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第52話「おばさんじゃない!」

 夏も後半戦に差し掛かった頃。サン・ブライト修道院の集会場では床に座った子供たちがニコニコと楽しそうな表情をして、アイリスたち修道女の言うことを聞こうとしていた。

 そして、集会場には黒魔女と白魔女の姿もあった。いつになく特別な雰囲気の中で場の空気は静かながらに沸き立ち、期待と興奮のオーラが広がっている。


「はい、皆さんがちゃんとお利口さんにしていたので、ご褒美に、みんなで海に行くことが決まりました」


 わーっ! 子供たちの歓声が上がる。


「はーい静かにしてくださいね。今回は、ウィンデルの魔女様たちもいっしょに来てくださいます。今この場にはいませんが、ライラ様もいらっしゃいますよ」


 わーーーっ! さっきよりも大きな歓声が上がった。


「……ということで、これから海に行く前に大事なお話をしていきます。向こうでケガして悲しい思いをしないように、ちゃんと聞いてるんですよ?」

「「「はーい!」」」

「では早速はじめますね。今回、私たちが行くのはセレーノ海岸で――」


 修道女からのお話がされる中、横に立っていたラヴェンナは、座っている子供たちのキラキラとした顔つきを前にそっと笑みを作る。長い時を生きる魔女たちにとっては見慣れた光景だったが、彼らの笑顔は、何度も目にしても悪くないと思えるようなものであった。


(この景色は本当に変わらないわねぇ)

(いつの時代も、子供は海遊びが好きなんだから)


 目を細めながら、そっと物思いに耽ってみる……



◆ ◆ ◆



 春、ラヴェンナはロクサーヌとゆったり過ごす中で、海に行きたいという話をなんとなくしていたことがあった。それは、実際に夏になったところで現実味が出始め、それぞれ海の風景を頭の隅に置いたまま色々準備を進めていた。


 黒魔女が体型のことで四苦八苦していた最中……ロクサーヌが街でアイリスと話をした際に海のことを伝えてみれば、その企画が修道院の中でも肯定的に捉えられたらしい。

 そういうこともあって話はラヴェンナの知らないところで大きくなり、実際にハッキリとした形を成し、魔女二人は付添人という立場に落ち着いたのだった。


「ということで、出発する日は、朝にここから馬車に乗っていきます。次に向こうで何をするかですが……そうですね。魔女様、どうぞこちらへ」

「じゃあここからは、私から話させてもらうわね」


 ラヴェンナは代わりに子供たちの前へ出てきて、懐から一枚の貝殻を見せる。

 手のひらと同じ広さの白い貝には、波打つような模様が刻まれていた。


「この貝はずっと昔に私が持ち帰ったものよ。そして、これ以外にもいろいろな見た目をした貝が海にはあるわ。それをみんなで集めてみましょう。もしかしたら貝じゃない別の物が流れ着いてきているかも……」


 おーっ、と期待に満ちた声が上がる。


「もし興味ある子がいるなら、集めた貝とかを使って、お守りや飾りを作ってみましょう。ちょっとした“まじない”も教えるつもりだから、期待してて頂戴」

「質問です!」

「はいどうぞ」

「おばさんも水着を着るんですか?」


 おぉーーーっ。さっきよりも大きな声が上がった。その傍らで、修道女たちは申し訳なさそうな顔になってあぁー、とうなだれていた。

 ラヴェンナも一瞬こめかみをピクリと動かしたが……今の彼女はその程度では激昂しない。なぜなら、短い期間とは言え自己改造の努力を続けてきたからだ。むしろ堂々とした様子で胸を張ってみせる。


「おばさん呼びは聞かなかったことにして……水着は持っていくつもりよ。海に行くって決めた日から運動してたから覚悟してなさい。とっておきの美ボディをお披露目してやるんだから――」

「ラヴェンナ様、それは彼ら相手にすべき話ではないかと……」

「あらいけない、ありがとうロクサーヌ。他に質問は?」

「あります!」

「はいどうぞ」

「おばさんの好きな食べ物って何ですか」


 おぉーっ。子供たちから中くらいの声が上がった。修道女たちが心配そうに視線を向ける中、ラヴェンナは余裕たっぷりな笑顔で頷きながら返事をする。


「自然で獲れたものが好きね。肉でも、魚でも、植物でも……その土地にずっとあったものは、食べた時になんとなく大地の味がする気がするわ。もしライラが良いって言うなら魚の釣り方を教えてもらってもいいかもね」

