ストーンヘイヴン市内に並び立つ構造物はいずれも歴史の重みを体現したような石造りだが、その中に一つ、どこか目新しいような赤褐色の煉瓦造りが紛れている。アーチ構造、女神の彫像、よく手入れされた庭園……見た目のオシャレが意識されたこの場所は、今や大陸にその名が知れ渡る「セレスティア商工会」の本部だった。
そこでは常に、何枚もの書類と数字があっちへ行ったりこっちへ行ったり。
商工会員から上ってくる数々の要望を他と付き合わせては利害を調整し、時にはたしなめ、時には共に行政へ働きかける……職員たちが鉛筆片手に数字と戦っている間、その一番奥の部屋では大きな欠伸が上がっていた。
「ふああぁ……」
自身の名を冠する組織のトップ、会長であったセレスティアは、革で作られた椅子に寄りかかっては天井を見上げて足をゆらゆら振る。今は夏に合わせて青色のドレスを纏っていたが、その態度はまるで子供そのものであった。
ついでに、その目元には視界をぴったり覆うアイマスクが被さっている。表には、可愛らしくデフォルメされた犬の目元が刺繍で精巧に作られていた。
「くかぁ……」
口を半開きにしてまどろんでいたら、そこへ誰かが部屋の扉をノックする。
一瞬で目を覚ましたセレスティアはアイマスクを取って「いつも通り」に戻ると返事をした。入ってきたのは商工会の部下である職員だ。
「セレスティア様、本日のお客様方が出揃いました。始めても宜しいですか」
「ええ、もちろん……一人ずつ通して」
「ではそのように」
係の人が一旦部屋の外へ出る。喉の調子を整えながら待っていたら、ノックの後に別の誰かが入ってきた。
そこに居たのは一人の兵士だった。身なりからして、まさに先程外から帰ってきたばかりなのだろう。身体のあちこちには土埃も見えるが……
「失礼します、セレスティア様」
「お帰りなさい。ノルドヴィクはどうだった?」
「ご存じでしたか。いやはや、なかなか堪えましたよ。ですが責務は果たして参りました。こちら、北方拠点にて預かってきた文書になります」
兵士が渡してきたのは、確かに印がしっかり押されていた手紙だ。大陸北部の寒冷地帯へ作った分所の様子と人員・物資の要求がそこに記されている。
「はい、確かにいただきました。こちらはすぐに精査して、不足分を補えるよう手配しようと思います。その時もまた、騎士団にお願いしますね」
「伝えておきます。あと会長、これも」
「ん……?」
机の上に布の包みがトンと置かれる。解いてみれば、中には小さなジャム用の瓶が入っていた。何やら赤黒く輝くものが詰まっている。
「北国で採取できるベリーを使ってジャムを試作したようです。正式に試作品として上ってくるのはもう少し後ですが、先に話を通しておきたいとのこと」
「まあ、とっても良い色合い! であれば、今日の紅茶にさっそく合わせて味を確かめないといけないわね。長旅ご苦労様、下がって構わないわ」
「ありがとうございます。では……」
兵士は礼の後に部屋を出る。一人になったセレスティアは、隙間を縫うようにテーブル上のあたたかなポットを手に取ってカップへ紅茶を注ぐ。それを一口か二口含んだ辺りで次のノック音が聞こえてきた。
二人目の来客は修道服を身に纏ったシスターだ。
手元には綿密につくられた予算書と計画書が握られている。
「会長様、おはようございます」
「おはようございます。今日はどういう用事で?」
「近く、修道院主催で臨海学校を開こうと思っています。かねてから商工会には援助をいただいているため、事前にその計画を確認していただきたく」
「まあ、楽しそうね~! どの辺に行くの?」
「場所はセレーノ海岸を予定しています。スケジュールはこちらで――」
