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第74話「絵を描いてみよう」

 その日は、前日に届いた本を読んで過ごそうと決めていた日だった。


 ラヴェンナは朝食を終えるとすぐに魔女小屋へ戻り、まだ装丁の新しい本――ライラが書いた「ストーンヘイヴン市における人と魔物の共生記録」を開いては知っている人がいないかを探してみる。

 何ページもある分厚さを誇りながら、そこには、何種類もの精巧なスケッチと解説文が記されている。様々な場所を旅して暮らす彼女の日記も付属しており、魔物学者のなんとも慌ただしい日常を垣間見ることもできるようだ。


(結局自分で買っちゃったわ)

(借りて読んでもいいんだけど、返さなきゃってなるのは面倒だから……)


 窓から差す気持ちよい朝日の光を浴びながら穏やかな気持ちでページを捲る。軽く中身をさらってみれば、さっそく見覚えのあるスケッチを発見した。

 いつぞやかの夏、種苗店で出くわした元気いっぱいなグロリアの姿がしっかり描き込まれている……色々な楽器を持ってどんちゃん騒ぎに興じる彼女がまるで昨日のように思い出され、一緒にマラカスを振らされた思い出まで蘇ってきた。


 解説文の一部を抜粋すると、こんなことが書いてある。


『ストーンヘイヴンにはアルラウネの姉妹が住んでいる。彼女たちは元々一箇所に根を張って暮らすが、二人は自らを植えた鉢植えを車椅子に乗せることで移動の自由を手に入れたようだ』

『寒さが苦手な種族のため、ここまで北の地域で見かける事例は非常に珍しい。店には大きな暖炉が設置されていて冬越しの苦労が垣間見える。二人の下を訪れた時はちょうど夏の盛りを迎えており、スケッチに描いたような元気いっぱいの姿を見ることができた』


 ライラの観察力と鋭い洞察力によって捉えられた世界が簡潔で分かりやすくまとめられている。思い出に浸りながらもページをめくると、今度は大きな図書館とそこに鎮座する巨大なゴーレムの挿絵が飛び込んできた。


(あら、ちゃんとここにも行っていたのね)


 荘厳ささえ感じる本棚の塔と、そこを支配する巨大な番人。それらが、下から見上げる構図で臨場感たっぷりに描写されている。ライラは強調して描くのがうまかった。現実味を損なわない範囲で「あれ」が醸す重々しさを表現していた。


『住人の話によると、おそらくはゴーレム種の仲間。身体中が本棚である彼は、魔王時代からずっと、数多の書物と歴史を不届き者たちの手から守ってきた』

『動きは緩慢なものの、特定の本がないか尋ねるとすぐに探して見せてくれる、司書としては超一流の存在だ。彼にも名前があるようだが、街の人たちを含めて知る者はほとんど残っていないと聞く』


 ……ラヴェンナが僅かに口角を上げて悦に入っていると、窓の外から牛の鳴き声が聞こえてくる。どうやら魔女小屋に近いところでゆっくりしているようだ。しかし、相手する程でもないとそのままページをめくり続ける。


(はいはい、好きに寛いでなさい)

(今日は私だってのんびり過ごすのよ。折角の秋の日だもの……)


 それでも。

 牛は珍しくモウモウと多めに鳴き、ちょうど良いタイミングで黒魔女の集中を削いでくる。二度目はまだ我慢していたが、三度目、四度目と来たらラヴェンナの眉間に深くシワが寄せられた。五度目でいよいよ彼女は立ち上がり、その辺に置いていた杖で叩き出そうと探し始める。


(ぬがーっ! あのウシったら、私の邪魔をすることにかけては超一流ね!)

(でも杖がないわ。くそっ、どこに置いた? 確か以前……)

(……ああもう、探すのも面倒くさいわ。牛一匹相手にバカバカしい)


 ダメ元で引き出しを開けてみれば鉛筆が転がってきた。

 黒魔女はそれを前に……机の上で開きっぱなしになっていた本の挿絵と交互に見て、何かを思いついた様子で眉を上げる。

 やがて、机の奥から羊皮紙を一枚取り、鉛筆と一緒に持って外へ出た。




 玄関を出たら、すぐ近くでウシが地面にお腹を預けながら身体を休める様子が見られた。小道を遮りながらのんびりしている動物は、ラヴェンナと目が合うとスンと大人しく鳴き止んでリラックスし始める。

 普段は集落の色々なところを自由に彷徨っているが、今日はここでゆっくりと過ごすつもりらしい。追い出そうと試みたら厄介な相手になっただろうが、今回の黒魔女にはもっと別の狙いがあった。


