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第七話:仕立て上げられた神

 新興宗教こそ傲慢な、いかにも人間のとがを表したものもないその大半というのが綺麗事や美辞麗句を並べ立てただけの教えに過ぎず、余裕も見境もなくなった哀れな者がそこに飛びつく。信心と金銭を巻き上げるばかりの薄汚い商売だ。そんなものに比べれば、やれ自分は知識人だ文化人だと哄笑している彼らのほうが、幾倍にも増してまともに見える。



「さて、あそこの電話番号は……」



 あの後、婦人に挨拶を済ませた僕たちは電話を借りるために宿へ戻っていた。件の新興宗教は町にあるテナントの一室に事務所を設けているらしく、そこの管轄に電話を繋いでもらえるらしい。数分ほど待たされてから聞こえてきたのは、あの青年の声だった。



『やぁ、もしかして今朝の青年かね? 俺だ。連絡を待っていたよ』


「えぇ、綺月と申します。貴方は……やはり勧誘でしたか。運営に携わっていると?」


『俺は単なる事務方だ。宗教団体の直接的な運営なんぞには関わっていないが』


「そうですか。それならお訊きしたいのですが、貴方がた如心会の信者に、久野カエという老婦人はいらっしゃいましたか? あの村の知り合いなのです。生前お話をうかがって」



 ちょっと待ちたまえ、と彼はしばらく席を話すと、じきに戻って明朗な声を張り上げた。



『久野カエは老齢のおばあ様だろう? 数ヶ月ほど前から確かに来ていた。最後に礼拝に来たのは二週間前だが……君、さっき生前と言ったか? 亡くなられたのか?』


「えぇ、実は……。しかし老衰死で大往生ということですので、天寿は全うされました」


『そうか……。高齢で病もなしに亡くなったのなら本望だ。御冥福を祈る』



 こまねは心ばかり落ち込んだ電話先の声に耳を立てて聞きながら、じっと僕のほうを見ていた。何かを言いたげに押し黙っていて、けれど、何が言いたいのかは分かる気がした。彼がいくら本筋に携わっていない人間だとしても、こうして宗教という名のもとに信仰の犠牲者が出ていることに対して、平然と定型文を述べられるその神経の図太さ……。



 しかし、糾弾するのは後の話だ。今はただ接触が図れればいい。いっときの私怨で目先の益を取りこぼすことのほうが、よっぽど馬鹿馬鹿しくて情けない話なのだから──そう思い思い、受話器にかからないくらいの小さな深呼吸を何度か繰り返して、再び口を開く。



「ちなみに、久野カエさんが入信した理由などはご存知ですか?」


『確か……教祖が話していたがね。病床に伏したお孫さんの見舞いに行っていたものの、一向に良くならないのが心配で、町へ下りるたびにここでお祈りするようになったと。ちなみに俺が勧誘したわけではない。お孫さんは思っていたより治療が長引いたらしいが』


「なるほど。ところで、久野さんが信仰していた……御神体、御本尊というのですかね。それは教祖が管理しているのですか? 神棚に分体が云々とお話されていましたが」


『いかにも。礼拝用の部屋に小さな祠を設け、そこに御神体はお祀りされている。管理は原則として教祖が行っているから、俺たちが関与する余地はない。とはいえただの祠だ』


「ふむ……。今日の夕方、お伺いすることは可能ですか? 教祖にお会いしたいのと、その祠を少し確認させていただきたいのです。挨拶程度で構わないのですが……いかがです?」



 そんな僕の問いかけに、青年はまたもや「確認してこよう」と席を離した。瞬間、こまねが着物のたもとを軽く引っ張る。少し焦ったような表情をしているのは想定通りだった。大丈夫です、と目だけで合図しながら、受話器の向こうに聞こえるノイズへと耳を澄ませる。



『あー、失礼だがね……要件を教えてほしい、と教祖から言伝を得た』


「あぁ……僕の本業は文筆家でしてね。ルポにしろ小説にしろ活かせそうと思いまして。取材させていただく代わりに、軽く一記事書かせていただくという形で……どうでしょう?」


『ふぅん……そうかい』



 それからまた、数秒の沈黙を僕は聞いた。こちらの素性を怪しんでいるのだろうか。確かに僕は小説家であれど、ルポライターなどではない。話次第ではボロが出るだろう。でまかせを喋ってしまったがどうなるか……と思案するうちに、やや絞り出すような声がした。



