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第六話:意図せぬ進展

「先生、体調大丈夫ですか? 供物のお酒くらいならこまね一人でも買えますよ?」


「……いえ、仕事ですので。それに……二日酔いは自業自得です」



 胸が騒ぐような不快感と執拗に脈を打つ頭痛に苛まれながら、僕は朝から鉄道に乗って町の往来まで下りてきた。商店が立ち並ぶゆえ人も多く、嫌でも喧騒に身を置く羽目になる。お守り代わりに握らされた彼女の手に引かれつつ、よろける足取りで歩を進めた。



「ほら先生、酒屋さん着きましたっ。ここのベンチで休んでいてくださいね」


「……すみません。ありが──」



 座り終えた僕がそう告げるよりも早く、こまねは軒先に吊られている杉玉を横目に店内へと入っていった。先程まで引かれていた手に温もりがまだ残っている。人の行き交う雑踏に視線を上げても自分だけが取り残されているようで、無性に寂しい気持ちになった。



「……昨夜、そんなに呑んだっけ」



 確かに夕食で地酒を勧められたから、久々に呑んだわけだが──記憶が曖昧な上に二日酔いとなると、今朝言われた通り、こまねに介抱されて寝付いたのは嘘ではないらしい。まさか自分があの手帳を頼りに記憶を補完することになるとは思っていなかったが。


 機能不全となった僕の代わりでこまねが村を一周してきたところ、やはり森のなかに社を見つけたらしい。お坊さんに訊くとそれは土地代々で祀っている土着神らしく、考えたくはないが、怪異の根源である可能性も高いとのことだった。会う際に失礼を働き被害を拡大させることは避けたいということで、供物──お神酒を調達しにここまで来ている。



「またしばらく飲酒は控えるか……」



 ……朦朧としかけた意識をなんとか留めながら、焦点の合わない瞳で往来を眺める。洋装の勤め人や昔からの商人、さらに町の方へと向かうモボとモガ、田舎者らしい老婦人──道の上を闊歩する彼らがどこか不快かつ傲慢に思えて、僕は人知れず顔をしかめた。


 ──現代の人間はみな気取り屋なのだ。かつての自然淘汰に溢れた蛮行を棚に上げ、今はそれを衣服と知性と文化とで覆い隠している。人間が最高等の知的生物だと思い込み、それを重視するあまり、右に倣えと言われてそっぽを向けるような者は少なくなってしまった。



「皆様どうも、人間らしく澄まし顔……ってね。学問も文化も半ば虚栄だ」



 誰にともなく吐き捨てる。こんな言葉をいちいち聞いている者などいなかった。


 人間が自己の上辺を着飾る手立て。それを僕は好きになれない。或いは、それ故に尊大に振る舞っているような人間も嫌いだ──と数年前に何かに書いたら、文壇で批難されたことも思い出した。作家のような文化人のなかでも、僕は少しばかり外れている異端者らしい。


 しかし今更そんなことを思うとは、やはり多少なりとも疲れているのだろうか。



「……まだかしら」



 頭痛と倦怠感のなかでこまねを待つのは酷く苦痛だ。かといって雑踏に紛れながら我慢するのも本意ではない……と思っていたところに、やや甲高い革靴の音がこちらに近付いてくる。顔を上げると、同年代らしいモボ風の気取った青年が僕に何かを差し出していた。



「君、暇だったら珈琲でも如何だね。連れが来れないようで余ってしまった」


「……ありがとうございます。何か気分を変えたかったところなので」


「こちらこそ。俺一人で二杯飲むのもちゃんちゃらおかしいものだ」



 オールバック、シャツにタイ、ロイドの眼鏡にステッキ──典型的なモボの様相だ。流行とやらの型にはまった上辺だけの紳士像は、きっとどこかでボロが出る。これまた面倒なのに絡まれてしまった……と心のなかでこまねの帰りを待ちながら、なんとなく親切心を出している相手を無下にはできないもので、そのまま隣に座った彼と一緒に珈琲を頂戴する。



「君は上の村から来たのか? 具合が悪そうに介抱されていたろう」


「……えぇ、所用で。見られていたとはお恥ずかしいですね」


「いや。ちなみに俺はあの村の一つ向こうの出身なのだよ。先日も行った」



 田舎は堅苦しいもので困るね、と饒舌に語る彼を話半分に聞き流しながら、上手く回らない頭で聞き込み調査のことを思い出す。何を知っているかは期待できないが、一応だ。



「ところで……貴方は、あそこの村で起きている怪異の噂を御存知ですか?」


「怪異……。いや、あのあたりでは屋敷神を祀ってご利益を得た、とここ半年くらい聞くがね。知らないかい? 神様の分体を白木の神棚にお祀りして、居室にお招きするのだと」


「……どこの宗派ですか、それは。新興宗教ではないのかしらんと思いましたが」



 そう訊くと、彼はいくらか首を傾げて胸元から葉巻を取り出した。一瞬だけ眉をひそめそうになるのを堪えながら、僕は平静を装って返事の続きを待つ。神、という単語繋がりで、新たな情報を得られる気がしているのだ。こまねだけに仕事をさせるのも本意ではない。


