ストーンヘイヴンの午後。街歩きにはうってつけの晴れ日和をどうしようか、ラヴェンナは箒を片手に路地をあてどなく彷徨いながら考えていた。
(うーん、このまま帰るにはもったいないわ)
(せっかくだし、どこかで寄り道をしていきましょう)
(何をするか全然思いつかないけれど……)
せっかくの一日、家でゴロゴロしながら過ごすにはなんとも忍びない。
何かアイデアが出るまで旧市街の猫と戯れようか――そう思っていた時、遠くから子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。
この付近にある主な建物と言えば、ぱっと思いつくのは騎士団の本部だった。
ラヴェンナはすぐさま足を運んでみる。すると建物の周りには仮設のテントが設けられ、遠くに見える敷地では馬が子供を乗せて歩き回っていた。
催し事をしているのだろう、ところどころに立つ見張りの兵士たちも普段以上に穏やかな表情で、肩の力も抜けた様子だった。
(ん?)
(楽しそうなことをやってるわね。行ってみようかしら)
入り口の兵士たちに挨拶してから入れば、訓練場の中では軍馬が一頭、周りの視線を受け止め続けていた。一方、それより一回りか小さいポニーが背中に子供を乗せたまま軽快に敷地の中を回っている。万が一あった時に止められるように見守り役もつけられていた。
(ふうん、色んな人が来てるのね)
(……あら?)
客層は親子連れが多いが、よく目を凝らしてみれば修道女のアイリスもいた。修道院からも子供を連れて来ているのだろうと探せば、たしかに、見たことある少年少女をちらほらと見かけられた。
周りの楽しげな雰囲気にこっそり浸ろうとしていた時、ラヴェンナは視界の端に覚えのある白髪を見つける。顔を向けると、あちらも黒魔女の存在に気付いて足早に近付いてきた。騎士団長のカトリーナだ。
「ラヴェンナ、貴女も来てくれたか」
「たまたまよ。通りかかってみたら、なんだかみんな楽しそうにしていたから」
「偶然だったら良い日だな。今日は市民向けに乗馬の体験会を開いている。もし興味があるなら乗れるぞ」
「私は見物だけでもいいわ。そういうのではしゃぐ年でもないし……」
子供を乗せていたポニーはぐるぐると敷地を何周か回った後、係の下へ忠実に戻っていった。そして、次の少年がその上へ跨る番になる……
見たことある赤髪と背丈はアレンのものだった。既にこのような機会は何度かあったのか、他の子と比べて乗り慣れている様子に見える。しかしそれでも乗馬は楽しいのだろう、遠くからでも分かる笑みを浮かべて楽しむ姿にアイリスたち大人勢も安心して見守っていた。
ラヴェンナは建物の適当な段差を見つけると、そこに腰掛けながら箒を杖代わりに一息つく。程よく日陰になっていたから涼しい風も心地よい。カトリーナも隣に座っては仕事がうまく回っているかを確認しながら世間話を振ってきた。
「馬よりも箒の方が好きか」
「乗り慣れた方が好きね。それに、空には何の障害もないわ」
「怖い、と思ったことは?」
「昔はそうだったかもしれないけど、今はもう慣れたわね。でもそれは馬に乗るのだって同じじゃないの?」
「うむ……そうかもな」
「カトリーナは、馬を怖いと思ったことはなかったの?」
「いいや。それが求められていたから、適応した。それだけだ……」
話をしている間に、アレンは特に問題もなく敷地の中を二周して戻ってきた。
他の小さい子供たちに囲まれていた彼は、馬から下りた直後のせいか、普段によりもちょっとだけ堂々として映る。いつぞやの芝居で勇者の役をしていた姿が記憶として蘇ってきた。
カトリーナは宝石のような翠眼を目の前の景色のただ一点のみに据え置いて、一人で考え事に耽るようにしばらく唸ってから返事をする。
「私は馬の方が良いな。座って揺られている間は、余計なことをしなくて済む。心が静かになるんだ……」
「……前々から思ってたけど、貴女ってストイックな人よね」
「そうか?」
