目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第63話「マリーのお引っ越し!」

 王都モルゲンロートに立ち並ぶ何軒ものアパートの中、とある手頃な一人用の部屋で、家主の慌ただしい最後の一日が始まろうとしていた。窓の外では綺麗な秋晴れが広がる一方、チェストの陰で屈んでいた小さな魔女は棚に刺さっていた書籍や印刷物の数々を整理しながら唸り声を上げていた。


「終わらないかもぉ……」

「泣き言言わないの、私だって来てるんだから。ほら、ベッドの解体は済んだわよ。このままキッチンの方も整理しちゃうからね」

「うぇぇ、お願いママーっ」


 一方のラヴェンナはと言うと、思い出の品々を前に苦戦中のマリーを横目に、彼女が使っていた大きな家具や器材の類いを運びやすいよう分解してから木箱へ詰める作業を行っていた。思いとどまる要素もないため、みるみるうちに部屋は片付いてカラッポに変わっていく。

 次は台所の横に立てられたラックだ。差し込まれていた本に一冊、いかにも手作り感満載のものを見つけて手に取ってみる。表には「研究ノート」と可愛らしい文字で小さく書かれていた。


「?」

「あーっ、ママそれ見ちゃダメ! 他の人には秘密にしてるの!」


 すると、さっきまで思い悩んでいた様子が嘘のようにマリーが飛び出してきてそれを奪い去ってしまった。とても速い。余程の慌てようだ!


「あら、ごめんなさい。大事な物だったのね」

「これは、私が修行中に聞いたいろんなことをまとめてるんですっ。いわば私のパン修行の結晶で、他の本じゃ絶対書いてないことばっかりで……」

「わかったわよ。わかったから、早く続きをやりましょ」

「むぅー」

「終わったら一緒にご飯行くんでしょ、ほら……」


 適当にあしらわれたと思ったのか、マリーはわかりやすく頬を膨らませて反発する。ラヴェンナは彼女を宥めながら台所の片付けを進めていった。

 蓋の閉まった木箱が一つ、また一つと完成しては積み上げられていく。食器に調味料、まだ食べられる硬いパンに、チーズ削り器に、やや残ったチーズ……


「マリー、そっちはどう?」

「えーっと、なんとか……」


 なんとも言えない返事を聞いたラヴェンナが様子を見に行ってみれば、そこでマリーが一冊の本を開きながらもにょもにょと口を動かしていた。


「こら、何見てるの」

「授業で使ってた教科書。ほら、ここにママの名前がある!」

「へぇ……というかあれって、そんなに昔のことになったの?」

「なつかしいなぁ。この時、色んな人からママのことを聞かれて……にへへ」


 きっととても良い思い出なのだろう、マリーは満面の笑みで回想に耽っている。ラヴェンナは反応に困った様子で苦笑いを浮かべ、やがて不真面目な弟子の頭に拳をグリグリとゆっくり押しつけ始める。


「でも今は片付けをしなさい、マリー」

「ひぃぃぃん、いますぐやりまぁす」

「日記帳とか見つけたら読み上げちゃうわよ?」

「そ、それだけはやめて~!」


 気合いを入れられたマリーは尻に火がついたようにバタバタ手を動かす。

 二人でしばらく作業していると……細長い革袋が出てきた。


「これは適当に入れてて良い?」

「あっ! それテキトーにしちゃダメ!」

「何が入ってるのよ」

「学院の卒業証書……」

「ちゃんとしまっておきなさい!」

「はぁぁぁい」

「もう、全然進まないじゃないの~。まだ引き出しがいくつか残ってるし」


 ため息を吐きながらクローゼットの取っ手に手を掛けて引いてみる。

 するとそこには丸く畳まれた小さい布地が綺麗に収められていた。白地のものが多い中、そこにはいくつか黒いものもあり……後から気付いたマリーがたまらず悲鳴を上げる。


「ぎゃー! ママ、それ私のパンツ!」

「こんなんじゃいつまで経っても終わらないわよー!」

「やります……ちゃんと全部やりますっ……」

「あーもう泣かないで、ほら、いっしょに頑張りましょ、よしよし……」

「むぇぇぇ」


 今にも裏返りそうな声を上げるマリー。

 終わるかも分からない大掃除に勤しんで……昼を過ぎた辺りでようやく、部屋のすべてのものが木箱に収まったのだった。すっからかんになった部屋を見て、どこか寂しげな雰囲気を感じながらも二人は肩から溜め息を吐いていた。



◆ ◆ ◆



 マリーが何年も住んでいたアパートの前には一台の大きな荷馬車が止められていた。ラヴェンナ立ちは用意していた箱をいくつも魔法で運んで詰め込み、部屋に忘れ物が残っていないか、行き先がちゃんと合っているかを確認する。


「あとはもうない?」

「ないです! 大丈夫!」

「じゃあ、ストーンヘイヴンまでお願い。私たちも後で行くから……」


 御者人が馬に鞭を打ち、重い荷物で押しつけられた木の車輪が石畳でガラガラ音を立てて回り始めた。徐々に遠ざかっていく後ろ姿を見送りながら、一仕事を終えた二人はようやくリラックスできる様子で身体と両腕を上へ伸ばす。

