あたたかく心地よい陽射しを浴びて、体を伸ばす。息を吸えば新鮮な空気が体の中へと入ってきた。
この地──ビア国にあるファヌエルという町の安定した温暖な気候に慣れたからかいつも過ごしやすく感じる。気温が何度なのかはわからないけど、実際過ごしやすい温度な気がする。天候も一定で、晴れな事が多いが曇ったり雨が降る事もある。その分四季は明確ではないし、桜を見かけたり雪が降ったりしない事は少し寂しく思いはするが。
「あ。お父さーん」
気持ちの良い天気と涼しい風を浴びて、町の中を歩いていれば見知った背中が見えて、大きな声で呼んだ。農園の方で作業をしていた背中が動いて、こちらを見る。私に気づいた男の人は、私の方へとゆったりと歩み寄ってきた。
「おお、どうした?」
「そろそろ馬車が来るだろうと思って、入口に向かってたら見かけたから」
実際、特に用事がある訳ではなかったので、正直に答えると、父は「そうかそうか」と笑って、大きな手の平で、ワシワシと力強く私の頭を撫でた。
「お前も今年で二〇歳か。はしゃぎすぎないようにな」
「うん。多分……大丈夫!」
──この地で生き始めて二〇年が経った。
夢だという事もなく、ここでの多くの日々の思い出が私の中にある。最初は異世界転生なんて、と半信半疑だったが、過ごせば過ごす程に「本当に異世界なんじゃないか」 と思うようになった。
まず文明の利器が色々とない。反対に、剣などの武器は当たり前のように普及していて、害獣だったり盗賊だったりから身を守るために使われる。よくあるRPGゲームのような感じだ。街の建物とか、売っている物も、西洋ファンタジー感がある。
「イルドリ!」
イルドリ──今生での私の名前を呼ぶ声がして、振り返る。今の私と同じ栗色の髪を揺らして私に駆け寄ってきたのは母だ。初めて彼女を認識したあの日より年を重ねたけど、それほど変わってはいない。
そんな母は私の前まで走り寄ると、首から何かを下げた。
手に持って確かめてみると、それはペンダントだった。ペンダントは革紐と石と留め金具だけのシンプルなもの。石は宝石のようなものではなく、磨き上げられてはいるが黒に近い鉱石だ。ただ、中心に向かって赤色がかかっており生命のようなエネルギッシュな印象を受ける。
「成人の儀に行くのでしょう? 魔石を忘れているわ」
「ああ……ありがとう」
魔石と呼ばれている石のついたペンダントから手を離す。母はいつものように柔和な笑みを浮かべて私を見ていた。
成人の儀式は、謂わば成人式。王都で開催される式典で、今年二〇歳になった若者たちが王都に集められる。そこで何か授かったりする──訳もなく、ただ祝うだけだ。会場が用意されていて、そこで祝いの言葉をもらうくらいなのだから、日本の成人式とほとんど変わらない。
だけど、私は少しワクワクしていた。
ここでは移動手段と言えば、動物や、馬車──馬という名称だが、馬に似ている生き物だ──に乗らなくてはならない。私たちが住んでいる地域は会場のある王都までは遠く、王都までは数日かかる。それほどの時間がかかるという事は運賃も相応に上がっていく。なので、この世界で誕生してから王都には行った事がないのだ。
しかも、成人を迎える人間がいる町には、馬車が迎えに来てくれる。乗り遅れたら自分で行くしかないが、そうでなければ運賃を気にする必要はない。
旅行にでも行くような気分でいると、馬車らしきものが入口の方に見えた。私は父と母を交互に見た。
「じゃあ、行ってくるね、お母さん、お父さん」
「気をつけてね。早く帰ってくるのよ?」
「帰ったら我が家でも、成人祝いだからな!」
「うん、わかった。なるべく早く帰るね」
二人に挨拶をして、私は急いで町の入口の方へと向かった。
迎えのために寄越された馬車は大きく、座席らしいものはない。そんな中で、既に何人もの同じ年頃の男女が座っていた。近くの人と話したり、無言を貫いて一人でいたり、持ち物を見ていたりと、みんな出発までは思い思いに過ごしており、私もそこに加わった。
自分の陣地として陣取ったのは手前側の端っこだ。奥は人で既にいっぱいだし、中央は逆に空いてるから中央は悪い気がした。それに隅の方が落ち着く。更に、手前なら風景が見やすい。そういった理由だ。
次々に若者が乗り込んでくる。御者らしき人と、兵士らしき人が何やら話し合っていた。それを見た数分後、御者と兵士は御者台へと乗る。
そうして、やがて馬車は走り出した。赤色、橙色、藁色、緑色の景色と、麦だとか土だとかそういった匂いが離れていく。
住んでいる町は牧歌的な雰囲気があって、まったく悪くない。むしろゆったりとした時間が流れるので、忙しなかった前世の日常とは反対だが気に入っている。
──だからだろうか。ただ成人の儀で町を離れるだけなのに、どこか妙に寂しかった。初めて実家を離れた時に似ている。
(今生の別れでもないのに、なんだか物悲しいなあ)