「ソーニャ」
「どうしたの?」
聞きたい事が大体聞けたところで、男性の声がした。男性がソーニャを呼んでいて、ソーニャが側から離れていく。その際に「ちょっとごめんね」と私に謝ってから声のした方へ向かった。彼女と出会った時、確か一緒に働いている人の中に男性がいたから、その人じゃないかと思う。
ソーニャは寝ているように言ってくれたけど、いつまでも仰向けのままでいても仕方がない。体は痛むし、サッとは無理だけど力を入れて上半身を起き上がらせた。起き上がるのに、腹筋にも力をいれたから余計に痛んでお腹をさするハメになったけど。それでも、起き上がる事には成功した。
お陰で、私のいる位置からソーニャと男性の姿が見えた。二人はそんなに離れてなかった。
──何か話してるみたいだけど……全然聞こえない。
目が悪いわけじゃないけど、表情もわからない。わかるのは、二人がいて話している事と、動き。
男性は落ち着いた様子で話しているみたいだけど、ソーニャは手やら体自体やらよく動く。私にわかるのは、どうやら最悪な話では無さそうだな、ってくらいだ。
「あ、もう戻ってくる」
そんな長い話じゃなかったみたいだ。ソーニャがくるって回転するみたいにこっちを向いて、戻ってきた。
「何の話?」
「うーんとね……ここから一番近い町は一日もかからないんだけど、そこの兵に救援を求めに行ってた人がいたみたいで。何人か連れて戻ってきて、二人が色々話していたみたい」
起き上がっていた私に怒る事も、話の内容を聞いてきた事に嫌がる事もなく、ソーニャは教えてくれた。馬車の中に入って、私の近くに座ってからソーニャは続ける。
「事情を聞いたら感謝されて……後はこちらでやるから、旅券だけ見せてくれたら行っていいって」
「そっ……かぁ」
この国境検問所の一連の事はもう終わりに向かってる。私も早くあの少年を追わないといけない。
問題は旅券だ。お金を借りる予定だったカジキがいないし、会って間もないソーニャにお金を借りるのも忍びない。今回の一件で、兵の人にとても頼める雰囲気じゃない。
正攻法で行くなら、どこに行ったかわからないカジキを待つか、頼み込んでソーニャに借りるか。こんな立て込んでいる中作ってもらう事は避けられないけど。ここは色々呑み込んでやるしかない。私は少年を追って、聖遺物を取り返さなければいけないんだから。
「わたし達もそろそろ行こっか?」
「……へ?」
そうなったら、カジキを待っている時間もないしソーニャに頼むしかないかも、なんて。思い始めたところでソーニャに声をかけられた。
「わたし達?」
「イルベリちゃん、怪我してるでしょ? 町まで送るよ」
荷馬車に運び込んだだけでなく、手当てまでしてくれて。その上に町まで送ってくれようとしてくれているようだ。少しでも体を休めて回復に努めたい気持ちがある。彼女たちが去ってしまう前に、乗せてもらいたい。
やはり、頼むしかない。カジキみたいに取引相手ならまだしも、厚意で色々としてくれたソーニャに頼むのは気が引けるけど。
「言いづらいんだけど、実は」
不意にくぅ、と音がした。遮るような大きな音ではなかったんだけど、急に鳴った音が気になって音のした方である下を見る。私のお腹がそこにあった。
──そういえば、一日寝てたんだった。一日何も食べていないんだから、お腹も空くか。
意識したら、余計にお腹が空いてきてしまった。
「はい、食べる?」
目の前に何かがやってきた。包まれていて姿が見えなかったけど、開かれてすぐに正体がわかった。
──パイだ。
綺麗な焦げ目に、オレンジ色と黄色の果物が乗っていてツヤツヤしてる。トドメに香ばしい良い匂いがして、食欲がどんどん増していくのがわかった。
「いいの?」
「もちろん! お腹空いたよね。わたしも食べよっと」
ソーニャは躊躇っている様子は一切なく、渡してくれた。もう一個、近くにあったリュックから取り出して同じものを頬張り始めている。パイの良い音が聞こえてきた。お腹も空いているので、有り難く私も食べる事にする。
ザクザクのパイは、柑橘系の酸味と爽やかな香りがした。パイ生地自体は甘いんだけど、果物が甘酸っぱくてどんどんいける。
一カットにされた物だけど、お腹が空いていたのもあって、あっという間に食べ終わってしまった。中にも果肉がゴロゴロ入っていたお陰で、とりあえずはお腹の機嫌は良くなったようだ。
「美味しかった」
「美味しいよね! わたし、このパイ大好きなの」
かぶりついて食べていたソーニャが、口の周りにパイのカケラをつけながら激しく同意した。ソーニャの大好物らしい。空腹もありはしたけど、確かに美味しかった。
初めて食べたパイだけど、私もこのパイは好きかも。今までに見た事は──どこかであるかもしれないけど、少なくとも食べた事はなかった。
「どこで売ってるパイなの?」
「王都にもあるけど……やっぱり一番いろんな場所で売られているのは、わたしの故郷かな。あ、これも食べる?」
リュックから更に違う物を出して、渡してくれた。そっちはしっとりしたビスケットだ。形的にはショートブレッド。形とサイズ的には黄色くて四角い箱のあいつが、思い浮かべやすい。
パイ一切れでは足りなかったので、こっちも有り難く受け取って食べる。
「ソーニャはどこの出身なの?」
「わたし達はセルーネ! フェロルトを越えないといけないし、フェロルトみたいに大きな国じゃないけど海がよく見える国で綺麗だよ」
「へー、ビア国に似てるね」
痛みから地図を出すのが億劫で出せないけど、大体の位置は思い浮かべられた。
遠いけど、ビア国と同じで端の方にあって海を臨める国。ビア国の場合は山岳地帯が結構あるけど、セルーネ国も多いのかはわからない。ただ少し似ている国。
「ソーニャはフェロルトで売ったらセルーネに戻るの?」
「うーん……そこはね、ちょっと……わからないかも」
「お話中悪いわね、お二人さん」
厚意に甘えて食事をしながら話していたら、女性が顔を覗かせた。今までたくさん笑ったのか、目尻にシワがあって、声も何だか歌うように明るくて、やわらかい印象の人だ。
「そろそろ出発するけど、大丈夫だね?」
「はーい」
「えっ!」
有り難いけど困る。
ここで「いいえ」以外を言ったら、確実に出発してしまう。
「すみません! 実は、私旅券を持ってなくて、通れないんです」
「あらま。お金はあるの?」
さっき言いそびれたけど、ようやく旅券がない事を伝えられた。女性は驚きつつも旅券に必要なお金について聞いてくれた。残念なことに、そのお金すら無いんだけど。
「多分……足りないです」
「旅券ならあるぞ」