体の奥底に氷の塊が投げ込まれたみたいに、急激に体が冷えていく。見間違いじゃない。最初に出会った時と同じオリーブ色のローブみたいな服に、それに溶け込むように淡い色の瞳に白い髪。あどけない顔。間違いなく彼だ。
──でも、なんで? 先行していたはずじゃ。
城の方を見ているソーニャは気付いていない。見ていたとしても目的の人物だとは気付かないだろう。不意を突かれる形で少年と再会し、動揺してしまったけど、前回のような無惨な結果にする訳にはいかない。
「ソーニャ私達が探していた人がいる」
「え?」
少し声のトーンを落としてソーニャに伝える。少し早口になってしまった気がするがソーニャは聞き取れただろうか。それを確かめている時間は無さそうだった。こちらは決して準備万端とは言えない状態だ。すぐに馬車から飛び降りた。
三人で話し合って決めた作戦を理想的な形で実行する事は叶う可能性がなくなってしまったが、後手には回りたくない。
馬車から降りて、研究員の前に出る。カジキに声をかけようとしたけど、馬がいるところにカジキの姿はなかった。
兵士の方は、事情を知らないのとまだ何もしていないからか少年に対して特別反応はない。視線をやって認識はしたくらいだろうか。
──ソーニャはすぐにこっちには来られないだろうし、私が彼の気を引くしかない!
当初の予定からは外れてしまったけど、あちらが行動を起こす前に動いて先手を打たなければならない。目を潰されたら、そこで終わりだ。前と同じ末路を辿る。
「今度はフェロルトの聖遺物を狙いに来たの?」
「ん?」
更に数歩前に出て少年に話しかけて、こちらに意識を向けさせる。少年は私の方を見ては首を横に傾けたけど、正面に戻すのと同じタイミングで見る間に口角を上げていった。嗜虐的なような、至純な子供のような。
それでいて、瞳からは何の感情も読み取れなくて。それがゾッとする。
カジキはこの少年も人間だと言っていたけど。私にはどうも人間のようには思えない。今までの行動からも。不気味に感じてしまう。
「また会ったね? お姉さん。帰るのに必死だね」
──その言葉は彼にも言える事だ。いくら帰りたいからと言って、彼ほど私は非道にはなれない。
「帰るのに『聖遺物』がいるみたいだからって、あなたも必死に奪ってる」
「奪う? 違うよ。取り返しているだけさ」
──取り返す?
悪びれないで彼は答えたけど、疑問が浮かぶ。取り返すというと、元々自分の物かのように聞こえる。各国が保管しているという過去の遺物である『聖遺物』の見た目はわからないけど、聖遺物の正体は過去の──私の知る地球の物だ。
だから過去同じようにいたから、という理由なのか。ただ、何だかしっくり来ない。
「じゃあ──」
もっと話を引き伸ばして、とにかく気を引いていたけど、検問所での事が頭に浮かんだ。あの時、話している途中で魔石の力を使われた。会話だけでは意識をこちらに留めておく事は出来ないかもしれない。ここは無理に話を続けるより戦いに持っていった方が良さそうだ。急ぎ剣から鞘を抜いて、彼へと向けた。
「おい、ここをどこだと思っている! 王の御わす城の前だぞ!」
少年に先手を打とうとしたら、声が乱入した。鎧の音がこちらに近付いてくる。
──そうだ、今完全に忘れてた!
ここは城の前で、兵士が一人残って番をしているんだった。振り返ってみれば、兵が眉をつり上げて明らかにこちらに向かって来ている。剣を抜いているのは私なのだから、当然私に言っているのだろう。かといって、目の前には今生最大の敵がいる。剣を引く訳にはいかない。
それどころか、私の方が別の事に気を取られてしまった。今は周りの事は無視して、少年の方に意識を戻す。
そうしたら、少年の背後から人影が飛び出した。剣を振り下ろしにかかっている姿が見えて。次に少年が振り返ると同時に後ろに体を引く。間一髪といった感じで剣が少年の前を横切って空気だけを攫った。
「……あぶないなあ。今、ぼくの首狙った?」
さすがの少年も背後からの急襲に焦ったのか、声に感情が乗っている気がする。少年に襲いかかった人物であるカジキと目が合った。それにハッとする。手から滑り落ちてもおかしくなさそうだった剣を握り直す。気付かず緩んでいたらしい。一呼吸だけして、少年の背中に向かって剣を振るった。背後から怒鳴り声が聞こえた気がしたけど、無視だ。
深くは入れない。浅く。その分速く。少年の気を散らせにかかった。
「振り回さないでよ、そんなの」
当然のように避けられたけど、こちらの剣を受け止められてはいないし反撃されてもいない。それは小さくも大きな違いだ。
──いける……このまま魔石を手放させれば!
少年の手はわかっているというのも違う。何とか気を逸らし続けて、このまま魔晶術さえ発動させないでおければ、武器を持ってなさそうな分と人数の有利さがある。
でも、肝心の魔石はどこにあるのかがわからない。今のところ、魔石らしきものは見付からない。集中する時に無意識でも意識的でも触る人が多いのに。これは取り押さえた時に引っ張り出すしかないかもしれない。
「カジキ!」
相手のペースを乱させて、こっちのペースに引き込みたい。カジキに再度反対側からの奇襲をしてもらおうと呼びかける。
少年がカジキに背中を向けていたからか、カジキは既に切りに入っている。少年が危機感を持った鋭い剣は圧を感じそうだ。それが、より少年に心理的にダメージを与えてくれるのではと感じさせる。
ハッキリ言って、私のは斬る気をあまり感じさせないのではないかと思う。でも、ここから見てもカジキの剣は私にはどちらかわからない。本気で、首をとりに来ているのではないかと思ってぞっとしてしまう。
目の前で、何かが散った。
落ちていったそれにぎょっとして地面に目がいく。服と髪が少し切れたと思しきものが散らばっていた。血らしきものはない。傷は負わせていないらしい。
「……ああ、もう。邪魔だなあ」
今までの軽さったり、無感情を思い起こさせていた少年が、煩わしそうに呟いた。
──あ。まずい、かも
何となく良くない予感がした。動揺でカジキに続けていない。