「しかし、なにゆえ貴殿は我が会に話を聞こうと思われたのだ」
「貴方がたの信者に久野カエさんという方がいらっしゃったでしょう。僕は彼女の知人なのです。一週間ほど前に亡くなりましたが、如心会のお話はいくつか聞いていました」
先程も張り込んでいた遊歩道を駅に向かって進んでいく。夕刻に傾いた斜陽が地面に影を落として、川面に乱反射するような煌めきを彩っていた。茜色が目に眩しかった。
三歩先を進む加賀美の背中を追いながら、僕は隣同士で歩くこまねの横顔を見つめる。緊張なのか不安なのか、或いは、やや自由奔放らしい彼の行動を訝しんでいるみたいだった。
「貴方もご存知でしょう、久野カエさんのことは」
揺さぶりをかけるように、一定の歩調で歩く加賀美の背中へ語りかける。当事者であれば彼女の死亡に何かしら思うところはありそうだが──どうやらここから見る限りの反応では、なんら動揺する素振りはないらしい。煙管から立ち昇る紫煙が鼻先に匂ってきた。
「あの老婦人は敬虔でありながら気の毒であった。しかし聞くところによれば老衰を迎えたらしいが……そうであるなら、それが最期に得られた彼女のご利益なのだろう。大きな病もなく天命を全うなされたのなら喜ばしいことだ。貴殿らもそうは思わぬかね」
本当にそう思っているのか。或いは思っていたとて、よくそんなことが言えるものだ──と内心で憤りと強い嫌悪感を覚えながらも、それを背中越しに睨みつけるだけで留める。こまねも不快感を隠そうとはしなかったが、声を上げそうになるのを必死に堪えていた。
「貴方が教祖ということですが……なぜ如心会を新興宗教として立ち上げたのですか。団体を設立するのは手間もかかります。その意思についてお訊きしたいと思いまして」
「理由なぞはない。ただ神託を得たから奔走したのみ」
「神託……とはどんなものなのです? 実際に貴方の信仰する神から啓示を得たと?」
「存在をふと認知したのだ。その時から私は無性なほどの責任感にかられて祠を作り、そこへ丁重にお祀りした。しかし、そのままでは実体を持たない“神”を具現化させるために日々の信仰を重ね、果たして対話をするに至ったのだ。純粋な信仰から生まれた神だ」
顔は一向に向けないまま淡々と歩を進めていく。この話もどこまでが本当なのかが分からない。正直なところ、こんな人間の話なぞを真に受けるのが間違っているのだが。……しかしきっと、御神体として祀っている神を無から生み出したというのは本当なのだろう。
隣のこまねに視線を向けると、どこかむすっとしたような表情で加賀美の背中を見つめていた。そのまま僕のほうに身体を寄せたかと思うと、忌々しげな口調で耳打ちしてくる。
「こまねの経験的にほぼ嘘八百です。ただ、神を作り出す方法だけは本当かと」
「……では、信仰ビジネスとして彼が神を使役させているのは間違いないんだね?」
「はい。それを目的に作り上げたのは確信できます。普通ならそんなことはしません」
なるほど、と無言で頷いてから加賀美のほうに向き直る。川に架けられた小さな橋を渡るつもりのようだが、あちら側はどこに向かうつもりなのだろうか。駅舎と通りを離れてしまえば、いくら町とはいえ片田舎に差し掛かっている。これが彼の散歩道なら問題ないが……。
「……誘導されてます? こまねたち」
そっと首を傾げてから、もう少し泳がせてみようと背中を追う。橋を超えたそこは町というより自然の景観がそのまま残されている状況に近く、ましてやこの夕刻に人が多いとは言い難い。何度も揺さぶりをかけるのは面倒だが、こうなってしまっては仕方がない。
「教祖はいつも、こうやって夕涼みをされているのでしょうか。風流ですね」
「……そうだ。神に意思を繋げる者として、五感を研ぎ澄ますことがいかに肝要か」
「なんだか簡単なことのような気がしますが、それだけで構わないのですか?」
「ふっ……人は最初のうちだけ皆そう告げるものだ。しかしその心がけも必要」
話がどこに進むのかさほど読めない。お互いに中身の薄い話ばかりを繰り返していて、本題に切り込むような緊張感がまるでなかった。それなのに歩く場所だけは人気から離れていて、ここまでくると、きっと彼ですら感じているのだろうとさえ邪推してしまう。
──寂れた民家の傍に差し掛かったところで、僕は意を決して加賀美を呼び止めた。瞬時に立ち止まったこまねの耳が軽く逆立ったのを横目に見ながら、しかし態度だけは一貫して変わらない加賀美の振り向く様を目に焼き付ける。斜陽の茜がその瞳を照らして、普段ならば硝子玉のように美しいはずのものが、どこか濁っているように感じられた。