渡された書類をもとに説明を受けるセレスティア。
その表情ははじめからニコニコ笑顔だったが、彼女の口元にほんの僅か、嫉妬と羨望の入り交じった力みが浮かんで、隙間から白く綺麗な歯がちらと覗いた。
「他に参加するのは?」
「魔物学者のライラ様、そしてウィンデルの魔女様方にもお声がけするつもりです。もとより、この話も魔女様の方から提案されたもので……」
「ふ~ん……」
セレスティアは扇をさっと取り出し、すぐにその口元を隠す。
「であれば……私も同行して構わなくて?」
「え? ええ、勿論問題ありませんが、そちらのご都合の程は」
「うふふ、実はちょうど、私もその辺りでお仕事があって……」
「ああ、わかりました、それでは会長様の分も考えておきますね」
「ありがと~。おかしなところもないから、援助の話も裏で通しておくわ」
「分かりました、ありがとうございます」
シスターが部屋を出た後、セレスティアは壁に掛けてある絵画にちらりと目をやる。セレーノ海岸ではないが、おおよそ彼女のイメージ通りの「海」を描いたものであった。
もうしばらく海には行けていない気がする。そんな思いを巡らせる間も与えられずノックが聞こえ、返事をしたら商工会の職員が顔を覗かせてきた。
「セレスティア様。予定は次の方が最後でしたが、急遽もう一人来られまして」
「対応するわ。あと、今度セレーノ分所に視察の予定を入れるから」
「は……はい、分かりました」
「日付は後で伝えるわね。分かったら、このまま三人目を呼んじゃって?」
「はい、ただいま」
案内されて入ってきたのは一匹のアルラウネだった。
車椅子の上に鉢植えが固定され、そこから赤い花弁と緑肌の上半身が生え出ている。彼女はニコニコと明るい笑顔を浮かべながら、この時を待っていたと言わんばかりの勢いで声を大きく張り上げた。
「会長! 私はグロリアです! 妹のリリィと植物屋さんをしてます!」
「貴女のことも聞いてるわ~! ストーンヘイヴンにはもう慣れた?」
「はい! 今日はお店の改装がしたくて来ました!」
そう言って差し出してきたのは、件のお店の一部を建て替えて「温室」に作り替えようという計画書だった。周りの建物のことも考えれば、素人の大工技術では恐らくうまくいかないだろう難工事だった。
セレスティアの頭の中にはいくつかの建設業者が思い浮かんでいた。彼らプロフェッショナルに任せれば、アルラウネ姉妹の要望は叶うに違いない。
「あの――寒くなるまでにお願いしたいです。できそうですか?」
「うふふ、きっと大丈夫よ。そうね、アルラウネは寒いのが苦手だものね」
「はい……。リリィは大丈夫だと言ってましたが、冬が怖くて……」
「なら、なるべく早めに着工してもらえるようにするわ。明日明後日には街中の業者に知らせて担当を決めるから、秋の完成を楽しみにしてて」
「わ~い! 妹にも伝えておきます!」
ご機嫌になった様子の「お姉ちゃん」はツタをうねうね揺らしながら車椅子を転がし、部屋を出ていった。その後は休む間もなく最後のお客さんが扉にノックしてくる。
返事をしたら、白髪と褐色肌の女性が入ってきた。
「いやあ、本当に申し訳ない……突然のことで、しかもしょーもないお願い事でわざわざ悪いんだが」
「まあ、ライラじゃないの! なになに、いったいどうしたの?」
「知り合いにタコスって料理を作ろうとしてな。その材料を探してたんだが……一つだけ、街のどこに行っても無い食材があったんだ。せっかくなら本場の通りに作ってやりたい。どうにか、他の地域から工面してもらえないかと……」
「話は分かったわ。何がなかったの?」
「トマティーヨ。緑色の小さなトマトみたいな形なんだが、ホオズキに近い仲間でな。暖かい地域が好きだから、この辺に無いのも仕方ないんだが」