 立ち昇る紫煙をぼんやりと眺めながら、青年はふと思いついたかのように手を叩いた。



「俺の友人がその宗派の運営をしていたな。もし気になるのなら今から会ってみるか?」


「……所在だけ教えていただきたいです。今日は体調的に厳しそうで」


「なに、すぐそこだよ。むしろ帰宅ついでに神棚など持って行くといい。教祖に拝ん──」


「──すみません先生、たいへんお待たせしましたっ! おっきいですよ、お酒!」



 勢いを増した彼を遮るように、一升瓶を持ったこまねが扉を開けるなり駆け寄ってくる。彼女は僕たち二人を交互に見回すと、「先生のお知り合いですか?」と訊いてきた。



「いえ、まったく……。貴方、もしや宗教勧誘か何かですか?」


「えっ、困りますよ人間さんっ、先生いま二日酔いで体調悪いんですから……!」


「……それなのに、また酒を買いに来たのか?」


「僕もそこまでやるほど中毒じゃありませんよ。……言ったでしょう、所用ですと」



 それより、と痛み始めてきた頭を押さえながら、簡潔に続ける。



「……後ほどお伺いしたいので、所在と連絡先を教えて下さい」


「分かった。住所は東京の──」



 話を聞くと、確かにこの通りに近いところにあるらしい。教祖と宗派の名前も合わせて聞き出したあと、僕は一升瓶を片手に別れてからこまねとともに駅へと向かった。


 人と話した上に神経まで使ったからか、余計に症状と疲労が悪化した気がする。ホームの待合室で何度も溜息を吐く僕に、彼女はそのたび「大丈夫ですか?」と訊いてくれた。



「……村に帰ったら、まずは依頼主の家に寄ろう。話が変わった」


「えっ、どういうことですか……? さっきの人間さんから何か聞きました?」


「うん。ちょっとだけ気になったことがあるので──答え合わせにしましょう」





 件の家を訪問すると、あの農夫の妻らしき婦人が出迎えてくれた。僕たちの話は身内のなかで共有されているらしく、すぐに囲炉裏を挟んだ座敷で二回目の面談を始める。珈琲のおかげで気分転換ができたのか、充分に人と話せるくらい、少しは体調も戻ってきたようだ。



「今日は……ご主人とおじい様は? 農作業ですか?」


「いえ、町のほうへ出かけておりますの」


「なるほど、結構です。……その、いくつか質問させていただいても?」


「えぇ、答えられる範囲内なら」



 声の細い、やや痩身の婦人は居住まいを正してそう答えた。隣で座るこまねは僕の思惑をまだ把握しておらず、怪訝そうな瞳でこちらを見つめている。そんな彼女にそっと目配せしてから着物の襟を正し、いざ本題に入ろうと口を開いた。ここからは答え合わせの時間だ。



「あぁ、そういえば、おばあ様のお名前を聞いていませんでしたね。……お伺いしても?」


「えぇ、久野カエと申しました。久しいという字に野原の野……カエは片仮名ですわ」


「どうも。亡くなったおばあ様は生前よく町へ行っていたと聞いたのですが、目的は?」


「私たちも知りませんのよ。ただ遊びに行っただけと思っておりましたが、息子たちにでも会いに行っていたのかしらんと旦那は言っておりましたわ。止める理由もありませんから」


「なるほど──町に息子さんがお二人いらっしゃるとのことですが、今は何を?」


「長男は入院していて、治療も長引きましたがじき退院です。次男は勤め人ですわ」



 それは災難でしたね、と言いながら、おおかた予想通りの答えが返ってきたことに安堵する。老齢の人間がわざわざ町へ下りるなど、それ相応の理由がなければやらないことだ。



 田舎の村で跡継ぎもなく息子二人が町へ出ていたことは最初から気になっていたが、長男が病で入院していたというなら話は別だろう。そうした精神状態で見舞いをするとあれば、必ず心身は疲弊する。治療が長引いたという話もそれに一因したと考えて間違いない。


 徐々に確信的なものを感じながら、僕は一つずつ鎖を繋ぎ合わせていく。



「おばあ様が町へ出るようになった時期と、息子さんが入院した時期はいかほどです?」


「あぁ……あの子は神経衰弱で長く入院しておりまして、もう半年あまり前から。お母さんは数ヶ月ほど前から行くようになりました。それに何か関係がございまして……?」



 怪訝そうに問いかける婦人の眼差しをそっと微笑でごまかしながら、「いえ、ただ気になっただけですので」と場を収める。この件に例の新興宗教が関与しているということは、恐らくまだ知らせてはならない。知らせた遺族がどう思うかは、無論、想像に容易いから。


 ──婦人にそっと会釈してから、座敷の外へこまねを連れ出す。話の途中で既に僕の思惑を察したのか、ずっと落ち着かなそうに尻尾を揺らしていた。辺りを見回して二人きりになったのを確認すると、彼女は僕が告げるより早く飛びかかるように質問してくる。



「先生、あの宗教が怪異の根源なんて……流石に少し早計すぎませんかっ!?」


「とはいえ、僕の推測で言えば、あらかたのことは筋が通ってしまうよ」


「そうですが……でも、皆様にはどう説明すればいいんですか……」



 複雑そうな面持ちで唇を噛みしめる彼女を目線のやや下に見ながら、僕もそっと頭を悩ませた。確かにそこが問題なのだ。身内の怪死を前に、ましてや新興宗教などという火種が投下されたら、一家のなかに軋轢を生んでしまう可能性さえある。それだけは避けたい。



「ひとまず、調査は進めようか。すべて解決して、話はその後でも遅くはないでしょう」


「……分かり、ました。それで、どのように動くのですか?」



 不安そうな上目遣いにひとつ頷いてから、僕は端的に告げる。



「宗教の教祖に接触します。それがいちばん手っ取り早いはずなので」

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