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第55話「海に行こう③:夜の過ごし方」

 ラヴェンナたち大人勢は、西日が徐々に沈んでいく様子を遠くに、子供たちが砂浜でボール遊びしているのを横から眺めていた。いつの間にか戻ってきていたセレスティアは、黒魔女の腕にピッタリとくっつきながらキラキラと光る夕日に目を輝かせている――


「わあっ、ロマンチックね~、ラヴェンナ」

「あのね、もうちょっと離れて」

「しょうがないわよ、こんな機会滅多に無いんだから。たまにはいいでしょ?」

「……はいはい、いいわよ。わかったから」

「ラヴェンナ様!」


 昼間から姿を消していたロクサーヌの声がして振り返る。

 白魔女は何かが入ったバスケット籠を持って近くまでやって来ると、その中にあるものを一つ取り出してみせた。何やら細長い根菜のようだ。横ではこれまたどこかへ行っていたライラが自慢げに微笑んでいる。


「二人とも、どこで何をしてたのよ」

「ライラ様と探し物をしていました。見てください、ハマダイコンですよ!」

「んん……?」


 ロクサーヌが持ち上げたのは、ダイコンともパースニップとも言えない、細く白い根を持つ野草だった。葉っぱの形は確かに見たことがあるそれに似ている。

 しかしハマダイコン……ラヴェンナは少し考え込んだ後、ずっと前に、彼女がこれについて話していたことを思い出した。それこそ、海に行こうという話題をした時のことだった。


「へぇ、これが……にしても、本当に探してきたのね」

「ライラ様もいらっしゃいましたので、折角なら二人でと」

「いや~、実に楽しかったよ。なんせ彼女、野草の知識が並大抵じゃない」

「まあっ、面白い植物ね! それで、もしかして……食べられるの?」

「うふふ、これから夕食ですので、副菜を追加で実験的に作ってみようかと」


 四人で話をしていると、子供たちの手からこぼれ落ちたボールが海の方に行ってしまう。大人の出番だ。ラヴェンナは咄嗟に立ち上がり、他の修道女と一緒に海の方へ向かっていった。

 そんなことをしていれば空もどんどん赤くなり、影も長く伸びていく。

 セレスティアが言ったように魅力的な色へ変わっていく中、砂浜のあちこちで家族連れや恋人たちがこの特別な時間をそれぞれ堪能していた。



◆ ◆ ◆



 セレーノ海岸を訪れ、その勢いのまま海遊びを楽しんだ一行は、水着から薄着に着替え直してから海辺の広い平屋を訪れた。

 もう外は夜になり始めていた。遠くには黒々とした水面が静かに揺れているのが見えるだけだ。ランプで明るく照らされた部屋は食堂で、いくつもテーブルが並ぶところに子供たちがそれぞれ席について料理を待っている。


 ……すると奥の厨房から修道女たちが現れた。彼女たちが夏野菜パスタの皿を彼らのもとへ運ぶとたちまち部屋の中は沸き立ち、楽しい夕食の時間が始まる。

 その様子をこっそり見ていたラヴェンナは、焜炉の前の椅子で一息ついていたロクサーヌに向かって親指を立てる。こちらのテーブルには、まだ運んでいない大人たちへの皿が用意されていた。


「じゃあ、私たちも向こうに行きましょうか。料理が来ないとうるさくなる女もいることだし……」


 食堂の半分は子供で埋まっていたが、隅の方に魔女たち大人勢の座るテーブルが用意されていた。誰が用意したのか、子供たちの所にはないワインの瓶などもちゃっかり置かれている。そこへラヴェンナたちが皿を持っていけば、既に着席していた金髪の女性がニコニコ微笑んでいた。もうフォークを握りしめている!


