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第46話「ロクサーヌの仕送り」

 その日は、ロクサーヌから前もって時間を空けておくようにと頼まれていた。


 起きて早々、外作業の支度をしたラヴェンナはガーデンテーブルに置かれていた簡単なサンドイッチとハーブティーを摂り、煙突からモクモクと煙を上げるお隣さんに顔を出す。

 中ではロクサーヌが大きなボウルをテーブルに並べていた。先程外で収穫作業をしていたのだろう、大量のトマトが積まれて山を為している。白魔女は包丁でそれらを細かく刻み、用意していた広い鍋に片っ端から流し込んでいた。


「ロクサーヌ!」

「ああラヴェンナ様、おはようございます」

「何から手伝えばいい?」

「ジャガイモを運搬用のチェストに詰めてください。蔵で陰干ししてあります」

「分かったわ。……量は足りそう?」


 テーブル下の木箱には空の瓶が大量に敷き詰められて並んでいる。

 彼女は、夏野菜の瓶詰めを作ろうとしていたのだった。これらの空き瓶も今日中に煮沸消毒されて色鮮やかな中身を蓄えるのだが……なかなかの作業だ。


「一時はどうなるかと思いましたが、なんとか足りそうです。本当ならもう少し多く欲しかったですが、ノルドの人たちは満足してくれるはずです」

「なら良かった。じゃあ、向こうに行ってくるわ」

「はい、よろしくお願いします」


 ミントの香りがする魔女小屋を出たラヴェンナはあまり立ち入らないロクサーヌの蔵へ向かう。大きな扉を開け、棚で乾かされていたジャガイモたちを前にしてから覚悟を決めると、運搬用のチェストを開けて詰め込み作業を開始した。



◆ ◆ ◆



 ノルドヴィク――ウィンデルより遙か北方に行った先、氷と雪で閉ざされた場所にある、海に面した漁業の村だ。そして、“氷撃の魔女”ロクサーヌ・フロストの生まれ故郷でもある。

 一年を通して極寒の気候が続く集落では、人々は木を燃やし、魚を捕って、強かに暮らし続けている。ロクサーヌはその中で多くを学んで育った。いつかの夜に聞いた言葉が、肉と酒の香りと共に呼び起こされた。


『ノルドヴィクはほとんどの植物が育たない環境にあります。そのため、村の人たちは行商と取引を行うことで足りない食料を補っています』

『ただ、それでも彼らの食生活は十全ではありません。行商の人も頻繁に来るわけではないのです。私たちが普段目にしている、色鮮やかな夏野菜の数々を彼らは知らないんですよ。アザラシの肉を使ったシチューは時折恋しくなりますが……』

『私の畑はもう見たと思います。恐らくこの集落で一番の広さでしょう』

『あれは……彼らの分でもあるんですよ』


 極北の村を離れた白魔女が躍起になって畑仕事を営む理由はたくさんあるが、その一つには、故郷の食を支えたいという孝行じみた思いがあった。


(さて……あの様子ならなんとか、夕方には間に合うかしら)

(しっかし今年は豊作ね。私たちだけならこれで数年は食えるでしょうに)


 数日かけて乾燥しておいた芋をチェストへゴロゴロ転がしていく。どの芋も大地の力を吸い上げて丸々と膨らみ、目にしただけで生きる活力が湧くようだ。日光を遮るための厚い布を被せてから蓋を閉め、同じようなチェストをいくつも用意する。これらは夕方、セレスティア商工会の行商を通じて北へ運ばれていく。

 蔵にあった他のものを覗いてみれば、そこには、あらかじめ集めていたのであろうストーンヘイヴン土産がまとまっていた。ワインの入った瓶に魔獣の珍味、流行りの小説にカードゲームの箱、魔物を模したぬいぐるみたち……


(……いけないいけない、こんなことしてる時間はないわ)


 ロクサーヌの魔女小屋に戻ると、鍋の中ではカットされたトマトがぐつぐつと音を立てて煮込まれつつあった。

 濃厚な香りが立ち上る中、彼女はかさが減ったのを見るや新しくトマトを入れてかき混ぜてよりドロドロと濃い液体へ仕上げていく。隣に並ぶもう一つの鍋では、瓶を丸ごと煮沸消毒するための水が熱されてボコボコと泡を上げていた。


「芋は全部詰めてきたわ」

「ありがとうございます。では次に、ナスとピーマンを……」


 指示されるまま、ラヴェンナはロクサーヌが要求したものを収穫して家と往復する。外は相変わらずの日照りだが、いつもの弱音が零れることはなかった。




 頼まれたものが全て揃った頃、煮込まれていたトマトは既に移し替えられ、赤々とした見た目の瓶は蓋をして逆さに並べられていた。これらも同様に箱へ詰められて、遙か北方の人々の食事へ彩りを与えることとなる。

