「ところで。旅券は持ってるよな?」
「え?」
戦ったりしながらも、林と草原を行き来して国境検問所に向かい続けていると、不意にカジキが言った。いきなり言われて一瞬頭が追いつかなかった。唐突だったのもあるけど、内容で一番固まってしまった。
旅券。パスポート。地続きとはいえ違う国に行くのだ。隣県に行くのとは訳が違う。必要な物くらいあるだろう。
すっかり忘れていた私が、旅券なんて持っている訳もない。王都に行くのも大変な身なので、そもそも作っていない。
「奴さんが国越える前に捕まえたいが、国を跨がないとは限らないからな」
検問所辺りで捕らえるつもりでいただろうカジキだけど、持ち歩いているんだろう。王都付近でやっているとはいえ、仕事上他国まで足を伸ばさなきゃいけない事もあるだろうし。というか、発言からして、例の白い少年が国境を越える可能性も考えて忘れず持って来てる。
つまり。情けない事に、手を組む事を言い出した私の方が持ち歩いていないという。
「……その顔。さては持ってないな」
顔に出ていたらしい。言い当てられてしまった。
「もし、かして……王都まで戻らないといけないでしょうか?」
旅券周りの事はあまり知らないが、旅券を持っていないと検問所を突破出来ない。もらえるとしたら、王都だろう。大分進んできてしまったから、叶うなら引き返すなんていうのは避けたい。旅券について詳しく聞く事と併せて、一番気になる部分を尋ねてみる。
「いや? 王都の方が安いが、検問所でも手に入るぞ」
「あ……そうなんですか」
検問所でも手に入ると聞いて、ひとまず安心した。私の知っている現代地球とパスポートの作り方と比べていたらキリがないから、そこは置いておく。今大事なのは、国境検問所で手に入れる具合的な方法だ。不法入国なんてしたら、こっちが追われる身となってしまうし、何があるかわからない以上あった方が良い。
「検問所で旅券をもらうには、何が必要なんですか?」
「そりゃぁ……一番は金だな」
「お金」
少し溜めたカジキから出てきた答えは、現実的なものだった。お金と言われると、旅券を手に入れられるか不安になってくる。王様からお祝いで多少もらったお金も、自分でいくらか持ってきたお金も、これまでに宿泊だったり買い物だったりで、それなりに減ってきているのだから。
払える自信は正直なところ、ない。
「どれ、くらい……?」
「そうだな。変動するからはっきりとは言えないが……王都の良い宿に一、二泊できる」
「なんで、例えたんですか」
王都に来たのはつい最近で、しかも良い宿の値段なんて知らない。宿なんてたくさんあったから、そんな比較とかもしていない。彼は所持している以上、わからないなんて訳もなく。ただただ、ふざけているだけだろう。
「良い宿の、良い部屋だぞ? でも一番高い宿じゃァない」
「わからん……」
謎掛けでもしているかのように彼は言う。
今はまだ空が明るい事もあって、草原を通っているから、退屈しのぎに私で遊んでいるに違いない。詳細な金額どころか、大体の金額もわからないでいる私に、カジキは軽く声を上げて笑う。
「まーそこそこの出費だが、高いって訳でもないって事だよ。俺も実のところ、今の金額はわからん。若い頃に取ったからな。もう二〇年くらい前だ。無くしでもしない限りはもう一回作る事もないしな」
でも、それなりにかかるという事はわかった。今の手持ちじゃ、やっぱり無理そうだ。
「あと、多少時間は取られる。けど、俺達は急いでる。だから、早く処理してもらうために多めに握らせる必要があるから、更に金がいる」
「えっ。と、発行してもらうだけのお金すら払えるか怪しいんですけど……」
日本人的思考で、そこまで考えが及ばなかった。金額からして、王都で旅券を手に入れる事も出来なかっただろうけど。思ったよりお金がかかる。全額出しても絶対に足らない。
検問所で捕まえられたら良いけど、お金がなくなったら、国境を越えたとして追い続けられるだろうか。
頭を抱えている私を見て、カジキは何が面白いのかニヤニヤと笑っている。
「貸しな、イルドリ」
貸し。嫌でも何を言いたいのかわかる。
──カジキからお金を借りる。借金だ。
借金という言葉が重くのしかかるが、この場合は仕方がない。借りないと払えないのは目に見えているし、元からお金が足りなかったのだ。どうしようもない。
「出来る限り、即、払うんで」
けたけたと笑っているカジキの声。その声が、不意に止まった。
それは、さっきまでの空気が、一変した瞬間だった。進行方向の方を見ているその目は、笑ってなんかいない。張り詰めた空気に遅れて正面を見る。
そこには、検問所らしき建物があった。だけど、ビア国の兵の鎧を着た人が倒れていたのだ。
まるで、道を作るみたいに。