やっと見えた国境検問所に、私達は走って近付いていく。走り始めたばかりなのに、体全部が一つの心臓になってしまったみたいにバクバクと脈打っているのがわかる。倒れている兵士は動かない。生死のほどを確認する余裕はなかった。
簡素な建物が二つの門を作っているような検問所には、背中合わせた門同士の境界線から先に隣国の兵がいるはずだ。でも、その隣国の領地に兵は立っていない。見える範囲にあるのは倒れ伏せている兵たちの姿だった。
倒れてはいるけど、血は地面に散らばっていたりはしない。武器によるものじゃない。魔石によるもの──魔晶術だ。
「あれか?」
顎をクイッと上げてカジキが示す。
倒れた兵の更に向こうには白い布がはためいていた。焦点が定まる。近くには兵が倒れているのに、悠々と道の真ん中を歩いている姿。
その後ろ姿は、あの日、あの路地で見た後ろ姿そのままだった。
「いた! 待て!」
そんな遠い距離ではないし、気付かないほどではないのに。後ろの私達なんてまるで気にしてない彼に呼びかける。
彼の足が止まった。その間に私達は駆け出して追いついた。薄く、溶けてしまいそうな少年が、振り返る。初めて出会った時に見た光景を再現しているみたいに、あの時と同じ景色みたいに見えた。
「あれ」
また、同じ。
同じ場面を繰り返し見せられているように、少年は同じ反応をした。
「どこかで見たかな」
でも、そこからが違って。あの時とは違う事を言った。それで、同じ場面じゃないんだ、なんて当たり前の事を思う。
──隣のカジキが既に剣を抜いているのが見えた。
でも彼に向かっていく様子はない。多分、私との決め事を守ってくれているのだろう。彼と話す時間をくれている。
この状況。兵たちは彼の魔晶術によって倒されたんだろう。
古代の遺物である『聖遺物』を持って逃げる彼にとっては、兵は障害でしかないから。だから、あまり近付くのは危険であるのは承知で、逃げられたくない気持ちがあって数歩近付いた。
「聞きたい事があるの。あなたが言った言葉……その意味を詳しく知りたい」
「言った? ぼく、何か言ったっけ?」
思い当たらないような口ぶりで、きょとりとして私をじっと見ている。だけど、しばらくして「ああ」と今思い出したように続けた。
「そうか。うん、言ったね。意味が知りたいの? そのままだよ」
あっさりと彼は認めた。何の感情もこもってない声で。
例えるなら、そう。大して興味もない世間話のやりとりの一幕みたいな。同じなんて言っておきながら出た言葉とは思えない。何とも言えない気持ち悪さがある。本来あるものに何かがあって、何かがない。そんな噛み合わないような感じだ。
嫌な感じはあったが、彼が認めた以上もっと聞かないといけない事がある。
「あなたは……帰る方法がわかるの?」
「うん」
「もしかして、それは──」
──聖遺物なのか、と。
言い終わらない内に。突然視界が真っ白になった。強い光で目を開けられずに両目を閉じる。
光が起きるなんて、どういう事だろう。何か反射でもしたのではないかと思いつつも、光が収まなくて目が開けられない。何秒、眩しさに耐えているのかわからない。多分一分にも満たない時間だと思うけど、長く感じられる。
光が収まるのを待っていたら、急に肩に何かが当たったような感覚が起きた。遅れて鈍痛がじわじわと支配する。痛い。痛みが膨れ上がってきた次には足に同じような痛みがやってきた。足に力が入らなくなってくる。
「な……づッ、んだこれ」
何も見えないせいで何が起きているのか本当にわからない。剣に手を伸ばして鞘から引いていく。手汗で滑りそうで、強めに柄を握って。
でも、お腹に重い痛みがぶつかって。手の力が抜けた。腹を強く殴られたような衝撃だけでなく、そのままその拳をメリメリと押し込まれているかのように痛みが強まっていく。
「そう。そんな変な風に呼ばれてるけど。帰るのに必要なんだ。邪魔しないでね」
痛い。
痛い。叫びたくなるほど、痛い。
叫ばないように唇を噛んで、何とか声を上げずにいた。
真上から少年の声が聞こえる。眩しさが消えた気がして目を開けた。まだ目蓋の上に光が残っている気がして、チカチカする。そこに少年はいた。
目の前にいるのに、手が上がらない。
──私だって、帰りたい。
いや、私の方が、もっともっと帰りたいんだ!
「お前こそ……ッ邪魔を、するな……!」
疲れた。大変だった。
仕事。人間関係。お金のやりくり。世間の風潮。その他諸々。
──でも、ささやかな幸せだったり、家族だったり、友人だったり。趣味だったり。そういう大切な物があった。
動画を見たり、美味しい物を食べたり。当たり前だった。
私は、
半ば諦め気味だったところに、見つけた手がかり。なのに。唯一知るこの人は、邪魔をする。
やっと見つけたのなら、諦めたくないのに。
痛みと一緒に重りを乗せられたみたいに体が重くて。体が、全然動かない。
──少年は離れていって。でもそのあとにカジキの足が見えた気がした。
でも、私は意識が揺らいでいって。痛みと体中の重さで意識が沈んでいってしまった。