「……生ぬるい話は止めて本題に入りましょう。単刀直入に訊きますが、貴方たちが信仰している神とやらが、久野カエさんを間接的に殺害した──そのことをご存知ですね?」
煙管を咥えた彼の表情が分かりやすいほど険しくなる。数歩ぶんだけ空いた距離も一瞬にして詰められそうで、一触即発の状況を想定しつつも上辺は穏便に着飾っていた。
「やはり──貴殿らがそうだったか。いつかは嗅ぎつける者が現れるとは思ったが」
「……勘付いていたのにどうして逃げなかったのです? 胆力のある御方だ」
「力ある者が弱者の前で醜態を晒すほど、私は落ちぶれていないのだよ」
加賀美は分かりやすく鼻で笑うと、口元で小さく何事かを呟いた。
「ゆえに、私は貴殿らをこのまま帰すわけにはいかないのだ」
──刹那、小動物とも見紛うものが瞬間的に足元を駆け抜けていく。咄嗟に身を引いて避けた跡には着物の切れ端が残っていて、振り返ると同時にこまねの結界が発動した。
側方から追い立ててくる二匹の小さな異形。動物とも残骸とも取れるような何かが二人を攻め立てて、判断する隙もないまま彼女に手を引かれ民家の裏手にある藪へと駆け込む。
「先生っ、なんとか逃げ切らないとまずいですよっ! 堂主が来な──わっ!」
いつの間にか足元まで追いついてきた異形は、口のようなものを大きく開くとこまねの踵へ噛みつく。それを間一髪でかわしながらも反撃はできそうになかった。さらに後ろには加賀美もおり、先程までの悠然な態度とは一変して殺気に近いものが漂っていた。
「足場も悪いですしっ! このままでは防戦一方ですよ……!」
「だからってこのまま逃げるのは癪だ。呼びに行くなら君が呼びたまえよ」
「そういう問題じゃないですって! こまねは先生の身を──あぁもうっ!」
彼女は開き直ったように叫ぶと、自分にも結界を張りながら前面へ立つ。それからエプロンに隠していた短刀を無造作に振り回して威嚇した。異形も変化を察知したのか、数メートル先に対峙している加賀美の足元へ戻っていく。恐らく彼が
久々に走ったせいで乱れた息をなんとか整えながら、平静を努めて小さく呟く。
「……異能者ってことだね。これは意外だった」
「ただ教祖を担っているわけではない。力あるゆえに上へ立つのだ」
彼は虚空に手を掲げると、そこにある何かを握りつぶすがごとく拳を作る。その動作に追随して異形の姿形が変化していった。小動物程度の大きさは幼児と紛うほどに形を成し、残酷にも人間の成り損ないのような容貌で変化が止まる。何かを糧に成長したのだろう。
「私の異能──〈神創掌握〉は対象の不安と恐怖を糧に式神を強化できる。下手に逃げ回るよりも勇気を持って対峙するほうがよほど利口……そのぶん敗北の恐怖に呑まれるゆえ」
たもとから抜いた短刀を逆手に構え、相手の出方をうかがう。加賀美は自分が戦力的有意にあると確信しているが──実際その通りだ。とはいえ逃げ切れずに体力を消耗するくらいなら、防戦一方とはいえ駅に近いここで堂主の助けを待つほうが良策。なにより彼の異能が僕たちの精神状態に影響するとあれば、迂闊な動きは余計に制限されてくる。
蛇に睨まれた蛙──と表現するのも癪だが、現状を打破するのもやや危険だ。僕の異能も戦闘向きとはいえないが、どうにか活かす方法を考えるしかない。目前の彼が何の行動も起こさないのを確認したまま、そっと耳打ちするようにこまねへと身体を寄せた。
「軽くでいいので加賀美の出方を見させてほしい。この結界だけが頼りだ」
「でしたら、こまねが……!」
「駄目だ。唯一の防御要因をおいそれと出せるような状態ではないでしょう」
彼女はそれでも何か言いたげに口を開く。が、逡巡したのもほんのわずかだった。
「……分かりました。先生のことは何がなんでもお守りします」
小さく頷いて、僕を守るように立ってくれていたこまねの前へと歩を進める。踏まれるごとに響く枝葉の音がやけに大きく聞こえた。不思議と緊張感が薄いのも結界のおかげなのだろう。いかに平常心を保てるか──僕に関しては、ここにすべてが懸かっている。
「……まずは貴殿からか。何を企もうとも私の前では無意味なことだが──安心したまえ。そこの少女に手出しをするような真似はせぬ。粛々と一人ずつ始末していこう」