ウィンデルから箒に乗ってしばらく行くと、ストーンヘイヴン市よりも大きく広い城塞都市が見えてくる。険しい山岳地帯を切り拓いて造られたその場所は、堅牢な城壁と高低差も相まって、来た者たちへ荘厳な風格を放つのだった。
ここは「王都」モルゲンロート。
綺麗に整備された石畳の道と、その両脇にいくつもそびえる背の高い建造物。人と馬車、荷車が常に行き来する活気ある街並み、喧噪の止まない市場、それらを見下ろすように建つ城が、煌々光る午前の太陽に照らされていた。
「大魔女様、今日はわざわざおいでいただき、ご苦労様でした」
「いいわよ別に。そんなに離れたところでもないから」
王都の秋空を尖塔で貫く大聖堂――煌びやかに装飾された出入口から黒魔女が現れた。その後ろには他にも「魔女」たちが続き、あたりはさながら
彼女たちが身に纏っていたローブはおおよそ暗い色で統一されていたが、それでも人によって色合いや模様、装飾が異なっている。三角帽子の様子も各個人で様々だが、これらは全て、この場に集まった魔女それぞれの「正装」であった。
「大魔女様が来られて、レオノラも喜んでいることでしょう」
「酒は控えろってあれほど言ったのに……まあ、ある意味本望なのかしらね」
「この後は墓地で土葬を行います。その後は会食です」
「ええ。ずっと座ってるのも堪えたから、少し歩いて身体を戻さないと」
集まりの中心に居たのは“幻想の大魔女”ラヴェンナ・フェイドリーム。周りについていた魔女たちは全員が何らかの分野に特化した者たちだが、彼女たちの多くが実は、かつて「大魔女」ラヴェンナの下で教えを受けていたのだった。
墓地へ向かう列の後ろではマリーが暗い顔をしていた。
他の魔女たちが世間話しながら歩く中、ラヴェンナは彼女の元へ歩み寄った。
「大丈夫?」
「あっ、マ――大魔女様」
「……レオノラとは、付き合いがあったの?」
ベージュの薄い上着を纏っていたマリーは頷くと、頭に乗せていた小さな三角帽子を直しながら思い出を話し始める。
「その。こっちでパン修行してた間、彼女はよく酒場に誘ってくれました。そこで色々お話を聞いてくれて」
「あら、そうだったの……」
「大体は私が介抱してましたけど、でも、彼女のお陰で王都にも知り合いが増えました。いつか恩返しで、いいお酒を買ってあげようと思ってたんですが」
ため息と共にマリーは肩を落とす。ラヴェンナはそこにそっと手を置き、彼女が葬列から遅れないよう優しく支えながら歩みを続ける。
「……なんにもできなくなっちゃいました」
「あら、そうとも言えないわよ」
「え?」
「貴女が彼女のことを忘れていない限り、またどこかで、ふとした瞬間に会える場面が来るわ。気休めで言ってるんじゃないわよ。これは、理屈で説明するのは難しいんだけど……」
「いえ、大魔女様がそう言うなら、信じます」
「良い子ね、マリー」
大聖堂から歩いてしばらく、モルゲンロート内の墓地へ辿り着いた。
敷地内には既にいくつもの墓標が立ち並んでいたが、その中の一つに魔女たちの名が刻まれた大きな石壁を見つけることができる。手前には既に墓穴が掘られていて、今まさにそこへ真新しい棺が埋められようとしていた。
人だかりの真ん中では、大聖堂からやってきた司祭が土葬の儀式を行う……
「……レオノラ・ホワイトウィンド。風の名を冠していた彼女は、多くの人にとって親しみ深い印象を抱かれました。陽気でありながら深い洞察力を持ち、彼女のアドバイスでたくさんの人々が救われ、多くの縁も生まれました。我々はあなたを忘れません。あなたの為に祈り、その眠りが安らかであることを願います」
それからまた何遍か語った後――参列していた者たちは、厳かながら歌を口ずさみ始める。声は幾重にも重なり、墓地全体へ低く、力強く広がっていく。
そこに居る誰もがこの歌を知っていた。彼女がよく好んでいたものだった。
一連の葬儀を終えた後は、城下町で抑えていたレストランバーを貸し切って、魔女たちが主催する大宴会が催されていた。既に昼過ぎとなる中、机のあちこちには料理の数々が並ぶ。
色も味付けも異なる様々な種類のソーセージに付け合わせのザワークラウト、薄く伸ばした豚肉へ衣をつけて揚げたシュニッツェルにフライドポテト、ジャガイモとタマネギとベーコンを混ぜ込んだオムレツ、塩味の大きなプレッツェルのバスケットにライ麦パン……それらと共に、大量のビールが用意されていた。
魔女たちは机につくと、各々が好き放題に飲み食いしながら食事の時間を過ごし始めた。
その中で席が一つだけ空けられて、テーブルには並々注がれたビールと料理の取り分けられた皿が一人分置かれている。誰が用意したか分からないが、それはまるで、いま一番ここに居てほしい人の為にわざと残されているようだった。
「レオノラも残念だなぁ。身内でこんなに大きな宴会なんて滅多に無いのに」
「そりゃあ、あいつの葬式だからね」
