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文学探偵とあやかし奇譚
水無月彩椰
現代ファンタジー異能バトル
2024年07月16日
公開日
50,832文字
連載中
没落華族の小説家、綺月彩佳は、怪異による兄との離別をきっかけに『一度見たものを決して忘れない』異能力に苛まれていた。いつか怪異というトラウマを克服し、兄の死の真相を追い求める──そう決意していた彼の前に現れたのは、『定期的に記憶がなくなる』という給仕が生きがいの猫又の少女、こまねと、すべてがベールに包まれた青年、通称”堂主”。

そんな二人が看板を掲げるのは、東京都・某書店街の一角にある、深夜しか営業しない古書店”丑三堂”──しかしそこは魑魅魍魎による怪異を調査・解決するための、異能力者による探偵事務所だった。過去の強いトラウマを抱える”似た者同士”の異能力者はお互いの境遇を詮索しない。そんななか、彩佳はこまねの異能に意義を見出し、丑三堂で自らの目標を果たすことに決める。

人間嫌いな人間、彩佳と、人間好きなあやかし、こまねの二人は業務上でバディを組むことになり、怪異への調査を堂主に任せられるが──。これは過去との清算を果たすべく、いつからか身に巣食うようになった異能と向き合う少年少女たちの物語。

第一話:怪異

  宵が煙る逢魔ヶ時の林は、神隠しにでも遭ったかのような異質さだった。鬱蒼とそびえる木々の枝葉が地面に闇を描いて、隙間から射し込む斜陽の茜は、血にも似て深い。


 隣を歩く少女の顔すら見えにくいが、かろうじて浮かんでいる影には、二つに分かれた尻尾が揺らめいていた。歩くたびズレる眼鏡の位置を直す僕に、軽快な声色で彼女が告げる。



「綺月先生、少し足取り早めにお願いしますっ。このまま夜になってしまったら、私のアイデンティティである白毛の意味がなくなってしまうので。白毛は昼間こそ映えますから」


「……貴方、猫又のこまねといいましたよね。僕らが堂主から依頼されたのは、こんな林のなかに入って警察ごっこをすることではないでしょう。上司の依頼を無視ですか」


「いえっ。ですが、人間さんのお困りごとでしたら、道中でもこまねは断りにくいもので。とはいえ早く解決するに越したことはありませんから、先生の態度にかかっています」


「林に異変がないか、代わりに巡回してくれ──というのが? よそ行きのこの格好で?」



 ウェーブの入った白髪をなびかせながら、少女は返答代わりに尻尾と耳を揺らす。臙脂に白の映える和洋折衷式のメイド服とやらは、街から女給がそのまま出てきたかのようだ。明らかに林に入る格好ではないし、僕とて袴まで締めた以上、土を踏むのは本意ではなかった。



「先生のお召しもお似合いですよっ。林に入るのは、流石にこまねも想定外でしたが……」


「とはいえ、あの村人の話を即諾したのは、──っ!?」



 刹那、血の気が引くような悪寒に足を止める。ここに足を踏み入れた時の肌寒さでもなければ、春先のそれでもない。ただ何かがおかしくて、何かがいる。それを物語るように、僕の革靴が硬いものを蹴った。カランコロンと鳴る骨。柔らかな小動物の死骸たち。


 ──少し向こうで宵闇に揺らめく、人間の形に成りきれない、黒より暗い影。


 それを認識すると同時に、心臓が締め付けられるほど痛んで早鐘を打ち始める。小刻みになっていく呼吸を無理やり止めながら、胸を押さえたいのすら我慢して平静を装った。



「……怪異。堂主とかいうあの青年、謀りましたね。貴方も共謀というわけですか」


「こまねは堂主に頼まれただけですので、文句は堂主にお申し付けください」


「まったく……。待遇の良い古書店の仕事かと思ったら、化生相手なんて話違いですよ」


「待遇は良いですよっ。だって先生、あの化生が“視える”んでしょう?」



 彼女はこんな状況でも弾んだ調子を変えないまま、確かめるように訊いてくる。他人の手前で平生を気取っている僕とは大違いだ。そもそも、知ったうえでここに来ているのだから。


 ──兄を亡くした幼少期の出来事がフラッシュバックする。あれも逢魔ヶ時の林だった。宵に呑まれたとしか言えない、たった一瞬の神隠し。けれど僕は、闇に一瞬、怪異の姿を見た。だからきっと、視えなくてもいいものが、あの日を境に視えるようになったのだ。



「綺月先生、ぼーっとしていたら真っ先に襲われますよ──ほらっ」


「なっ……!」



 反射的に後ずさった瞬間、どす黒い影から覗く単眼だけが間近で僕を見ていた。しかしそれも一瞬、やつは逃げ帰るように地面を辷っていくと、また距離を置いて静止する。咄嗟に止まっていた息を吐き直してから、自分が半透明の箱に守られていることに気がついた。


 金縛りみたく身体がすくんで動かない。既視感のあるあの影から目が離せない。少しでも動こうものなら、すべてが瓦解してしまう──そんな支配に苛まれていたはずが、なぜだか馬鹿馬鹿しいほど嘘のように引いていって、この箱のなかこそが安穏だと、ふと思った。



「さて、先生も“視える”側であることが確認できましたし、これにて依頼は終了ですねっ。あとの処理は他の者がやってくれますので、こまねたちは帰りましょうか!」


「ちょっ──待ってください、この箱はいったい……」


「〈いおり〉。こまねが出した結界です。先生を守るために堂主から同伴を命じられたんですよっ。ただ、それしかできないので、後処理は専門に任せましょうってことです!」



 フリルエプロンの付いた袴を軽やかにひるがえしながら、彼女は踵を返して、もと来た道を戻ろうとする。けれど途中で思い出したように振り返ると、影に向かって手を振った。


 ──それを合図に、落雷にも似た閃光と衝撃音が辺り一帯を吹き抜けていく。咄嗟に目蓋を閉じたのも束の間、次の瞬間にはその余韻すら失せていって、だんだんと耳に馴染む自然の音だけが残されていった。頬を撫でる生暖かい風に、少女の快活な笑い声が混じる。



「さぁ、それでは、丑三堂に戻りましょうか。堂主も待っていますからね!」



 目蓋を開けば闇を遮る黒もなく、辺りはすっかり宵に染まっていた。

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