 それぞれの背中には帰り用の箒がしっかり背負われていた。マリーの箒はよく喋るモデルだが、家を出る際「今日は静かにして!」と叫んでからはスンと大人しくなっている。


「あ~、ようやく肩の荷が下りたわね」

「ほんとにありがとう、ママ……一人じゃ絶対に終わらなかったから」

「日頃から物はちゃんと整理しておきなさいよ。さて――」


 これからどうしようか、そう考え始めた時にちょうど、二人のお腹が鳴る。

 今日は起きてからずっと片付けで忙しく、何も食べていなかったのだった。


「何か食べましょうか」

「ママは何か食べたいものある?」

「なんでもいいわよ。この辺はマリーの方が詳しいでしょ」

「うーん……あっそうだ! 本当に最近できたお店があります、こっち!」


 ラヴェンナは案内されながらモルゲンロートの街を行く。魔女二人の見た目もあって周りからたくさんの視線が集まっていた。彼女が“幻想の大魔女”と知っているなら尚更、びっくりしたような反応があちこちから聞こえてくる。

 しかし、齢200を優に超える彼女にとっては慣れたことであった。市民の話題を作りながら、空腹に急かされるままマリーと二人でお目当ての店へ向かった。


「ここです!」

「ケバブサンド……?」

「遠くの国の料理がもとになってるらしいんですけど、本場ともまた違うみたいですよ。最近も友達と一緒に来ました。今のモルゲンロートの流行りです!」


 店の入り口からは列に並ぶ人たちが溢れ出ていた。二人はその最後尾に並び、漂ってくる肉とソースの酸味ある香りに頬を緩めながら待つ。

 しばらく経ったら店内に入ることができた。

 するとカウンターの向かいで、巨大な羊肉の塊が魔石炉でじっくり炙られながら回っている様子が見えた。周りの客も指さしながら興奮気味になっていることから、これは一つの名物としても機能しているのだろう……


「へぇぇ、大胆にやるのね」

「びっくりしますよね。私も最初に見た時はそうでした。『わあ、ほんとに回ってる~!』って――あっ、そろそろメニューを決めますよ。何がいいですか?」

「メニューはある?」

「あそこに……」


 マリーが示した先を見てみれば、そこにはとてもよく描かれたスケッチと共に提供される料理の名が記されている。パンにサンドする具材が違うようだ。

 種類は分かりやすく二つ。スパイスを利かせた羊肉の伝統的なケバブサンド、肉と葉物野菜とヨーグルトソースを組み合わせた馴染み深い味わいのサンド……少し悩んだ挙げ句、ラヴェンナとマリーはそれぞれ一個ずつもらって分け合うことに決めた。


「はい、じゃあ引っ越しご苦労様。明日も頑張りなさいね」

「はーい!」


 念願のケバブを手に店の外へ出た二人。グラス代わりに乾杯した後、それぞれの持っているものに一斉にかぶりついた。

 ラヴェンナがいただいたのは伝統的なものだ。こちらは特にソースが使われているわけではないが……一口噛みしめると、肉に染みていた脂と旨味が一気に溢れ出して口内を幸せに潤してくれる。舌でじんわり主張してくるスパイスの存在も相まって、見た目の派手さはもう片方には劣るがそのまま飲み込めてしまう。


「んんっ、良いわね。肉の旨味だけで勝負してて、野性的で好きな味よ」

「じゃあ今度はこっち食べてみてください! 私もいただいちゃいまーす」


 マリーの食べ跡が残る方をもらってかぶりつけば……今度は歯触りのよい野菜と細切りにされた肉の食感、まろやかさと酸っぱさを両方兼ね備えたヨーグルトソースの味わいが口いっぱいに広がった。

 慣れ親しんだスタイルでありながら、その食体験には確かに新しさを感じる。行列ができるのも納得できる味だ。


「こっちも良いわねぇ。また王都に来る機会があったら寄ろうかしら」

「ううっ、しばらくこの味とお別れです……」

「ストーンヘイヴンにもお店来ないかしらねぇ。人気出ると思うんだけど」


 名残惜しさも一緒に噛みしめながら、魔女二人は昼食を終えた。

 そのまま、まだ日が出ているうちに寝泊まりできる宿屋を探す。すると、丁度良い塩梅のところに一軒、小さいながらも雰囲気の良いところを見つけることができた。


 早速カウンターでお金を払い、二人用の部屋を貸し出してもらう。落ち着いた色合いの部屋にフカフカの白いベッド。ナイトライトの光も温かみがあって文句のつけようがない。ベッドに腰掛けたマリーは早速大きな欠伸をひとつ……


「ふわあぁ……朝からずっと動きっぱなしで、疲れちゃいました」

「明日は早くから出るわよ。今から寝ると、起きるのは日の出くらいかしら」

「ねえねえ、一緒に寝てもいい?」

「昨日一緒に寝てあげたでしょ。って、もう隣に来ちゃって」

「だって昨日はよく分かんなかったもーん……」


 窓の外で徐々に日が落ちていく中、眠る支度を済ませた二人は一人用のベッドを二人で使うようにして眠りにつく。ラヴェンナが寝苦しそうに眉間に皺を寄せている中、マリーはにへらぁと幸せを隠さない表情を浮かべていた。


「なつかしいですねぇ。昔はこうやって、毎晩毎晩一緒でした」

「あの頃の貴女はもっと小さかったでしょ。はあぁ、もう、狭くて仕方ないわ。こんなに大きくなって、幅も取っちゃって……」

「えへへ。むにゃむにゃ……」


 王都モルゲンロートの滞在は明日の朝が最終になる。ベッドでぶつぶつ文句を言っていたラヴェンナは、最後は優しい表情で眠りについたのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?