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第四話:焼け跡の怪異

 その村は最寄りの鉄道駅から数分ほど乗合バスを走らせたところにあった。町から外れた郊外の集落といった風合い、田園風景に囲まれる藁葺き屋根が風情を醸している。村から一歩離れた先の森林は見るに人が寄り付かなそうで、化生がいるならここだろうと思った。


 水路に流れる微かな水音を聞きながら、竹垣で区画されている居住区を目指して進む。隣で歩くこまねは朝からずっと浮かない顔で、それが事の大きさを暗示しているようだ。



「……こまねが対処したことのない怪異を僕に押し付けるなんて、本当にあの堂主とやらはなんなんですかね。『私は眠いし忙しいからねぇ、あっはっは』じゃないですよ」


「本当ですよ……。ただの噂とはいえ、今までの怪異と性質が大きく違いますし……頼みの綱は頼りにならないし……あっ、でも、こまね助手として頑張りますからねっ……!」



 先生の初仕事が成功するように支えますから、と、震える手で拳を握る。列車のなかで『あんな話、こまね聞いたことないです……。正直帰りたいですけど……お仕事、お仕事だから……』と弱音を吐いていた姿に比べれば、まだ頼もしく思えるくらいの成長ぶりだ。



「僕も化生や霊障が絡まない限りは大丈夫ですので、この調査は主導させてもらいますね。なにかあったら……それこそ、こまねを頼ります。そのために一緒に組んだんですから」


「えへへ……。そう仰っていただけると頑張れます──あっ、猫だ……!」



 照れ隠しに耳が垂れたかと思うと、彼女は民家の真向かいで寝転がっている野良猫を見つけるや否や目を輝かせて走り出した。服が汚れるのも気にせずしゃがむと、興奮したように顔を見合わせて好き勝手に撫で回している。同族ならではの親近感というものだろうか。



「えへへ、猫ちゃん可愛いですねぇ……。でも、こまねのほうが尻尾が二本ありますよっ」



 変わった優越感の浸り方をしている。いずれ人間に変化していることまで自慢しそうだ。


 これで彼女の不安が少しでも紛れればいいか、と思いながら一人と一匹を見下ろす。猫は不思議そうに二本あるこまねの尻尾を見つめていると、途端にじゃれつきはじめた。



「猫って二十年生きたら猫又になると言いますが、こまねはおいくつなんですか?」


「こまねは生まれつきなので、数えは人間と同じですよ。恐らく二十年近くです」


「なんだ、見た目相応ですね。あやかしですし、僕より歳上だったらどうしようかと」


「先生は……確か二十二歳でしたよね? 構いませんよ、こまねに敬語は使わなくても」


「そうですか? それなら敬語は抜きにさせてもらおうと思いま……いや、思う」



 なんだか新鮮ですね、とはにかむ彼女に僕もつられてしまった。ひょいと気紛れに立ち上がった野良猫を名残惜しそうな目つきで見送りながら、こまねは上目がちにこちらを見る。僕が無言で民家の玄関を示すと、意図を察したのかすぐに居住まいを正してくれた。



「ごめんください。綺月と申します」



 声をかけてすぐに、農夫のような風貌をした中年の男性が扉を開ける。珍しげな、或いは訝しげな面持ちで僕たちを眺め回すと、「また何かの勧誘ならいらねぇぞ」と言い捨てた。



「勧誘……? 僕は丑三堂の綺月と申します。この村で起きた怪異の噂を聞いたのですが、何かご存知でしょうか? 化生の退治を生業にしているゆえ、解決のため参りました」


「化生……どうしてそれを知ってる? 誰かに頼まれたんか?」


「いえっ、こまねたちが聞いたのは、あくまでも噂でして。それが本当なら解決のために動きたいと思い、調査に参りました。おじさまはもしや、何かご存知なのですか?」


「ご存知も何も……噂にある火葬した遺体っていうのは、俺のおふくろだ」





「火葬をしたのは一週間前でな。実物を見たのは俺たち身内と一部の村人、それに寺の坊さんにお医者様しかいない。あん時は度肝を抜かれたぜ。原因は不明だ。怪異としか思えねぇ」



 座敷に通された僕たちは、農夫に話を聞かせてもらうことになった。彼の他には農作業に出ている妻と祖父、そして町に住んでいる二人の子供が火葬に立ち会った張本人らしい。


 主人は囲炉裏を挟んで対面すると、片膝を立てて座りながら探るように訊いてくる。



「お前たち丑三堂というのが、怪異を祓ってくれる町の祓い屋みたいなもんか?」

「そうですね。この件に化生が関与するようでしたら、僕たちが対処させていただきます」


「うむ……しかし化生と言ってもだ。確かにここらは化生の噂も出る。だが、死んだ人間の焼け跡から髪だの歯だのが出たなんぞ話は聞いたことない。少なくとも俺は知らん」


「申し訳ながら、僕もこまねもそれに関しては同じです。ですので、まずは情報を集めさせてください。なんでも構いませんので、手がかりになりそうなものがあれば」


「……分かった。見せたいものがあるから少し待っとれ」



 もしや──と隣で縮こまるこまねの胸中を察しながら、僕も乱れかけた気息を整えて覚悟を決めておく。やがて彼が持ってきたのは、両手に収まる大きさの蓋が付いた木箱だった。



