと、着物の襟を軽く正してこちらに視線を合わせてくる。


「……すまないね、話すことは話したし、そろそろこまねのところに戻らせてもらうよ。いつまでも泣かせておくわけにはいかないからね。あの子は本当に気に病みすぎるんだ」


「だったら、堂主からも伝えておいてくれませんか。僕はまったく気にしていないし、こまねを頼るのはこれからも変わらない──と。この手帳に書き留めておくように、とも」


「伝えておこう。彼女のことだから、きっと明日にでも見舞いに行くだろうね。でもこれは二人の間の問題とさせてもらうよ。私が首を挟むのは野暮というものだから──ねぇ?」


 悪戯らしく笑う彼に頷きながら、ずっと手のひらに仕舞っていた手帳を渡す。無言で微笑みながら部屋を後にしていく堂主の後ろ姿が、今はどこか頼もしいように思えた──。


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