『構わない。教祖にも伝えておこう。どうもよろしく頼むよ』


「えぇ、こちらこそ」



 その言葉を最後に通信が切れる。ダイヤルを回し、交換手にも合図をしてから受話器をもとに戻した瞬間、今まで黙っていたこまねが恐る恐る切り出すように口を開いた。



「あの……先生、あちらに伺うというのは、やはり……」


「うん。ここじゃあれなので、部屋で話しましょう」



 近くで業務をしていた女給の方と宿の主人にお礼を言ってから、僕たちは受付を後にして二階の部屋へ戻る。近辺に誰もいないのを確認して、二人とも畳に腰を下ろした。


 彼女はやはり落ち着かないのか、忙しなく手を揉んではエプロンの裾を掴んでいる。気晴らしに部屋の窓を開けてやると、それだけでも少し空気が変わっていくような気がした。



「……なんというか、僕は最初から気になっていたんです。田舎の村で跡継ぎもないまま、子供たちは町に移っていることをね。おばあ様もよく町へ下りていたことを考えると、子供たちに会っていたと思うのが自然ですし、実際そうしていた。ただ、どこかの機会で──」


「宗教の勧誘に惑わされてしまった、ということですか。信仰する対象なら身近なものがあったはずなのに、なぜか新興宗教に囚われてしまった。分からないわけではないですが……」



 それ以上は顔を伏せてこまねも言わない。否、言わないのではなく、口に出したくもないのだろう。その選択が、分かっていてもどれだけ痛々しく、そして哀れなものであるのかを再確認してしまうから。病床の孫を想う気持ちが伝わるだけに、やりきれないものなのだ。



「……現状が何も変えられない場合、既存のものでは変革が不可能だと思いこんでしまう。新規性のある何かなら、きっとどうにかしてくれる──そういう盲目的な願望だよ」



 病気の孫を想って信心深く祈りを捧げていたのは、土地に根付いた土着神でも民を救う菩薩でもない。神の成り損ないだ。便宜上で神を名乗るだけの、謂れの分からない存在。人間の邪心を糧に生み落とされた、そのためだけに生かされているような、文字通りの邪神だ。


 あの祠や神棚というのも、なんでもないところから信仰だけを糧に神を作り上げるための舞台装置でしかないのだろう。それを主導しているのは教祖以外にあり得ず、すべては教祖一派の利益のためだけを軸に行動している。さらに効率を求めた結果、信者を出汁にする。



「……先生がご存知かは知りませんが、信仰には──それも崇められているものが邪悪な神である以上、それ相応の対価を差し出すのが当たり前です。だから、新興宗教は今や闇社会の商売のようなもので、信者の信心は餌に過ぎないんですよね。それが問題なんです」


「なら、久野さんは……その対価を覚悟に本気で信仰していた、ということになるね」


「はい。本人が対価を対価と認知していたかは分かりませんが、少なくとも、自己犠牲は厭わないくらいの精神状態であったと考えるのは自然です。自分の身を引き換えにしたのか、はたまた、そういう一面も引っくるめて、神に魅入られてしまったのか、ですね……」



 新興宗教の厄介なところは、と、こまねが語気を強めて続ける。



「普通の宗教よりも新規性が高く、敬虔な信者がたくさん集まってしまうがばっかりに、その信心を糧にした神が力を増やし続けている……というのは、間違いないです。どんな神であれその存在意義を担保しているのは、単純に信仰の多さですから。そして、それは──」


「──なんらかの形で教祖の身に還元されるような仕組みになっている。でしょう?」


「……はい。最終的には神を自分に憑依させる例が多いです。事実上の現人神、とでも言いましょうか。場合によってはイタコのような存在にも成り得ますし、呪術にも悪用できます。現状、どこまでの力があるか分かりませんが……実害が出ている以上、危険な状態かと」



 “仕立て上げられた神”。そう表現するのが適切だと思った。ただの人間が信仰を得て現人神になるように、なんでもない存在が、信心を糧に神へと変貌する。新興宗教、すなわち邪教といえど、腐っても宗教なのだ。民の信仰を集めれば、見てくれは神と同等になる。しかし要求される対価は未知数。これ以上放っておけば、怪死が増えてもおかしくない。


「なんというか……藁にもすがってこの結果ですと、哀れに思えてしまいます」


 ぽつりと独り言のように呟いた。誰に聞かせるわけでもない、ただ口から洩れたような、そんな響き。窓から吹き込む軽風に掻き消されてしまいそうなほど、小さかった。



「……そうですね。でも、僕だったらそうしていたかもしれません。大切な身内を想うのでしたら、それくらい安いものです。死んでいないだけ、まだ希望はありますから」



 確かに哀れかもしれない。けれど、僕にはそれを哀れだと一蹴できるだけの資格はないのだろう。ずっと負い目を抱え続けてきた僕にとって、選択肢のある贖罪は魅力的に映った。


 そんな僕の胸中を察したのか、こまねは申し訳無さそうに視線を逸らす。数秒だけ無言がこの部屋を支配して、窓から聞こえる自然の速攻交響楽が唯一の安堵のように思えた。



「──先生のご家族が羨ましいです。身を賭してまで想っていただけるなんて」



 ぽつりと吐かれた二度目の言葉に、なぜだか僕は、一言も返すことができなかった。そう呟いた彼女の瞳が、これ以上ないほどに空虚で、儚いように見えてしまったから。

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