「いい、あんまり動くんじゃないわよ」


 モ~ッと返事がひとつ。分かっているのか分かっていないのか。

 ラヴェンナはガーデンチェアを寄せるとそこへ腰掛け、腿を下敷きに羊皮紙を広げる。そして、目の前で寛ぐヤツのシルエットを鉛筆で大まかに捉え始めた。


 カリカリ、カリカリ……

 全体のアタリを取って、ちょっとずつ四足歩行の生き物を浮かび上がらせる。


「む……」


 さっき本で見たような精巧なスケッチと比較してしまえば足元にも及ばない。あれをサクサク描き上げていくライラの凄まじさが、こうやって自分で試してみることでよく分かる。

 なんだかんだ苦戦しながらもおおまかな輪郭は決められた。今度はそれを徐々にハッキリさせていく。すると、隣の魔女小屋からロクサーヌが顔を出した。


「ラヴェンナ様、今日はお外ですか?」

「絵をね、描いてみようかなって……」

「良いですね、秋は色々と始めたくなる季節です。見てもいいですか?」

「どうぞ。だいたいこんな感じかしらねぇ」


 後ろから覗き込んだロクサーヌは眉を上げて好意的に唸る。

 まだ詳細な模様はないが、地面に座って休む牛の姿だと一目で分かる線だ。


「いいですね。とても味があって可愛らしい線です」

「全体のバランスはこれで良いから、ここから細かいところを――」


 二人で絵の完成に向けた話をしている時。

 今までじっと座っていたはずの牛が突然立ち上がって、マイペースなリズムでどこかへ歩き始めてしまう。


「あ……ちょっと!」


 それに遅れて気が付いたラヴェンナは椅子をひっくり返しながら飛び出して、集落の小道をのそのそ行く白黒模様を追いかける羽目となった。



◆ ◆ ◆



 ウシは先程までずっと休んでいたせいか元気いっぱいのようで、集落の色々な場所に向かって歩き始めるとしばらく、長く立ち止まることもなくラヴェンナを振り回し続けた。スケッチの途中だった黒魔女は、手元と獲物を交互に見ながらちょっとしたツアーに付き合わされる。


(想像よりも忙しい日になっちゃいそう)

(でも、ここで帰るのは……中途半端な気がして嫌だわ!)


 お散歩にはうってつけな絶好の晴れ日和。ぽかぽかと暖かい陽気を楽しむようにウシは集落の小道を行き、広場の真ん中までやってくるとそこで首を下に向けて草を噛み始める。

 ラヴェンナはその隙を逃さず、先程描いていたスケッチに欠けていた模様部分を簡単に記していく。だが食事が終わるとすぐにまた動き、どことも分からない別の場所へ向かわされることになる。


「もう、どこまで連れ回す気なのよ……」


 愚痴をこぼしながらも歩き続け、ウィンデルの中を流れる小川までやってくるとウシはそのまま橋を渡っていった。すると河川敷にいたアヒルの親子が反応したのか、羊皮紙片手に跡をつけるラヴェンナの真後ろにぴたりと張り付いて列を成し始める。

 歩いては立ち止まりを繰り返すウシ相手にラヴェンナはずっと鉛筆を動かし続けていたが、ふと、集落の端まで来たのだと気付く。その時、薪の山を肩に担いだライラが反対側から現れ、種の違いを超えた奇妙な列集団に近付いてくる。


「魔女様じゃないか。こんなところまで来るなんて、一体どうしたんだい」

「こいつに連れてこられたのよ」

「ほう……そういうことか。にしても魔女様、絵心あったんだな!」

「さすがに本職には負けるわよ……」


 描きかけのスケッチを見せたらライラは全ての事情を察して笑顔になった。

 そのまま荷物と共にどこかへ去っていくと、しばらくも経たないうちに彼女も羊皮紙と鉛筆片手に戻ってくる。


「あら、貴女も?」

「たまには仕事以外の絵も描きたいからさ。そうだな、じゃあこの辺から……」

「ああっ、また動くわよ。こいつったら本当にもう……」


 二人でウシを追いかけ、アヒルの群れを連れてウィンデル中を一周していく。するといつしかイヌやらニワトリやらも混ざり始めて、ラヴェンナたちの周りはなんとも賑やかそのものに変わっていった。




 やがて、想像以上に身体を使うスケッチが終わった後。

 ラヴェンナの羊皮紙には怠惰な牛の寝姿がかわいらしく描かれていた。一方でライラのものには、たくさんの動物たちに囲まれる魔女の姿が精細に記録されていたのだった……

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