セレスティアは目を閉じるとむむむと唸り声を上げる。
そうしてしばらく考え込んだ後……何かを見つけたように眉を上げた。
「なんとかなるかもしれないわ」
「本当か!?」
「流石に明日明後日って訳にはいかないけれどね。これも新しい商機だと思ってお手紙を出してみるつもり。種苗店にも置いてもらえないか聞いてみるわ」
「うおおおお、ありがてぇ! 会長様、よろしく頼む……!」
「はーい、お任せあれ~!」
ライラはほっと安堵した様子で去っていった。
すべての来客の要望を聞いたセレスティアは、それを忘れないうちに紙へ書き記してから具体的な指示の文章も添える。そうしてやっと一息ついたら、外から差し込む赤い光に目を細めながら、机上で冷めた紅茶のカップを取る。
「……」
時間も時間で。昼間ひっきりなしに人が動き回っていたのが嘘のように廊下は静かだった。セレスティアは背中を丸めたまま、一人で大きな溜め息をつく。
もう間もなく日も落ちようという頃、商工会の荷馬車庫にセレスティアの姿があった。彼女はそのうちの一つを展開して商品棚を開き、眠い目を擦りながら、ランタン片手に中身を確認していく。
入っていたのは燻製肉や缶詰を始めとした食べ物に、お酒やジュースの詰まった瓶、そして小説本からぬいぐるみまで幅広く用意された娯楽品。空いている箱もいくつかあるが、ここは鮮度が大事な野菜などを当日置いてから出発する。
セレスティアの頭にはとある顧客のことしかなかった。考えに考え、足りてないものが無いか吟味して……これでよしと決めて荷馬車を閉じる。
「ん……」
(そろそろ休まなきゃ。ちょっと、疲れがまずいかも……)
欠伸をしながら商工会本部内の自室に戻り、他の職員に持ってくるよう頼んでいた軽食をなんとか飲み込んでから、ピンク色のネグリジェへ着替えて天蓋付きのベッドへ潜り込む。
布団を被り……掛け布団から手を生やして近くに置いてあった「ミミックくん」のぬいぐるみを掴むと胸元でぎゅっと抱きしめた。表に出している姿と真逆で、口を真っ直ぐにかたく閉じたまま膝を折って狭く小さな姿勢に変わる。
(早く、明日にならないかな)
(明日になったら――)
外からはフクロウの鳴き声が微かに聞こえるだけだ。
◆ ◆ ◆
翌日、お昼。
涼しげな風が吹く田舎道を一台の荷馬車が進んでいた。
御者台にはドレスを纏ったセレスティアの姿があり、隣には「ミミックくん」のぬいぐるみも置かれていた。馬に引っ張られてガラガラ進んだ先には、集落の中に建つ二軒の魔女小屋が見える。
その間の庭を見れば、ガーデンチェアに座って寛いでいる黒魔女がいた。
女商人の顔がぱあっと明るくなり、すぐに手を振りながら声をかける。
「ラヴェンナ~!」
それに対して返ってきたのは面倒くさそうな言動だったが、セレスティアは、昨日とは比較にならない上機嫌のまま荷馬車を小屋の前で止める。
そのまま荷台を展開し、訪問販売の商品棚を準備し終えた。パン、ベーコン、ワイン、チーズ……商工会長たる彼女が、喜んで欲しい気持ちで揃えた品々だ。しかしラヴェンナの第一声は思っても見ないもので――
「ねえセレスティア。そろそろ箒を買い換えようと思ってるの」
なんと。
普段は軽くあしらうようなラヴェンナが、頼ってきているではないか!
「まあっ! いいわよ、是非とも相談に乗らせて~!」
「商売の話になると本当に元気になるわね……箒って、カタログにあったかしら?」
「もちろん! ちょっと待っててね……」
カタログを取り出すために荷馬車の中を漁り始めるセレスティア。そうして、表紙に「ラヴェンナ用」と書かれたものを見つけると、二人で一緒に覗き始めるのだった……