セレーノ海岸で過ごす時間も終わりが見えてきていた。
最終日。この日、ラヴェンナは何もせずビーチベッドの上で太陽の光を浴びてゴロゴロ転がりながら身体を休めている。修道院の子供たちは遠くの砂浜で最後の自由時間を楽しんでいて、潮風に吹かれる魔女を邪魔する人は誰もいない。
(うーん、今日で帰っちゃうのは名残惜しいわ……)
(別に、来たいいつでも来られるのだけれど)
(こうやって騒がしいのも、悪くないものねぇ)
目を閉じて、大きな波の音に聞き入りながらなんでもない時間を過ごす。このひとときにも終わりが訪れると思えば何とも言えない寂しさがあった。
ラヴェンナが一人で物思いに耽っていると……そこへ軽食のサンドイッチの袋を二つ持ってセレスティアがやって来る。いつものようなニコニコ顔だ。
「ラヴェンナ~、ゴロゴロしててもお腹空くでしょ」
「何を持ってきたのよ」
「パニーニ! おひとつどうぞ?」
「じゃあ、ありがたく頂くわ。バカンスはどう? 楽しめてる?」
「ふふーん」
受け取った袋にあったのは、薄く潰されながら焼かれたカリカリ生地のパンとその間の具材……レタス、トマト、ハム、チーズと盛り盛りのサンドイッチだ。この独特な形状のホットサンドはパニーニと呼ばれ親しまれているらしい。
ラヴェンナは身体を起こして一口。なかなか食べ応えがあって味も良い。
セレスティアはその横に腰掛け、二人並んでお昼の時間を過ごし始めた。
「普段の忙しさが嘘みたい。ずっとこうして、日の光を浴びながら風に当たっていたいわ」
「あら、気が合うわね。私も同じことを考えてたの」
「そうだ、また一緒に来ましょう? ロクサーヌも入れて三人で!」
「大丈夫よ。でも、一番都合が合わないのは貴女でしょうに」
「それは……なんとかするわ!」
ぱくり、ぱくり、と軽食を頬張って満面の笑みになるセレスティア。
「んむっ、んむ……あーもうヤダ、帰りたくないわ。ふああぁ」
「そんな大きな欠伸しちゃって。昨日はちゃんと眠れた?」
「あんまり。だって、ここには楽しいことがいっぱいなのよ? 眠っている暇がもったいないわ」
「それはそうかもしれないけど……後が大変でしょ」
「今日みたいな日がずっと続けばいいのにね~」
昨日、一昨日となんら変わらない夏晴れの砂浜。しかし今日ここから帰るのだと思うだけでなんだか物寂しく見えてしまう。ラヴェンナはアンニュイな様子のセレスティアを慰めるように頭へそっと手を乗せる。
「ん~」
「で、今回のバカンスでは何をしてきたの?」
「ビーチでゴロゴロして、お日様いっぱい浴びて、ジュースも飲んで……お仕事で様子を見に行って、お茶してもらって、海の家でご飯を食べて、ボートで波に揺られて、ラヴェンナたちとボール遊びして、ラヴェンナと一緒に寝て……」
「はいはい、もう十分でしょ」
「まだ……まだなにかやってないような気がするの!」
やや固めのパニーニを袋ごと握り潰さん勢いでセレスティアは力んだ。今日の彼女はいつも以上に子供だった。ラヴェンナの前にいるせいだろうか?