「パスタ!」

「はいはい、これは貴女の分よ」

「セレスティア様、今回は色々と工面してくださってありがとうございました」

「いいのよ別に、早く食べましょ? 美味しい内に食べないと勿体ない!」

「むぐっ、むぐ……ウマい……」


 横ではライラが既に食べ始めている。その周りでは修道女たちがグラスの淵をぶつけて今日の苦労を労っていた――


「ああもう、すぐそこに子供たちがいるのにお酒まで出しちゃって。本当に貴女は節操ないんだから」

「いいじゃないの別に! お仕事も終わったんだし、パーッとやらなきゃ!」

「ん……ちゃんとうまくできてますね。安心しました……」

「これすごくウマいな! いくらでも食える!」

「――それでセレスティア、貴女の方は今日どうだったの?」

「ちゃんと全部やってきたわよ。最近の話を聞いたり、新しい計画について相談を受けたり、みんなでお茶したり……」


 すっかりいい気分のセレスティアに乗せられるように、大人たちも自然な笑顔を零しながら夏の夜を一緒に過ごす。一人が飲んでいれば二人目、三人目が出るのは必然のようなもので、ラヴェンナとロクサーヌ、ライラ、そして修道女たちもワインをグラスに注ぎ始める。

 夜が深くなるにつれて子供たちは部屋に戻っていった。普段、修道院から家に戻るような子にとっては友達と過ごす貴重な時間だ。そうして食堂のスペースが空き始めた頃、彼らの相手をしていたアイリスも集まりに加わってくる。


「皆様、今日はありがとうございました」

「お疲れ、アイリス。貴女も飲む?」

「では一杯いただきます」

「わ~、みんなで飲みましょ~?」

「ところでロクサーヌ、例のハマダイコンはどう?」

「ああ、でしたらそろそろ準備しましょうか」


 席を立って厨房へ向かうロクサーヌ。

 アイリスはラヴェンナから赤ワインを注いでもらうと、一口飲んだ後に大きなため息を吐いた。ようやくリラックスできる状態になったようだ……


「はあ……すいません、色々終わったら気が抜けてしまって。子供たちの前ではちゃんとしようって気を張っちゃいがちなんですよね」

「でも、真面目なのは良いことじゃないの」

「わかってないわねぇラヴェンナ。たまに素の自分にならないと、人間はいつか疲れてヘロヘロになっちゃうのよ!」

「そーだそーだ。たまには美味しいご飯とお酒を……」

「貴女たち二人は静かにしてなさい――」

「ふふっ、確かに真面目とはよく言われます。修道院にいる時は、何があってもいいようにお酒はあんまり飲まないので」

「それは大変そうね……」


 それからの話題は、今日の子供たちの様子だったり、修道院の運営に関することだったり、街のイベントに関することだったり。奇しくもこの場所には様々な分野のトップランナーが居るため、一つの物事に対しても見方が違って会話には困らなかった。

 グラスを傾け続けているとロクサーヌが戻ってくる。

 彼女の持ってきた皿には、白く薄いものを台座としたバターのカナッペが並んでいた。きっとその白いものがハマダイコンなのだろう。そしてそれとは別に、葉っぱを使ったサラダも出てくる。


「お待たせしました。簡単なものですが……」

「ロクサーヌったら最高! さっそくいただくわ~!」

「ああっ、あたしも貰う!」

「一つ試しに貰うわね」

「では私も……」


 一口サイズのそれを口に含んでみれば――最初に感じたのは、ダイコン特有のピリッとした辛さだ。しかも並大抵の物ではない! 舌がジュワリと痺れるような刺激だったが、次にそれがバターの濃厚さとなめらかさによって中和されると最後は程よくまとまった味わいに完成する。