「魔女様、ライラ様は実際に、そのようなことを教えたいと仰っていました」

「へぇ、じゃあご飯には期待しておこうかしら。そうね……あと一人!」


 そう尋ねてみれば、子供たちはなんとなく一人の少年を――アレンの方を見ながら肘で小突いたり視線を送ったりして手を上げさせようとする。彼は彼なりに大人に近い理性を持っているのだろう、小さく首を横に振りながら遠慮していた様子だったが、小さな子たちに無理矢理手を上げさせられてしまう。

 きっとアレンにも色々な人間模様があるのだろう。

 ラヴェンナはそれを何とも面白そうに見つめながら当ててみせた。


「はい、そこの少年」

「えっと……」


 アレンはやっぱりやめようとするが、周りからの期待のムードに押し流される形で、なるようになれと言わんばかりに声を上げて尋ねた。


「おっ……おばさんって、いま、彼氏はいるんですかっ……!」


 おおーーーっ! 今日一番の声が上がった!

 アイリスたち修道女はもう頭を抱えてしまっている。しかしラヴェンナはこの機会を逃すまいと、歯を見せるようにニヤリと笑ってから質問に答え始める。


「今はいないわねぇ。でも、おばさんなんて生意気なことを言っちゃうクソガキがいたら、面白いことを言う子がいるなぁって彼氏にしちゃうかもしれないわ」


 魔女の視線がアレンへまっすぐに向けられ、黒の瞳がギラリと光った!


「その時は逃げられないから覚悟しておきなさい。特に今日おばさんって言った奴、全員、顔覚えてるから」

「ま、魔女様……」

「ああごめんなさい。私からの話は終わりよ。じゃあロクサーヌ、よろしく」

「はっ、はい――」


 最後の最後、ラヴェンナはあとの話をロクサーヌに投げると先程と同じ横の方へ捌けていく。それから、未だガタガタと震えているアレンに視線を送りながら意地悪な笑みを向けてやった。

 しかし、あまり彼をいじめるとアイリスから苦言を呈されそうな気もした。

 ラヴェンナは目を閉じて穏やかな顔に戻る……



◆ ◆ ◆



 その後、ラヴェンナは街の手芸用品店を訪れ、奥の薄暗い作業場で紙袋の包みを受け取っていた。

 早速確認してみれば、それはラヴェンナが見慣れたデザインでありながら細部までしっかりとしたものに作り直されている。黒魔女の正面では、蜘蛛の身体を持つ女店主のアリアが普段よりも自信ありそうに腕を組んでいた。


「まあ、凄く良い出来じゃないの」

「これが私の生業なので……」

「これなら向こうでも堂々とできそうね。頑張って運動した甲斐もあったわ」


 思い出されるのは、カトリーナから受けた個人指導から始まった地獄のような日々……二日目以降はそうでもなかったような気がするが。

 珍しく毎日コツコツ小さな運動を続けた黒魔女は、理想とは言わなくとも許容できる範囲までに現実を変えられていたのだった。ひとまずは子供からおばさん呼ばわりされても「おばさんじゃない!」と言い返せるだろう。


「体型の問題も解決した?」

「……たぶん」

「では、僭越ながらこの場で――」


 アリアはどこからともなく長さを測るためのロープを取り出すと、両腕を上げたラヴェンナの胸、胴回り、お尻のサイズを真剣な顔で測っていく。

 やがて彼女は一通りの操作を終え、目を閉じてから腕を組み直す。


「どう?」

「……」


 緊張の一瞬だ! ラヴェンナがごくりと唾を飲む。

 アリアは間を置いてから……両手で大きな○を作った。


「おつかれさまでした。問題は無いようです」

「ふう。まあ、あれだけのことをやったもの」

「でも、この後食べ過ぎて、また体型が戻っちゃわないようにね」

「……肝に銘じておくわ」


 店の中はいつも通りに薄暗かったが、木の板で塞がれた窓の外では太陽の光が燦々と降り注いでいる。街の噴水では、涼を求める人々やカラスの姿が見えた。

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