庭に設けられたガーデンテーブルへロクサーヌが朝食を用意していると、蔵の中からラヴェンナか大きな革袋を片手に出てきた。探し物をしていたらしき魔女はガーデンチェアに腰掛けると、一仕事終えた様子で深呼吸しながら背もたれに深く寄りかかる。
差し出された皿には秋マスのムニエルとパンが載っていた。ラヴェンナはしばらく涼しい風に吹かれた後、ふと我に返ったように目を大きく開けて食事へと移る。正面では、ハーブティーを用意した隣人の白魔女が既に食べ始めていた。
「ラヴェンナ様、何か探されてたのですか」
「鹿の頭の骨。欲しがる人がいたから、このあと街まで行ってくるわ」
「ああ……」
ソースのかかった白身をパンの柔らかいところで挟んで共にいただく。
口の中にバターの濃厚な味が広がり、魚の旨味もほどけていった。
「うーん、よくできてるわ。ペロリと食べちゃいそう」
「ふふ、ありがとうございます」
「私は肉派だけど、ロクサーヌの魚料理はとっても好きよ」
「得意料理ですので」
つん、と鼻を高くしながら白魔女は自信に満ちた表情で口角を上げる。
二人の魔女が住む庭に、穏やかで微笑ましい時間が流れる……
◆ ◆ ◆
箒に跨り、気持ちよい朝の空気を切ってストーンヘイヴンの街まで飛んでいく。道中、種苗店の方角からハンマーを使う音を聞きながらも、目当ての手芸用品店の前で降り立ち、手土産の革袋を片手に店の扉を開けて中へ入った。
カウンター前に置かれたベルを鳴らせば、遠くからカサカサカサカサと足音が迫ってくる。店主の正体が分かっていればこの独特の音もなかなか味わい深い。
「はい、参りました」
「私よ。頼まれたものを持ってきたわ」
「まあ、ありがとうございます。どうぞ中へ……」
薄暗い廊下を通って店奥の作業場へ入る。下半身が蜘蛛であるアリアの背丈に合わせて高く作られた部屋は、秋の到来と共に涼しさを蓄えているようだった。
暖炉の傍では薪が山に積まれている。ここは少し早く寒さが来るのだろう。
「では、中身を確認させていただきます。あら、これはいい大きさ……」
「ちょうど春先、うちの集落の畑を荒らした大馬鹿者がいてね。その時に総出でシメたんだけど、色々終わった後に頭の骨を貰ったのよ」
「本当にありがとう、魔女様。これなら素敵な帽子が作れそうよ」
「帽子って……あぁ、収穫祭の?」
「ええ」
秋が深まり、畑を埋め尽くす小麦が黄金色に染まる頃になると、無事の収穫を女神エレオラに感謝する“収穫祭”が行われる……今はそこへ「祖先の霊を祀る」「死者が冥界から帰ってくる」といった意味合いも習合し、一年を通しても特に大きなイベントとして執り行われるようになっていた。
中でも、子供から大人までが様々な魔物に扮して街を練り歩く仮装行列が毎度の恒例行事だった。今回の鹿の頭も、その時の帽子の材料としてアリアのもとへ運ばれたわけだ。
「角の飾りをつけて、被りやすいように中を少しだけ削れば……」
「さぞ良い被り物になるでしょうね。本物の骨だとやっぱり違うわ」
「今年だけでなく、来年、再来年と使えるものであることも望ましいでしょう。そうだ魔女様、ついでで悪いのだけど、街で一つ用事を頼んでも良い? 図書館で本を探してきて欲しいの」
「本?」
そう言えば……ストーンヘイヴンには古くから続いている図書館がある。しかし難しくない用事だ。そこに行けば見つからないものはほとんどない。あそこの“司書”も仕事熱心だから大して時間も掛からないだろう。
「いいわよ。何を借りてきたら良い?」
「魔物学者のライラが書いた本で、最近の三冊を借りてきてもらえないかしら。今度またぬいぐるみを作るのだけど、私の記憶だけじゃなくちゃんとした研究も参考にしたくて」
「分かったわ。それなら、すぐにでも向かってみる……」
アリアには他にやるべきことが沢山あるし、何より、まだその身体のコンプレックスから抜け出せていない。ラヴェンナは代わりに行ってくると約束し、待たせないようにと足早に出て目的の場所へ向かっていった。
久しぶりに行く。ラヴェンナはどこか懐かしい通りを抜けて図書館に着いた。
全体的に石でしっかり造られたこの建物は、魔王時代から残る歴史ある建造物としても知られていた。扉を開けると高い天井の先にドーム型の屋根が見えて、空間の真ん中には巨大な円柱型の「本棚」が縦に伸びている。
