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第45話「肉と酒のサバト」

 ストーンヘイヴンの騎士団を束ねる立場にあるカトリーナは、その身体に発現した魔女の力としっかり向き合うため、時折ウィンデル集落に赴いては“幻想の大魔女”から直々に指導を受けてトレーニングを積み重ねていた。

 根っからの真面目気質なのだろう、騎士団寮に戻った後も彼女は独力で研鑽を重ねて成長を遂げつつある。そしてある日の昼、そんな魔女見習いから「また会いに行きたい」という旨の文面が届いたのだった。


「ねえロクサーヌ、カトリーナのことについてなんだけど」

「カトリーナ様がどうかしましたか?」


 台所でシャーベットを作っていたロクサーヌのもとでラヴェンナは手紙をヒラヒラと揺らしながら彼女の言っていたことについて伝えた。そして……


「彼女が来るなら、三人で外で肉を焼きながらゆっくりしない? そうしたらきっと騎士団長様とも更に仲良くなれるんじゃないかと思うんだけど」

「良いですけど……最近運動はされてますか?」

「ぐっ――一応、あれからまたちょっとずつ頑張ってるから」

「では用意しておきましょう。話が具体的になったら教えてください」


 隣人の同意を得た後、早速机について羽ペンを走らせる。

 そうして、夏のウィンデルの夜にちょっとした魔女集会サバトが行われる運びとなった。




 そして、約束した日の昼過ぎ……


「ラヴェンナ、来たぞ」

「いらっしゃい、入って。あら、それは……」

「良さそうな物を持ってきた。夜になったら楽しむとしよう」

「良いわね。それじゃあ、これはロクサーヌに預かってもらいましょうか」


 よく晴れた空の下、いつもの軽装姿でやって来たカトリーナは、何かがゴロゴロとしている包みをいくつか持って魔女小屋を訪ねてくる。

 出会った当初こそやや事務的で緊張した態度だったが、何度か顔を合わせて素性を知っていくにつれて余計な強ばりはなくなっていた。ラヴェンナに対する微笑みも、若干不器用っぽさがありながらも自然に作れているように見える。


 魔女小屋の中で、ラヴェンナとカトリーナは椅子に座って落ち着いた。

 開けられた窓の隙間からは心地よい風が吹き込んでいる。過ごしやすい日だ。


「せっかくだから今日は座学から始めましょうか。夏だし、今夜のこともあるし……魔女と土地の関係性について教えるわ」

「頼む」

「もしかしたら聞いたことがあるかもしれないけど、魔女の中には、ずっと同じところで暮らし続けている人たちがいるわ。ストーンヘイヴンみたいな都市部で暮らした方がずっと便利なのは知っているけど、それでも、自分たちが生まれ育った場所から離れずにそこで自給自足の暮らしを続ける人がいる。例えば、いつかのロクサーヌがそうだったように……」


 時々昔話も交えながら、黒魔女は子供へ語りかけるような柔らかい口調で己の持つ知識を伝えていく。

 カトリーナの向かいに座っていた黒いローブの女性は、時に理不尽な目に遭っていたり情けない姿を晒したりするが、こうして対面すると200歳超えの貫禄があった。


「魔女の力の源の一つに“食べ物”があるわ。人間も魔物も、食べることによって必要なものを摂取して身体を作っていく……特に、マナを通して自然と繋がる私たちにとってはこの食が大切なの。昔からその土地にある食事を摂り続けた私たちには、その土地の食材によって構築された専用の"脈”みたいなものが通っている」

「それは……身体に染みついた癖、か?」

「そうとも言えるわね。例えば、私は、森の中で暮らしていた時期が長かったから、いつも野草とかキノコとかジビエを獲って食べていた。だから今も、その手のものを食べると殊更に元気が出るし、何だか懐かしい、帰ってきたような気持ちになる」

「ふうむ」


 顎に手を当てて考え込むカトリーナ。


「故郷の味、と言っても良いのだろうか」

「ええ。話を戻すと……魔女の一部はそのことをとても重視しているから、自分が生まれ育った場所を大切にしているし、そこから積極的に引っ越そうとはしないのよ。あなたも、自分が育った場所の食文化は知っておいた方がいいわ」

「私はストーンヘイヴンの生まれだ。何があるだろうか」

「あの街なら選びたい放題じゃない。最近、何か嗜んでいるものはあるの?」


 ラヴェンナから投げかけられた質問に、新米魔女はしばらく天井を仰ぎながら頭を回していた。そして幾らか経って、思い出したようにぽつりと言葉を返す。


「……酒?」

「いいじゃない。かなり都会的な魔女ね」



◆ ◆ ◆



 それからは夕方まで、カトリーナが練習してきた風魔法がどれくらいのものになったかを屋内でテストしていた。

 彼女は胸元の前で両方の手のひらを向き合わせ、間にある空間で小さく風を起こそうと試みる……すると一瞬だけぶわりと風が吹いて白い前髪を揺らしていった。だがその後は出力が安定せず、断続的で不安定な空気の流れができるだけに留まる。