「帰った後に『あれもやっておけばよかった』なんて思いたくないの……」
「それは私もそうよ。でも貴女が言ってたでしょ、また一緒に来ようって」
「……うん」
「一生に一度って訳じゃないんだから。幾らでも付き合うわ」
「その言葉、信じてるから~!」
子供のような彼女の面倒を見ながら残されたひとときを二人で過ごす。
やがて、その時はやって来て……元の格好に戻ったラヴェンナたちは最初来た時と同じ馬車の前に集まって人数確認を行う。修道女たちが子供たちをしっかり数え上げる中、魔女たち大人勢は籠に乗って出発を待っていた。
お土産をたくさん持っていたセレスティアはラヴェンナの肩を枕代わりに口を開けて眠りについている。帰ったらやることが沢山ある彼女にとっては、これが最後の安らげる時間でもあった。
「ラヴェンナ様、海はどうでしたか?」
「夏はずっとこっちに居たいわね。でも、そろそろ家のベッドが恋しいかも」
「私も畑のことが気に掛かっておりまして。帰ったら早速収穫ですが……ライラ様もご一緒されますか? きっと余るのでお裾分けしますよ」
「ん、いいのか? ありがてえ、助かる~!」
外を見れば、まさに今馬車で到着したばかりの家族連れがいた。子供も大人も目がキラキラと輝いている。数日前のラヴェンナたちがそうだったように。
楽しかったひとときを回想していると、確認を済ませた後のアイリスが乗ってきた。いよいよ出発だ。
「皆様、今回は、本当にありがとうございました。これからストーンヘイヴンへ参ります。ああ、もうお別れが近いのですね」
「そうねぇ。毎日こうやって一緒にいるのは特別だったわ」
「うふふ、またこのような機会を作りましょう」
「んにゃ……私も、また来るわぁ……」
「なんだかんだ、会長様が一番海をエンジョイしていた気がするな」
ラヴェンナ、ロクサーヌ、セレスティア、ライラ、アイリス……五人を乗せた馬車は行きと同じように最後尾をゆっくりと行く。
◆ ◆ ◆
がたんがたん……しばらく揺られながら車輪の音を聞いている内、ここ数日の疲れが溜まっていた大人たちは馬車の中で全員寝静まっていた。
長かった旅路も眠っていればあっという間だ。ラヴェンナ一行が気が付いた頃にはストーンヘイヴン市の見慣れた街並みが窓の外にあった。停車後、目を覚ました彼女たちは慣れ親しんだ石畳の上で縮んだ身体を伸ばしてリラックスする。
「ふんん……なんだか一瞬だったわね。朝は砂浜にいたなんて信じられない」
「さて、今日の夜ご飯を考えないといけませんね」
「ううっ、帰って来ちゃったわ~」
「他の馬車も無事に着いたようですね」
「ああ~、夏の楽しみがまた一つ終わっちまったぜ」
サン・ブライト修道院の前には既に子供たちが集まり、修道女たちの指示に従って並びながら最後の人数確認を受けていた。大人勢も混ざった後、旅の終わりとなる挨拶が行われる。
その時間も終わって……
いつも通りの、なんてことない日常が本当に戻ってきたのだった。
「皆様、連日ありがとうございました。気をつけてお帰りくださいね」
「今度やる時も私に声を掛けてね~!」
「あたしも楽しかった! また機会が合えば是非!」
セレスティアとライラはそれぞれ別れの挨拶を済ませ、各々の日々に帰っていった。残されたラヴェンナはロクサーヌと一緒にどうしようか考え込む。
「ラヴェンナ様、私たちも帰りますか?」
「うん……あ、待って。一つ寄り道をしていきましょ」
「はい。どちら様に?」
「マリーのところ」
「いらっしゃいますでしょうか」
「居なくても別に良いわよ。ついでにパンを買って、夜は楽をしましょう」
ロクサーヌはにっこりと微笑みながら頷いた。
ウィンデルに帰る前、最後に訪れるのは、かつてラヴェンナの元で魔女修行を行っていたマリーの務めるパン屋だ。引っ越しの兼ね合いもあって、今この街に来ているかは定かではなかったが……
ラヴェンナとロクサーヌが店前までやって来た時、耳に覚えのある快活な声が中から聞こえてきた。今の時間は接客を行っているのだろうか。
ベルを鳴らしながら扉を開けて入ると、カウンターの方で、深緑のエプロンを纏った二つ結びの少女が対応を終えたところだった。客が立ち去った後魔女二人が来ていることに気付くと口を大きく開いて瞳を輝かせる。
「ママ! ロクサーヌさんも!」
「あらあら、前と変わらず元気そうですね」
「……調子はどう? うまくやってる?」
「もちろん! でも今日はどうしたの? 荷物も多いみたいだけど」
「ああ、これはね……」
今まさにセレーノ海岸から馬車で戻ってきた話を伝える。そこまでに至る経緯も併せて教えれば、マリーは目をぎゅっと瞑りながら羨ましそうに頭を振った。
「ううっ、そういや前に言ってましたね。いいなぁ。マリーも次はご一緒したいです。パン屋もお休みを貰いますから!」
「その時はちゃんと声をかけるから。そうだ、夕食用にパンを買おうと思って」
「あー、惣菜パンですね? いいですよ、好きなのを取ってきてください!」
それからというものの、魔女二人は砂浜であった色々な出来事をマリーへ語りながらパンを選んでいく。街から集落へ戻るまでにできたまだ特別感の残る時間を丁寧に噛みしめ、徐々に穏やかな日常へ回帰していった。
旅というものは三度にわたって楽しめるとされる。
出発前の準備、実際の旅行、そして……帰った後に浸る楽しかった思い出。