「おふくろはずっと病気もせず、死ぬ直前まで町に出かけるほど元気だった。医者の先生も老衰死だと診断してな。じゃが、これを見た先生も坊さんも──原因不明だとおっしゃった」



 農作業でこわばった手がゆっくりと木箱の蓋を開けていく。ほんの一瞬だけ焦げたような臭いがして、瞬間、目を背けたくなる生々しさが視界に入った。脂のようなものが固まり、或いはそれに塗れた長短様々な毛髪と、乳歯も永久歯も不揃いな、おびただしい数の歯。触れれば粘液を引いて伸びるのではないかというほどに穢らわしい、人間の一部そのもの。


 顔の筋が引きつるのを感じながら、締まった喉を無理やり震わせて声を出す。



「……これが、焼け跡から?」


「あぁ。形を残しているものはすべて入れてある」


「なるほど……。こまね、ここから邪気って感じるかい」


「……いえ、まったく。何かが変、ですよね……?」



 ──化生が持つ邪気。それは恐らく一般人よりも通霊の者がより鋭敏に捉えられる。僕の経験でいえば、無数の視線や空気の淀み、そして昨日のような強い悪寒、これらは接触が近い予兆だと判断している。そして、彼らが残した痕跡はすぐに拭えるほどヤワではない。存在した、誰彼に憑いていた、触れていたと感じさせるものが──しかし、これにはなかった。



「ご主人。老衰死ということは……寝ているうちにそのまま、という感じですか?」


「昼寝の時だった。年齢を考えれば畳の上で大往生での。それだけに最期がこれでは……」


「……怪死は怪死だけれど、ここに化生の痕跡はない、か。探るなら外だね」



 それとなく呟いた声に、農夫が木箱の蓋を戻しながら反応する。



「若造、今日中にとは言わねぇが結果は掴んでほしい。おふくろもこれじゃ浮かばれねぇし、なにより噂が立ったままじゃ村中が辛気臭せぇんだ。我が家の風評も下がる。俺から宿のほうに手配しておくから、長くなっても構わん、二人でなんとか解決してくれねぇか」



 しっかりと彼の意向を確認したところで、僕はひとつ頷いてから立ち上がる。



「──調査を始めるのは夜にしましょう。お手数ですが、宿の場所を教えていただいても」





「おーっ、二人で寝泊まりするにはちょっと広いですねぇ」


「そうだね。でも、のどかな村だからゆっくりできるでしょう」


 それは宿といっても、二階建ての空いた民家を改装した感じだった。上階の端部屋に泊めてもらうことにした僕たちは、農夫の好意でもっとも広い十二畳の部屋に案内してもらった。一通りの調度品はあつらえてあるし、目立つような不満もひとまずは見当たらない。



「座卓に座椅子に……あ、珍しい、本棚もある。床の間に工芸品も飾ってあるとはなかなかだね。押入れのなかは寝間着と布団で……うん、こんなものでしょう。充分だ」


「ちょっといいお部屋ですね。宿そのものに瓦斯ガスも通っているみたいでした」


「瓦斯の風呂にも入れそうですね。町から離れると流石に普及率はまばらかもしれない」



 窓硝子の向こうに、先程と変わらない田園風景が見える。空気を入れ替えるために風を取り込んでみると、心地よい感触が肌を撫でていった。近くに水路が流れているのか、微かに水音のようなものも聞こえる。朝から雑踏に塗れた丑三堂の往来にはなかったものだ。


 窓際で尻尾を振って楽しんでいる少女を横目に、僕は座椅子へ腰掛けて一息つく。



「こまね。今回の怪異、化生が原因だと思うかい」


「えっ? いや……化生の仕業には、見えないです。襲ったとかでもないですし、仮に化生がそのおばあさんに憑いたとしても、邪気の痕跡も残さずにいられるのは難しいですよ」



 神妙な、やや参ったような表情で苦笑しながら、彼女は僕の真向かいに座る。しかし「先生が視たことあるかは分かりませんが、考えられる話で言うならば」と人差し指を立てた。



「化生は基本的に低俗なものです。こまねたちが思いつく基本的なものは、みんな化生です。ただ稀に、それより位が高いといいますか、俗ならざるものが起こす怪異もあります」


「──神、だったり? 氏神や土着神のような」


「はい。きっとこの地域にも氏神様はいらっしゃいます。今回の場合は『魅入られた』と表現するのが適切ですが……普通に考えて、魅入った相手にあんな酷いことをするかと」



 伏し目がちにそう説明するこまねの声が重々しくて、神というのがどれほど厄介なのかを実感する。下手をすれば化生よりもタチが悪い、怒らせてはならない高次の存在。ともすれば亡くなった老婆というのは、神の意向に背くようなことをしたのだろうか。


 彼女は何度か迷ったように視線を彷徨させると、膝の上に乗せている手を落ち着かない素振りで揉みながら、一回二回と深呼吸した。吹き抜けるそよ風がその白髪を揺らす。



「その……神が起こす怪異について、もう少し詳しく説明しようと思うのですが……。先生に対して、これはお話してもよろしいことなのか、少々悩んでおりまして……」


「……なんだい? 業務のことですから、ある程度は大丈夫だよ」



 わずかな胸の痛みを感じながら、平静を装って返事する。こまねは意を決したように小さく頷くと、そのまま卓に身を乗り出すような勢いで僕と顔を見合わせつつ告げた。



「──先生がお兄様と離別された原因になった神隠しも、文字通り、神の起こす怪異です」

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