ここには一人だけだった。
足音が響くほどの静寂。他にヒトの気配がしない中で、ラヴェンナはその巨大なオブジェを見上げて大きく声を張ってみせる。
「ビブロス!」
すると、真ん中にそびえていた本棚の塊がゆっくりと動き出す。
瞼にも見える小さな棚が開くと、宝石が煌めいたような赤い光が現れた。
「む、幻想の大魔女……今日は何用ぞ」
「アリアからの依頼よ。魔物学者ライラの書いた本を、新しいものから順に三冊貸してちょうだい」
「ライラ? 探してみよう。ライラ、ライラ……」
ラヴェンナからの頼みを「司書」が聞くと、図書館の建物全体が唸り声を上げるように揺れ始める。収められている本棚たちがモリモリと脈打つように出たり引っ込んだりを繰り返して、やがて目当ての本が入ったブロックが棚ごと引き抜かれてはビブロスのところにやってくる。
黒魔女の目の前で、本棚にしまわれていた三冊がひとりでにポンと前へせり出してきた。それを受け取ると、棚はひとりでに元あった場所へ戻っていく。
「きっと、目当てはそれらであろう。すべて、持っていって構わん」
「ならそうさせてもらうわ。いつもありがとうね」
「礼には及ばぬ。では、他に何もなければ、我はもうひと眠り……」
頼まれていたものを受け取ったラヴェンナはそのまま建物を後にする。
収蔵されている何千冊もの本たちの管理を一手に担う司書――巨大ゴーレムのビブロスは「目を閉じて」、また声をかけられるまで動かなくなるのだった。
◆ ◆ ◆
用事を終えたラヴェンナは早速アリアの店へ戻る。あまりに早く済んだためか彼女は大喜びで出迎えてくれた。さっそく作業場に赴き、ランプのあたたかくも弱い灯りで照らしながら持ってきた本のページをめくる。
すると、借りてきたものの中で一冊、興味深い文面の表紙があったようだ。
タイトルは――「ストーンヘイヴン市における人と魔物の共生記録」。
「これは……」
「ライラは今、うちの集落を拠点に近くでフィールドワークしてるのよ。まさかこんなに早く本ができるとは思わなかったけれど」
ページをめくってみれば、ラヴェンナもどこかで見たことある魔物たちの姿が生き生きとしたスケッチで描かれていた。仲睦まじく元気いっぱいなアルラウネの姉妹に、先程黒魔女が訪れた図書館のゴーレム、路地裏でひっそりと店を構える半人半蛇のラミア……
当然だが、そこにアリアはいなかった。彼女はホッとしている様子だったが、黒魔女には、その目に潜む感情がそれだけではないようにも窺えていた。
「どう?」
「目的のものとは違ったけれど、でもいい刺激にはなったわ。ありがとう、魔女様。他の本もこれから読んで作品作りに生かすつもりよ。返すときはあの小さなお手伝いくんに行ってもらおうかしら」
「お手伝い……成程ね。あいつに会ったら腰を抜かすのが目に見えるわ」
「そうだ魔女様、お礼と言ってはなんだけど、何か一つ、小物を持っていって。いいものが決まったら知らせて頂戴」
それを聞いたラヴェンナは、帰り際、さっそく売り場の方へ戻ってみた。
すると……確かにぬいぐるみシリーズの新作が増えていた。ふわふわ柔らかいユニコーンに真っ白な身体のビッグフット、海に潜む巨大なクラーケン……それらが程よい塩梅で可愛くデフォルメされている。
しかし一番目を惹いたのは、既に家の棚に座っている「ミノタウロスくん」のための小物だ。特に魅力的なのが、良いサイズ感の切り株と丸太のミニチュア。彼は既に手斧を持っているから、合わせて木こりごっこができるかもしれない。
(……)
(むふふ……)
欲しいものを決めたラヴェンナは早速ベルを鳴らす。一つには収まらなかったから小銭を探していると、店主の軽やかな足音が近付いてくる。
……その日の晩。
眠っていたラヴェンナは、ふと「コーン」と響くような音を聞いた気がした。重い瞼を擦って開いてみれば、テーブルの上でミノタウロスくんが「切り株」を出し、そこにフェルトの丸太を立てては斧を振って木こりの真似事をしている。小さな身体を大きく使って励む姿はなんとも愛らしい。
(うんっ……なあに、夢?)
しかし、それにしてもいい時間だ。
心地よいリズムを耳にしながら、ラヴェンナは幸せな気持ちで目を閉じる。