どこまでも広がるような青空にカンカン照りのまるい太陽。遙か向こうにある紺碧の水平線に、文句のつけようがない白の砂浜……セレーノ海岸を訪れていたサン・ブライト修道院の子供らとその付添人たちは、到着して早々に自分たちの好きなことをして思い思いにエンジョイしていた。
「はぁ……」
ビーチベッドでうつ伏せに転がっていたのは黒魔女のラヴェンナだ。
腿の裏と背中を日の光に温めながら、時々上半身を起こしては日陰のテーブルに置かれたグラスへ手を伸ばし、スイカを贅沢に使った赤いジュースをストローで頂いている。
(ああ、これよこれ)
(何もしないで、こうしてぼうっとする……)
(最高の休日ね! このまま私も寝入ってしまいそう)
普段よりもゆっくりに感じる至高のひとときを送るラヴェンナ。
隣にいたロクサーヌはどこかへ行って、反対側のセレスティアは日陰を作って口を大きく開けたまま夢の世界へ旅立っていた。一人だけとなった魔女はずっとゴロゴロしようかと考えていたが、ふと顔を上げた時に見覚えのある姿が近くを歩いているのを見つける。
ちょっとぶかぶかしている水着を履いたアレンだった。
こうして見ると大人になりかけている途中なのが体つきでよく分かる。視線が合ったタイミングで意地悪でもしようと「チュッ」と投げキッスを送れば、彼はなんとも反応に困った様子でラヴェンナに気付いて駆け寄ってきた。
「ど、どうも……」
「ハァーイ、少年。水着姿もなかなかイイじゃない。海楽しんでる?」
「は、はいっ。ラヴェンナさんこそ」
年頃なのだろう、視線をあちらこちらへ逸らしながらなんとも恥ずかしそうな様子で受け答えしている。ラヴェンナはそれが面白くて、口角を上げてニヤリと微笑んでから意地悪なお願い事を仕掛けてみた。
「あっ、そうだわ。ちょっと背中にオイルを塗り足してくれないかしら」
「へっ……!?」
「ロクサーヌはどっか行っちゃったし、セレスティアは寝てるし……頼める人が貴方しかいないのよ。自分でやってもいいんだけど、後ろに手を回すために変な姿勢になるのも嫌だし」
「えっと、でも――」
「うだうだ言ってないで早くやりなさい。いま私たちは海にいるんだから」
「はいぃ」
拒否権を持たない哀れな少年はラヴェンナから細長い瓶を手渡される。コルクで栓してある中には魔女謹製のサンオイルが入っていた。
「手のひらに少し空けて、薄く塗り広げて……」
水着姿でうつ伏せになるラヴェンナ。アレンは言われた通り手の上にちょっとだけ出してから、恐る恐ると言った様子でその殆ど露わになった背中に置いた。
子供の肌よりやや固く張っていながら、それでも柔らかくすべすべとした肌の心地。まだ大人になりきれていない手が小刻みに震えている。
「わ……ぁ」
「こんな“おばさん”でごめんなさいね。もっと若いお姉さんが良かったでしょ」
「いや、そんなっ――それにあの時は、みんながそう言えって」
「ウフフ、分かってるわよ。お兄ちゃんって大変よね……」
アレンは後ろめたさと気恥ずかしさで顔を真っ赤にしつつ、両手を使って背中になんとか塗り広げていった……
「お……おわり、ました」
「ご苦労様。この後は何かあるの?」
「実は、さっき他の子とボールで遊ぶ約束をしてて……」
「ならそっちに行きなさい。大丈夫よ、私は勝手にいなくなったりしないから」
「……はい!」
一通り終わった後、彼は未だ首から上を赤くしたままラヴェンナの下を離れていった。一人でぼうっとしていると、今度は別の方からアイリスが近付いてくる。
黒くてゆるめのチュニックタイプの水着を着ていたアイリスは、片方にまとめた茶髪を揺らしながらラヴェンナの下へやって来た。彼女も普段より気分が良いのだろう、赤い瞳が密かに輝きを放っている。露出はおろか身体のラインさえも出ていない装いだったが、逆に腿から下がそのまま出ているのが、修道女の彼女らしい羽目の外し方だった。
「魔女様、そろそろアクセサリー作りの話をできれば」
「ああ、そうね。何か良さそうな場所はあった?」
「近くに浅瀬がありました。これから潮も引きますので丁度良いかと」
「じゃあ準備をしましょうか……で、セレスティア、貴女は?」
「んあっ」
話を振られたセレスティアはハッと目を覚ます。
それからぐぐっと両腕を伸ばし、ため息を吐いてから身体を起こした。
「せっかくだから、このまま海の家の方に挨拶に行こうかしら」
「へえ、お仕事?」
「もちろん! ちゃんと真面目に働いているのか、客として見に行かなきゃ」
「それってお仕事かしら。うーん、そうかもしれない……?」
「はぁ~、夏の砂浜と言えば海の家グルメ! 美味しいものが待ってるの!」
さっきまで眠っていたから体力が有り余っているのだろう、セレスティアは、普段遊びに来る時以上にはりきった様子で目的の方角に向かっていった。
ラヴェンナも一旦ビーチベッドを離れ、アイリスと二人で下見に向かう。
◆ ◆ ◆
白い砂浜から一転、
昼の干潮に向かって水位は下がり始め、海中のそこそこ深いところまで歩いて入れるように変わっていた。修道院の子供たちは小さなへらと木桶を持ち、水着姿の修道女たちの監督を受けながらあちこちで屈んで砂を掘り始める。
ラヴェンナは付近を歩きながら砂面の様子をじっと見下ろしていた。すると、足元に渦巻状の小さな貝殻が落ちているのが見つかる。
「そうそう、こういうの……」
拾ってみれば、既に中身は失われてカラになっているようだった。
しかし必要なのは外側部分だから問題ない。反対の手のひらを皿代わりにしながら腰を曲げて砂浜をじっと見つめて歩き続けていると、修道院の男の子たちが流木を引きずってどこかへ持っていこうとしているのが見えた。
「これでっかいよ! すごい!」
「ほんとうだ!」
「でっけー!」
そのまま浜辺まで持っていって何をするのだろうか?
