嘘のように晴れた青空の下。ラヴェンナは蔵の扉を開けた後、腰に手を当てながら中の様子をじっと眺めていた。
黒魔女の所有する蔵は相変わらず中身がごちゃごちゃとしている。色々な物が特段整理されないまま敷き詰められ、中には布が被せられてどのようなものか分からないものも見受けられる。おそらく彼女自身でさえも全てを把握できているわけではないが、確かなこととして……ここにある物には何かしらの所以があった。
「んーっ……」
一人で唸っていると、そこへ意外な来客が現れる。
背の高い褐色肌の女性――魔物学者のライラだ。今日は荷物が少ないのだろうか、背負っているリュックサックにはかなり余裕があるように見える。
「どうもどうも、魔女様! いやぁ、すごい嵐だったな!」
「あらおはよう。貴女は大丈夫だったの?」
「見ての通りさ。なにも、初めてのことじゃないからな。雷はちょいビビったが……んで、これから何するつもりだったんだ?」
「折角だから掃除でもしようと思ったんだけど。貴女こそ、こんなところにいて良いものなの?」
聞き返されたライラは口を大きく開けて快活に笑ってみせた。
「あっはっは、何も問題ねえ。実は、魔女様たちから色々話を聞きたくてな」
「へえ……その分だとロクサーヌにも話を通してそうね」
「ご名答! お返しと言っちゃなんだが、あたしが一番うまいと思ってるものを用意してきた。だから色々聞かせてくれないか? 勿論、何か作業するなら手を貸す」
「いいわよ、一人だと大変だから手伝ってちょうだい……」
そのまま二人で、しばらく手入れしていなかった蔵をじっと見る。
中は相変わらず埃だらけだった。以前に何度か立ち入っている場所ではあったが、今日は本腰を入れて中の物を動かす必要がある。用意していた布で鼻と口を覆って、軽くストレッチをしてから運搬作業を始めた。
「んで、ここには何が入ってるんだ?」
「昔使ってた物や、大事な貰い物はここにしまってるわ。なかなか捨てるに捨てられなくて……」
「へーっ。なんかお宝も眠ってそうだな……」
「あまり大層なものは入ってないわよ。ライラ、そっちを持って」
「あい。これは……棚か?」
奥から二人で一緒に運び出したのは細やかな装飾の施された衣装棚だ。外に出してから、上に乗っていた埃を落として綺麗にして元の美しい姿へ戻してあげる。
およそ通常の家庭では見ないような手の込んだつくりの家具は、さっそくライラの興味を強く引いたようで、彼女はそれについて質問を投げかけてきた。
「これ、どこで作ったものだ? かなり年代が経っているように見える……」
「んーっと……詳しくは覚えてないけど、これは私が使っていた物ではないわ。昔、ちょっとした筋の人から預かった物なのだけど」
「預かったって、こんな埃被るまで置いてるんだったら、向こうも忘れてるんじゃ」
「うん……そうかもしれないわね」
引き出しを開けて中を覗く。勿論、そこに何かが入っているわけでもない。しかしあまり詳しくない者が見ても分かる高級感は家具のやんごとなき出身を思わせた。
「ずっと昔のこと……とある貴族の一派が没落しかけていた時に、ちょっとだけ手を貸してあげたことがあったの。もう、今はどこで何をしてるのか分からないけどね。この家具はその時に代わりに貰った、借金のカタみたいなものよ」
「今更取りに来るってのは――」
「ないでしょうね。でも、だからと言って手放すことはできないの。きっと何十年と経ってもここに置きっぱなしだと思うわ」
話を聞いていたライラは身体を左右に振りながら装飾の一つ一つを観察し、やがてむむむと唸った後にラヴェンナへ提案を返した。
「もしかしたら、あたしの知り合いでその辺の事情に詳しい奴がいるかもしれない。スケッチを取ってもいいか? そいつに見せれば持ち主が分かるかもしれん」
「いいわね、是非お願いしようかしら」
「んじゃあ時間を貰うぜ。すまねえな、手伝うって言ったのに」
「いいわよ、一人で出来る範囲を片付けてるわ」