「無駄なものがなくて、真っ直ぐで、筋が通っているように見えるわ。もしかしたらそれが、時折寂しい思いをさせてくるのかもしれないけど」
「……」
真面目な女騎士はまた考え込んでしまった。ラヴェンナは肩をとんと叩く。
「ごめんなさい、少し踏み入ったことを言ってしまったかしら。そんなに真剣に考えなくてもいいわよ、リラックスして」
「もしかしたら、そのやり方も教えてもらえるのか?」
「ええ。人生には、素通りするには勿体ないものが沢山転がっているのよ」
「いいな、その言葉……」
周りでは乗馬体験を求める子供たちの他に、ついでに集まっていた大人たちが立ち話を交わしている。人がたくさんいる場所は目に見えない力が詰まっていて、傍で座るだけでもその力強い脈動を魂で感じられるようだった。
ポニーを見ればそこでは、まだちゃんとした言葉を紡ぐことにも慣れていない少女と修道女のアイリスが跨っていた。小さい馬だがその身体は頑強で、見た目以上の頼もしさを発揮しながら会場の中をゆっくりと歩き始める。
「わぁ……」
「うふふ、大丈夫ですよ。怖くありませんからね」
一方向こうでは……大人の背丈ほどもある軍馬を携えた兵士の前で、アレンが口を開けたまま驚きの反応を見せていた。
先程までポニーに難なく乗っていたのと裏腹に、今の少年ははじめて不安な顔を現している。周りの兵士たちに補助されながら、あぶみに足を引っかけてから自分より大きな体格の馬へ跨る。蔵にしっかりとお尻を預け、手綱を掴んで離さないよう構える姿は年相応に可愛らしい。
「だ、大丈夫ですか、これで」
「大丈夫だ。深呼吸して、リラックスしよう――」
アレンは言われた通りに落ち着こうと呼吸を整え始める。
しかし、軍馬が一歩ずつ歩き始めた瞬間……ポニーの時とは比べものにならない速さを経験した彼はただちに平静を失ってしまった。その様子は遠くで眺めていた女騎士と魔女からもよく見える。
「あわわわわわわわわ」
「カトリーナ、あれは大丈夫なの?」
「あれはうちではベテランの馬だ、下手に暴れることはないだろう。馬は人間が思ったより頭が良いんだ。あぶみに足を乗せて、手綱をしっかり持てば――」
「あーーっ! あーーーーーーっ!」
「……本当に?」
「仕方ないな、ちょっと行ってこよう」
立ち上がったカトリーナは一旦制止するために出て行く。
騎士団長の姿を見つけた軍馬は忠実にぴたりと足を止め、背中のアレン少年もなんとか落ち着きを取り戻した。そのまま彼は彼女のエスコートを受けながら敷地をぐるりと回り、元来た所で降りて子供たちの場所へそそくさ戻っていった。
ラヴェンナはその一部始終を微笑ましく見守っていたが、ふと、カトリーナが来るように手招きしていることに気付く。後ろでは指示を受けた兵士が蔵を取り替えており、何かあるようだが……
「なになに、どうしたの」
「二人用の蔵に変えてもらう。どうだ、一緒に乗るのは」
「……そこまでしてもらったら断れないじゃないの。いいわよ、乗りましょ」
「よし、じゃあ前の方に座ってくれ。私が後ろから支えよう」
ラヴェンナはローブの裾を縛る紐を緩め、二人乗り用の蔵の前部へそっと尻を乗せる。足をしっかりあぶみに入れた後、続けてカトリーナも同じように乗って黒魔女の背後から手綱を取った。
二人の大人を乗せたにもかかわらず、軍馬はうんともすんとも言わない。うち一人は鎧姿だが流石はベテランだ、女騎士が軽く馬の腹を蹴ればゆっくりと歩み始める。……とは言ってもなかなかの速度感だったが。
「乗るのは久しぶりか? ラヴェンナ」
「ええ。これはこれで悪くないわ。でも、いきなりお誘いがあるなんてね」
「遅くはなったが、早夏祭の時のお礼をしたかったんだ」
「ふふっ、じゃあ何周か付き合ってちょうだい」
「ああ、勿論……」
秋晴れの空の下を気持ちよく駆ける一頭と二人。
ストーンヘイヴンの有名人が一緒に乗っている姿も相まり、騎士団主催の乗馬体験会はいっそうの賑わいと盛り上がりを見せたのだった。