「最初は良いんだが」

「その感覚をコントロールできるようになれば、小さな魔法を長くゆるく続けられるようになるわ。……最初よりもかなり上達したわね」

「ありがとう。実は、結構練習したんだ……」

「そろそろ日が暮れるから、今日はこの辺にして、外で準備を始めましょうか」


 魔法の鍛錬を切り上げた二人は庭へ出た。

 いつものガーデンテーブルの横には焚き火台が置かれ、そこに金網と鉄板を敷いて簡単なグリルが作られている。既に火起こしも済まされているようで、ロクサーヌが近くのガーデンチェアに腰掛けながら、パチパチと燃える木炭を見守っていた。


 空を見れば、西の彼方が赤く焼け始めている。徐々に周りが青く暗くなっていく中でいくつかの星が一番乗りを主張するように瞬いていた。


「お二人とも、お疲れ様でした。もう準備はできています」

「ありがとう、ロクサーヌ。カトリーナも座って」

「ではここに……そう言えばあれは」

「分かりました。持ってきますね」


 席を立ったロクサーヌは、すぐに家の中から例の包みを持って帰ってきた。

 ガーデンテーブルの上に広げられたのは、艶のある大きな葉に包まれた肉とビールの詰められた瓶。馴染みのある銘柄だった。ストーンヘイヴンではごくありふれているものだが、こう言う場面でもかえって安心感があって良い。


「とても良い肉ですね。これはどこで?」

「今朝、森の方に行って狩ってきた猪だ。大きいのが獲れたから、残りは騎士たちの腹に入ることになったが、それでも相当な量になるはずだ」

「へえ、ジビエなの。良いわね……」


 奇しくもラヴェンナにとっては「慣れ親しんだ味」だ。

 前座も程々にさっそく焼き始める。スライスしたイノシシ肉を網の上でじっくりと熱を通し、鉄板の上には畑で取れた夏野菜とキノコを切って並べていく。肉から滴り落ちた油が火に勢いを与え、炭と獣の香りがふわりと舞う――

 ラヴェンナが家からグラスを用意してくると、カトリーナがそれに一杯ずつビールをついで酒盛りの支度を済ませた。そして、焚き火台に籠る赤い炎の光にぼんやりと照らされながら各々が空へ向かって掲げたのだった。


 夏の夜、余計な言葉もなしに酒を流し込む。ロクサーヌの涼しい自宅に保管されていたこともあって、身体の中を通り抜ける冷たい心地がたまらなく気持ちいい。

 魔女たちは肉の面倒を見ながら、ぽつぽつと世間話を紡いでいく……


「いいお酒ね。ビールは色々飲んできたけど、最近はこれが一番安心するわ」

「何を持っていくか考えはしたんだが……結局、味を良く知っているこれになった」

「良いと思います。お酒はタイミングが大切ですから」

「そうか、故郷の味か……」


 生まれ育った土地で慣れ親しんだものをそう呼ぶならば、カトリーナにとってのそれはこのビールになるのだろう。彼女だけではない、ストーンヘイヴンの騎士たちにとって、仕事帰りに流し込む一杯は何にも代えがたいものとなるのだ。

 イノシシの肉に火が通っていた。甘辛い特製ソースをつけて食べれば、口の中で脂と一緒にとろけて旨味がいっぱいに広がっていく。そこへまたビールを流し込む――


「んん……良いわねぇ。イノシシを食べるのは春以来かしら……」

「ジビエならば、私の地元ではよくアザラシを獲って食べていましたよ」

「ロクサーヌ、貴女の故郷は確か……」

「はい、ここより遙か北方、ノルドヴィクの村です」

「聞いたことがある。一年を通して寒く、雪に閉ざされている――」


 お互いの故郷について交えながら話していると、魔女たちは酒が入ってだんだんと心地よくなっていく。手土産のビールを空けた後は家にあったワインも開き、パンとベーコンでダラダラと食いつなぎながら喋り続けて……やがて、瓶が一本空いたのを頃合いにお開きとなった。

 既に天上ではいくつもの夏の星々が煌めいていた。

 立ち上がろうとした時、カトリーナの身体がふらついてラヴェンナが支えに入る。


「う……」

「飲み過ぎよ、カトリーナ……あなた、途中でワインも開けちゃったじゃない……」

「ラヴェンナ様も、どうかお気をつけて……んん……」


 悪酔いを防ぐため、用意していたハーブ水を流し込んでから、ラヴェンナは魔女見習いの肩を担いで魔女小屋へ戻った。そして足元のおぼつかない彼女を寝台に乗せ、楽な格好にさせてから寝かせる。

 しかし酒が入っていたのはラヴェンナもまた同じだった。じきに眠気がやって来て大きな欠伸がこぼれる。狭苦しさを感じながら横になると、すぐ隣で、カトリーナが目を瞑りながら夢に落ちていた。


 ぼんやりとした意識で夏の夜に溶ける。外から聞こえるカエルの鳴き声に耳を澄ませていると、カトリーナが黒魔女の腕へと寄り添ってきた。

 視線を向けて確認するが、起きているわけではないようだ。そのまま、目を閉じて眠ろうとした時――隣の女騎士が小さく寝言を零す。


「ママ……」


 いつになく甘い、乙女のような声色だった。

 ラヴェンナは何も言わず……何も聞かなかったふりをして眠りについた。

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