ライラが年代物の家具を記録に残す間、ラヴェンナは一人で蔵の掃除を再開する。
布を被った箱を出してから埃を落とし、そっと開けてみれば、中には白磁の大きな平皿が収まっていた。目に鮮やかな青の文様が入ったそれがいつから収められていたかは分からないが、これも相当昔に頂いたものだ。
「おおっ、綺麗な皿だなぁ!」
スケッチしながらチラ見してきたライラが声を飛ばす。
「これは確か……ずっと前に、異国調の焼き物が大陸で流行ったことがあったのよ。その時の取引で貰った記憶があるわ。他にも探せばいくつか出てくるかしら」
「すごいな、魔女様のとこにはなんでもありそうだ」
「なんでもはないわよ?」
「……よし、こんなものか。じゃあこの棚についてはこっちで調べておく」
そう言ってライラが見せてきたのは非常に精巧なスケッチだった。様々な角度からの見た目、大きさと質感についての解説も添付されており、見た人の正しいイメージを助けてくれるだろう。
「流石ねぇ」
「メシの種なので。じゃあ、続きをやっちゃいますか」
「ええ。でもいけないわね、懐かしい物ばかりだから掃除が進まない……」
「わかるぜその気持ち。あたしも、たまーに帰った時に掃除しろしろ言われてさぁ」
二人でぶつくさ言いながら蔵の中を綺麗にしていく。
しかしまあ広いもので、今日一日で全ては処理できそうにはなかった。とりあえず半分程度の場所を空け、箒で溜まった埃を外に出す。
すると――ライラの目がキラリと光った。彼女は膝を折ると、暗がりの中に落ちていた金色のコインを指で摘まんでラヴェンナへ知らせた。
「おい魔女様、金貨があるぞ!」
「あら、何かの拍子に転がり込んでたのかしら」
「しかし見たことない模様だな。いつ頃のだ? 今だといくらぐらいになる?」
「うーん……」
ラヴェンナは金貨を受け取ると、そこに描かれたものをじいっと覗き込む。
遠い記憶のどこかで見た覚えはあるが……具体的な場所と日時までは出てこない。それでもあまり困って無さそうな風に、布きれの下で口を開く。
「分からないわね。でも……」
「でも?」
「間違いなく、セレスティアなら知ってるはずよ」
ライラは少し間を置くと、やがて納得したようにふんふんと頷いた。
「セレスティアって、例の会長さんか」
「仕事柄、彼女はおそらく全ての金銀銅貨のことを知っているわ。これも聞けば即答でしょうね。私は昔のコインで取引する機会が多い人だから、あの知恵袋にはかなり助けられてるわ」
「ひえぇ……」
「たまに、何でそこまで知ってるの? って思うこともあるけど……」
謎の多い女商人セレスティアにはいつも驚かされてばかりだ。二人の頭の中では、ドレス姿の彼女が口元に扇を添えながら「おーっほっほっほっほ」と笑っている……
「……なあ、魔女様?」
「どうしたの」
「その、もしかしたらなんだが……セレスティアも、魔女なんじゃ……」
「さあ? 気になるなら本人に聞いてみなさいよ。あの人は忙しいでしょうけど」
「ちぇ、なんだよー。答えてくれたっていいじゃないかよー」
「はいはい、中は掃き終わったから、出してた物を戻すわよ」
ちょっとだけ不服そうなライラだが、これ以上深く突っ込むことはせずにラヴェンナの指示に大人しく従っていた。作業をしている内に日はてっぺんまで上り、二人の腹も丁度良い塩梅で空き始める。
「はい、終わり。扉も閉めちゃうわよ」
「魔女様、ひょっとしたらここには、とんでもないお宝が眠ってるんじゃ……」
「そうかもしれないけど、でも、それ以上の価値はあるわ。ここに来ると色々なことを思い出すの。私は忘れっぽいけど、代わりに物が覚えていてくれるわ」
「いいなぁ、そういうの。今度からあたしもその言い回しを使ってみるか」
ぎい、と蔵の戸が閉められる。鼻と口を覆う布もようやく取り払えた。
ラヴェンナは深呼吸をした後、横目でライラをじっと睨んでニヤリと笑う。
「さあて。魔女の秘密を沢山話したことだし、お昼には期待しても良いかしらね」
「おっと、そういう約束だった。まあ任せろ、これでもメシにはうるさいからな!」