「にしても呼べば来るんじゃねえか? 酒に釣られて起き上がったりして!」
「あんたねー。まあ、彼女なら、それくらいしそうだけど……」
席のどこかからそんな会話が聞こえる中、ラヴェンナはビールを一口含んでから目を閉じる。そうしてしばらく物思いに耽ってから、それを肴にまた酒を飲んでいた。マリーはその横でリンゴジュースを飲みながら次に食べる料理を物色していたが……暇になったのか、ラヴェンナに声をかける。
「大魔女様」
「なあに? マリー」
「レオノラさんは、どういう人だったんですか?」
「あら、彼女から色々聞かなかった?」
「聞きましたけど、あの人、かなり酔ってて……」
「あぁぁ、確かに、そうかも」
その姿が目に浮かぶようで、ラヴェンナはつい笑みを零す。周りで聞いていた魔女たちも頷いていた。一方のマリーは、何も分からない顔で首を捻る。
「……レオノラはね、すっごく不真面目な子だったの。一緒に魔女修行をしてた子たちと比べて、話は聞かないし、宿題はやらないし」
「なんだか……言われてみると、そんな気が」
「そうでしょ? でもね、あの子は人の心を掴む天才だった」
話の間も、貸し切った店内は彼女を偲ぶ者たちで溢れようとしている。葬儀に参加していなかった市民も集まってきていたのだ。ここの人たちが皆、旅立った魔女のことを心の底から想っている。
その景色こそが全てだった。
マリーは一部の姿しか知らないが……レオノラは、そういう人だったのだ。
「なぁんか知らないけど、私も知らないうちに色んな人と仲良くなってて、最後は何故かうまくいって……ね。私が落ち込んでる時も、どういう訳か、あいつは気分の良くなるものを買ってきて慰めてくれたわ」
「そうだったんですね」
「思い出話ばかりでごめんなさいね。でも今日だけは許してちょうだい。はあ、いけないわね。もっと話しておけば良かったって、今更ながらに思うの」
ラヴェンナは僅かに黙った後、その間さえも飲み干そうとビールジョッキを傾けて喉へ流し込んで笑みを作った。
マリーは横顔を見て、それが「作った」ものだとすぐに分かった。
「……大魔女様。レオノラさんの話、もっと聞かせてくれますか?」
「ふふ、いいわよ。じゃあ今度は別の人に語ってもらいましょうか?」
「へ?」
「そうねぇ……ルッカ! あいつとの武勇伝の一つでも話してみなさい」
テーブルの向こうから「えぇ、あたし!?」と裏返った声がした。それさえもこの場では賑やかしとなり、酒代わり、肴代わりとして参加者を楽しませるものとなっていく。
マリーが話を聞いている時――
テーブルに作られていた「空きスペース」へ目を向ければ、そこで一人の魔女が微笑みながら酔い潰れている姿が見えた。瞬き一つで像は消えてしまうが……確かにそこにいたという不思議な確信がマリーの中にはあった。
◆ ◆ ◆
日が沈んだ頃。料理と酒も無くなってきたあたりでお開きの風潮が漂い始めれば、集まっていた魔女たちはパラパラと自由に去っていった。中には最後まで飲んだくれるグループもあって、皆の大魔女たるラヴェンナは、レストランの隅で彼女たちの様子を微笑みと共に見守り続けていた。
やがて、店内のあちこちで魔女たちが酔い潰れて静かになった頃、ラヴェンナは立ち上がってマリーの肩をポンと叩いた。彼女は酒こそ飲んでいないが、眠気に負けた様子で先にテーブルで落ちていたのだ。
帰りを告げるも、起きる気配は無い。仕方なくラヴェンナは手の掛かる弟子を背負い、彼女が住んでいた石造りのアパートまで歩く。
「ん……」
既に空は暗くなり、街のあちこちに設けられた魔石灯がぼんやりとした光を放っていた。歩いている最中、マリーは広い背中を感じながら目を覚ました。
「ママ?」
「言ってるでしょ、ママじゃないって」
「ふへへ……やっぱりママだ」
「皆の前では大人ぶっちゃって。一度口を滑らせそうに……ふああぁ」
大きな欠伸が夜道へ零れた。いかにも「大魔女」らしくない声だった。
「明日は引っ越しの準備があるから、さっさと戻って寝るわよ」
「うん。ねえ、ママ」
「……なあに?」
「もし私が死んだら、お葬式に来てくれる? 他に誰が来てくれるかな」
靴の底が石畳を叩く、ただそれだけの音が響く。
背中の少女を負い直したラヴェンナは、優しい声色でやっと返事をした。
「私も、ロクサーヌも、街の人みんなで行くわ。でもねマリー、これからもママって呼び続けたいのなら、あまりそういう話はしちゃダメよ。ママより先に死ぬだなんて、それは親不孝者になっちゃうから」
「そう、だったね。うん……」
「まったく、夜は変なことを考えちゃっていけないわ。ほら、もう着くわよ」
マリーの部屋は暗かったが、ベッドの位置をなんとか見つけ、ラヴェンナたちはその服のままマットレスへ倒れ込んだ。黒魔女の胸元では、寂しがり屋な少女がいつも以上に甘えようと強く縋り付いていた。
「良い子、良い子。大丈夫よ、私はここにいるわ、マリー……」