 ロクサーヌは包丁を使って、運ばれてきた野菜を次々とカットしては下準備を進めていた。手が空いたラヴェンナも別の食材を切って手伝い始める。ナス、ピーマン、ニンニク、パプリカ、キュウリ……


「最近は、あっちの方はどうなの」

「私がいた時よりも良さそうですよ。なんでも、近くに商工会が流通拠点を作ったそうで。ノルドヴィクだけではなく周辺の村にも物資が行き渡りつつあります」

「良いじゃない。あの仕事馬鹿が気を利かせてくれたのかしら」

「ふふふ、熱心な顧客がいたせいかもしれませんよ」


 切り分けられた食材はそれぞれが瓶の中に詰められていく。

 作業をすることしばらく、瓶に少しの胡椒とたっぷりのオイルが注がれた。


「ここまで来たら、あとはもう殆ど終わったようなものですね」

「今年も沢山作ったわね……」

「うふふ、私たちの分もありますから。でも良かったです、間に合いそうですね」

「きっと喜んでくれるわよ。さて……」


 魔女二人は、湯を沸かした鍋にオイル漬けの瓶を入れて最後の工程――瓶の脱気を始める。しかしこれに関しては時間がなんとかしてくれるものだ。幾つかの鍋を平行して沸かし、その中で瓶ごと湯煎して残った空気を追い出していく。

 処置の済んだものは蓋を閉めてひっくり返し、冷めるまで待つ。そうしてついに夏野菜の瓶詰めが仕上がった。この状態なら長期間での保存が可能となる。


「ふう……ようやく終わったわね」

「もう少ししたら商工会の人がいらっしゃいます。荷物を出しておきましょう」


 既に日が傾いてしばらく経っていた。

 西の空が赤くなりつつある中、ラヴェンナたちが用意したチェストを魔女小屋の外にまとめているとストーンヘイヴンの方角から荷馬車がやって来る。セレスティア商工会から来てもらった配達人だ。

 空の荷台に三人で荷物を積み込んでいく。最後、忘れ物が無いかを確認する頃……荷馬車の中はロクサーヌの仕送りでみちみちに詰まっていた。


「では、ノルドヴィクまで。……どうか、よろしくお願いします」


 挨拶の後、行商はウィンデルを離れていった。

 小さくなっていく後ろ姿を見ながら、白魔女は珍しく大きな欠伸をする。


「ふあぁ……」

「今日のご飯は私が何とかするから、少し休んでなさい」

「ありがとうございます。では、そうさせていただきますね」


 ロクサーヌはゆっくりと歩いて自分の魔女小屋に戻っていく。

 両腕を伸ばしたラヴェンナは凝りをほぐして、もうひと頑張りと奮起した。



◆ ◆ ◆



 怒濤の一日からしばらく経ったある日のこと――


 昼食のために庭の日陰を訪れていたラヴェンナは、いつものパンが置かれている皿の他に見慣れない瓶詰めを見つけていた。大きいガラス瓶の中には黒く粘性あるものが詰まり、中には大きな塊もゴロゴロしているのが見える。

 テーブルについていたロクサーヌはいつになくニコニコと上機嫌だ。彼女の手元には、普段から見る機会は多いもあまり買うことのない黒々とした硬いパンがあった。


「ロクサーヌ、これは何?」

「アザラシのシチューだそうです。この間仕送りを送ったお返しで、ノルドヴィクの村から今朝届いたんですよ」

「ああ……」

「開けてしまいますね。私も食べるのは久しぶりなので」


 蓋を開けて、スプーンを使ってお互いの皿へ取り分けた。それでもまだ沢山ある。ロクサーヌはどろりとしたシチューをすくって一口。次にガサガサとした黒パンに乗せて一緒に頂いていた。

 ラヴェンナも真似をするように口へ運ぶ。濃厚なアザラシの脂、骨や軟骨から抽出したであろう旨味、魚介から作ったソース……寒冷地帯で生き抜く為のエネルギーがこの一杯にこれでもかと詰まっている。


「うん……ん?」


 物珍しい味わいに舌鼓を打っていたラヴェンナはふと気付く。

 向かいに座る隣人が今日はやけに静かだ。彼女はシチューを頬張りながらも、ただ黙ったまま、がさついたパンを口の中へ詰めこんでは咀嚼し続けている。

 今は、食事をする時に発生する些細な音しか聞こえていない。目を閉じれば、口に広がる味覚だけがそれぞれの世界となっていた。


「……」




 ラヴェンナは何も言わず、ただ静かに過ごしていた。

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