「──うひぇいぅあッ!?」
次の町に向かって馬車が走り続けていた。
馬車は大きな揺れもなく、むしろ心地良いくらいの振動。そんな訳だから、ちょっとウトウトしかかっていた。主な話し相手であるカジキなんかは、とっくに腕組んで眠っていたし。
そんな時に、いきなり何がなんだか分からない高い音が過ぎ去っていった。それだけだったら眠気が完全に無くなるものでもなかったんだけど。馬車全体が大きく揺れて、体が一瞬浮いたので眠気が吹っ飛んだ。
「なっ、な、何!?」
「ご、ごめん、おち、おち落ち着いて!」
「どうした」
いつの間にか、先に眠っていたはずのカジキが御者台の方まで近寄っていた。遅れて御者台の方を見たら、ソーニャは馬を宥めているように見える。馬は大暴れしているとかでも無さそうだ。
──その時。嫌な羽音みたいな音が聞こえた。耳元ではなく、正面から。
それと同時にソーニャの悲鳴が届いた。
「まっま、また来たーーーー! ヤムシーー!」
ソーニャが体を思い切り逸らした。逸らして空いたところから音の正体が姿を見せた。人間の頭二つ分の大きさの蜂のような姿の虫の姿が見えた。
──ヤムシ。
蜂が巨大化したみたいなその虫は虫嫌いが見たら卒倒するかもしれない。私は
「イルベリ、ソーニャ、一旦外に出ろ!」
カジキに促されて、何も考えず後ろから飛び出した。ソーニャたちの方は見ていないけど、大丈夫だろう。
馬車から降りて周りを見渡してみたら、同じ奴らが何匹も空を飛んでいる。正面にいた一匹だけじゃなかったらしい。本来でもブンブンという羽音を聞いたらドキリとするのに、彼らが空を飛ぶ音は鳴り続けている。つけっぱなしの古い扇風機みたいだ。
「な、なんでヤムシがこんなにいるの?」
ソーニャの明らかに動揺した声が後ろの方からした。私の方で見えるのは五匹。ソーニャたちの方にも何匹かいるみたいだ。
しかし、ヤムシと呼ばれる虫にしては大きなこの虫。今までに出会った経験はあるけど、こういうモンスター的なのは虫より獣の方が多く出会っていた。あまりヤムシについては詳しくは知らない状態だ。蜂に似ていて、針もあるけど毒はないとか、ハチミツはこの虫からではないとか、それくらいだ。
「うわっ!」
ヤムシが何かを飛ばしてきた。動いたのだけが分かったから、嫌な予感がして咄嗟にその場から飛び退く。私がいた場所には、氷柱かと思うほどの大きさの針が刺さっていた。毒はなくてもあんなものが刺さったら終わりだ。
見てみたら、飛ばしただろう一匹のヤムシの尾からは針がなくなっている。即座に再生するとかは無さそう。でも、何の躊躇いもなく、あの針を飛ばしてくるのか。ということは、私達は彼らに敵だと認識されたという事だろう。
剣を鞘から引き抜く。五匹。あちらは空を飛べる。凶器持ち。あまりやれる気はしない。が、残念ながらやる以外の道がない。
──って、言っても
「怖っ……!」
今度は鋭利な針先を構えて突っ込んできた。横に体を傾ければ顔スレスレで通り過ぎていく。生ぬるい風が頬を撫でていったのを感じ取ったけど、遅れて何かが肌を伝っている気がする。それが冷や汗が流れ落ちたのか、かすれて血が出たのかわからない。
確かめる余裕もない。避けれたと思ったら次々飛んできた。それを足がもつれないように大きく動いて避けていく。幸い飛行スピードは避けれないほど速くはない。
最後に飛んで来たヤムシには剣を向けて、振り上げた。でも、当たらなかった。私にも当たらなかったけど。
避けれるけど、剣を当てるのには遅いんだろう。標的は大きいのに。
「っそっち、大丈夫!?」
数も多いし、速度もそれなり。防戦一方って感じのこちら側だけど、ソーニャたちの方も気になる。あっちのヤムシの数はわからないから余計に。
「だめかも……」
「えっ?」
今まで接して限り、ひたむきで明るく健気な印象のソーニャから出たとは思えない弱々しい返事。もしかして、こちらの倍以上いるのだろうか。
「やば、っ」
二人の方を気にしすぎた。ヤムシが二匹迫ってきていた。急いで剣で払いながら後ろに下がる。でも、さっきはギリギリで避けられていたそれが今度は完全には避けられなかった。頬がヒリヒリと痛み、熱い。
「こっちは今三匹まで減らした! そっちはどうだ」
「五匹!」
脈が速くなっているのを感じる。ヤムシたちから目を離さないように、避ける事に集中しようとしたらカジキの声がした。あっちは三匹らしい。最初が何匹かはわからないけど、そう経たずに加勢に来てくれそうだ。
数だけ伝えて、戦闘に戻る。頭の高さぐらいに飛んでくるヤムシに対してしゃがんで回避する。それだけで数匹が上を飛んでいった。残ったヤムシは私に合わせて低空飛行で突き刺しに来た。上半身を捻って力いっぱいに剣を振るう。
「い゛、ッ!」
ずくりと、体の芯の方から鈍い痛みが広がった。汗が噴き出したのがわかる。
移動中もあまり体を動かしたりせず体を休めていたし、痛みが結構和らいでいたから忘れかけていた痛みが来た。そうだ、私はあの少年から結構な痛みを味わわされた怪我人なんだった。
そんな我が身から出た一撃なんて、あまりにも
せめて一匹だけでも倒したいという想いと、カジキ達がこっちに加勢に来るまで耐えたいという想いでぶつかり合っている。
現実的に考えたら、今はどちらも厳しそうだけど。
でも、何とかやれない事はないか?
なんて。自分で自分の気持ちを押していた。