 しゃくしゃくとした歯ごたえも悪くなかった。ワインとのマリアージュも良く仕上がっており、意外な発見に大人たちは目を丸くしていた。


「へぇ、良いじゃないの」

「なんと言うか“大地の味”もするわね。私、けっこう好きかも!」

「アリだな……海沿いに行った時の為に覚えておこう」

「うんうん、ワインに合いますね……」

「お気に召していただけたようで何よりです」


 座り直したロクサーヌも混ざり、大人たちの宴会は改めて続けられる。

 子供たちが寝静まる中、徐々に酒が入っていって……



◆ ◆ ◆



「うわぁぁぁぁん、ラヴェンナ~~~~!」


 お酒も、その肴になるような物もなくなってきた頃。

 最初から弾けていたセレスティアが、どこかのタイミングで急に泣きだしてはラヴェンナの腕にぴったりくっついて離れなくなってしまっていた。こうなってしまってはもう、黒魔女には手の打ちようがない――


「ちょっと、泣かないの! 本っ当に貴女は忙しいわね!」

「だってぇ、ラヴェンナと一緒に夜を過ごすの久しぶりだったから……」

「だからって泣かなくてもいいでしょ……」

「ラヴェンナ様、付き合ってあげてはどうですか?」

「あたしたちは明日の話し合いでもするからさ」

「すう……」


 ロクサーヌとライラはほんのり赤くなった顔でラヴェンナを送るように喋る。アイリスは既にテーブルで寝入ってしまったようだった。幸せそうな表情だ。

 セレスティアは既にフラフラしており、若干の子供っぽさを表出させながら、ラヴェンナの腕をぐいぐい引っ張って自分の部屋へ連れて行こうとする。それを断ることもできず、黒魔女は渋々彼女の誘いを受けることにした。




 子供たちはいくつかのグループに分けた相部屋だったが、大人たちはそれぞれ小さな個室を与えられていた。セレスティアの部屋も例に漏れず、荷物置き場とシングルベッドだけの簡素な場所へ、ラヴェンナは泥酔状態の彼女を連れ込んで寝台に座らせた。


「えへへ、ラヴェンナと一緒に寝るの、久しぶりかしら」

「都合の良いことばっか言わないの。私は貴女が寝たらいなくなるわよ」

「ねえねえ、背中の紐解いてくれる? 指先があんまり動かないの」

「はぁ……」


 言われるがまま、ラヴェンナは着替えのお手伝いをする。予め持ってきていたピンク色のネグリジェを被ったセレスティアは、ベッドシーツがちゃんと伸びていることを確認すると掛け布団の下へ足を滑り込ませる。

 それから横になって、ラヴェンナの方を見て……空いているスペースを指先でトントンと叩く。もっともシングルの為、そこまで広くない空間だったが。


「来て」


 いつになく真面目なトーン。

 黒魔女は何も言わず、持ってきていた睡眠用の装いに着替えてからワガママに付き合った。隅でランプの間接照明が微かに揺れるだけの部屋で、はるか遠くからの波音を聞きながら天井を見上げる。


「ねえ、ラヴェンナ」

「なに」

「覚えてる? 昔もこんな風に、旅の途中で安宿を借りたの」

「さあ? 忘れちゃったかしらね」

「ふふ、残念」


 セレスティアは寝返りを打って、ラヴェンナの身体に寄り添っていった。


「あの時も、ラヴェンナは別の部屋を借りるとか、床で寝るとか言ってたけど、なんだかんだ朝まで付き合ってくれたじゃない」

「……」

「今は昔とまた違って忙しいけど、でも、こうしていると安心するのは変わらないものね。でもちょっと寂しい。あれだけ毎日一緒にいたのに、いまは、たまにしか会えないんだもの」

「――過去の話ばっかりだと、おばさんになっちゃうわよ」

「うん……そうね。ラヴェンナの言う通りね……」


 黒魔女の隣は、その言葉を最後に静かになった。

 穏やかな寝息だ。このまま抜け出していってもバレないだろう。暗がりの中でじっとしていると、耳元に、本当に微かな声で……



「いつも、ありがと」



 結局、ラヴェンナが部屋を出ていくことはなかった。

 一人用の狭い部屋に、魔女の紡ぐ旧い子守歌が流れていく。

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