ラヴェンナの近くでは女の子たちが集まって貝殻集めを頑張っていた。後で、これらを組み合わせてアクセサリーにするのだ。材料の精査には余念が無い。
「魔女様ー」
「ん? なあに?」
「これ、きらきらしてる」
少女が見せてきたのは、指で作る輪っかと同じくらいの大きさを持つ半透明の円盤だった。わずかにたわみを見せているそれは天然のレンズの片割れに見え、他にも何枚か同じものが浜の砂に紛れていたようだった。
「ああ、それはね……」
「?」
「……答える前に聞くけど、なんだと思う?」
「えぇっ。えーっと……ドラゴンの、鱗?」
「うふふ」
それは太陽の光を受け、小さな手のひらの中で白く煌めいて輝きを放つ……
「惜しいわね。それは魚の鱗よ」
「えぇーっ、こんなに大きいのに?」
「海の中にはとっても大きなお魚さんがいるの。こんなに広い場所だから私だって全部知ってるわけじゃないけれどね。でもその鱗は綺麗だから、アクセサリーやお守りにしたって話は聞いたことがあるわ」
「わぁぁ、じゃあこれ使う!」
すると、今度は別の女の子が貝殻を見せてこれは何だと聞いてくる。物知りな魔女は少女たちの期待と憧れを一身に受け止め、柔らかな口調で質問の一つ一つに答え続けていた。
使えそうな貝殻、漂着物、心ない誰かが捨てていったゴミを回収した後は皆で陸の方へ戻り、即席で立てられていたテント屋根の下のテーブルで一つ一つ出して見る。女の子たちが貝殻やサンゴの欠片に沸き立っている傍ら、男の子たちは相変わらず流木や骨を並べてワイワイガヤガヤと賑わっていた。
砂の上にシートを敷いてそこへ座りながら、ラヴェンナは子供たちにお手本を見せる。魔女の手には、先程砂浜で拾った小さな貝があった。
「ネックレスを作る時は……貝殻のこの辺に、針を使って小さく穴を空けるの。あまり力を入れ過ぎたらケガしちゃうし、貝も割れちゃうから、あせらないで。ゆっくりと時間を掛けて――」
カリカリと針の先で貝の根元の一点を擦れば、やがて小さな穴が一つ空いた。そこへ修道院が用意していた細い麻紐を通し、首の後ろで結んでみれば……海の雰囲気が感じられるハンドメイドが完成する。
両手で「どう?」と聞いてみれば、周りの女の子たちは口を開けて面白そうな表情を浮かべていた。男の子たちはフーンとすましている様子だ。
「他にも、髪飾りやコサージュなんかも作れるわ。シスターさんたちに作り方は伝えてあるから、分からないことがあったら聞いてみなさいね。じゃあ次は小瓶の中に思い出を閉じ込める方法を教えるわ……」
黒魔女の指南を受けた子供たちは思い思いの時間を過ごす。
太陽が徐々にてっぺんから西へ傾き始めている中、時には黙々と、時には会話を交えながら、それぞれが目指す物の形を作り上げていく。
ラヴェンナが作っていたのは「思い出の小瓶」だ。
普段はジャムを入れるような片手サイズの空き瓶へドロリとした蜜蝋を入れてそこに砂を薄く敷き詰める。そして、拾った貝殻や鱗と言った海の記憶を丁寧に差し入れていった。
飾りが固定されれば、もう少しだけ砂を足してからコルク栓で蓋をして完成。これなら帰った後も棚に飾ることで、今日の出来事を振り返ることができる。
「わぁ~、魔女様、すごい!」
「きれい……」
「みんなもよく出来てるわよ。さあ、悩んでる子はいない?」
魔女のワークショップは盛況だった。男の子たちは自分の世界を表現するために黙々と小瓶と向き合い、修道女たちも髪飾りなどを作って童心に返っている。
もうしばらくしたら午後の日は大分傾いてくるだろうか。
海遊びも今日だけではない。それに、夜は夜で楽しみが待っている……