その日、朝から街で用事を済ませてきたラヴェンナは、大きな欠伸をしながら箒に乗ってウィンデルへ戻っていた。
夏の明るい空を飛んでいた黒魔女だったが、魔女小屋が見えてきた辺りで箒の頭が僅かに下を向く。いつもと違う調子を覚えた彼女はなんとか自宅まで帰ると、さっきまで跨っていた物のメンテナンスを始めた。
「えーっと、この辺りからバラして……」
魔女の箒は、原初のものこそ一本の木材から削ったものを用いていたが、最近は研究の甲斐あってか複数の異なる素材を組み合わせて作ることができた。
ラヴェンナの使っていたものも例外ではない。早速魔女小屋のテーブルで分解して確認すると――成程、箒のもっとも大事な芯の部分に小さなひび割れが入っていた。先程感じた違和感の原因はこれだ。
(手入れして使い続けることもできなくはないけど、でも、そろそろかしらねぇ)
むむむ、と唸りながら頭を悩ませる。
こんな状況になった時、一応、あてがない訳でもない。
……お昼頃。ラヴェンナが日陰のガーデンチェアに寄りかかりながら風に吹かれているとストーンヘイヴンの方から荷馬車がやってきた。御者台に腰掛けたドレスの女商人セレスティアはニコニコ笑顔で手を振りながら声をかけてくる。
「ラヴェンナ~!」
「聞こえてるわよ」
木の車輪を軋ませながら馬車は止まり、地面へ降りたセレスティアが荷馬車の商品棚を展開。ふんわりと柔らかな髪が揺れた時、首元からフリージアの香水が香った。
棚には、パン、ベーコン、ワイン、チーズ……黒魔女の好きそうなものが沢山!
しかし、ラヴェンナの第一声はそのどれについてでもなかった。
「ねえセレスティア。そろそろ箒を買い換えようと思ってるの」
「まあっ! いいわよ、是非とも相談に乗らせて~!」
「商売の話になると本当に元気になるわね……箒って、カタログにあったかしら?」
「もちろん! ちょっと待っててね……」
荷馬車の中を漁ってきた女商人は「セレスティア商工会カタログ」を持って帰ってくる。表紙には「ラヴェンナ用」と書かれていたが、もう本人は慣れた様子だった。爪先まで整えられた綺麗な指が紙をめくっていけば、いくつもの挿絵と解説が描かれたページが現れる。
「どんな箒が良い?」
「普段使いできるものがいいわ。最近はどういうモデルが出てるの?」
「最新モデルならいくつか紹介できるわ。んーっと……」
セレスティアはコホンと喉を整え、商談モードに切り替わって語り始める。
「箒は昔から魔女の乗り物として使われてきたけれど、その一方で、伝統的なものはやっぱり不便だと思う人が多いの。例えば『荷馬車に比べて運べる物が少ない』とか。それを解決しようと作られたのが、ここに書いてる『荷物入れつきの箒』。本体に、チェストを固定するための仕掛けがあって……」
「ふむふむ……」
「ラヴェンナはよく街の人たちとお仕事しているから、その時にこれがあると便利かもしれないわよ! チェストも色々なサイズがあるから、用途に合わせて付け替えることもできるわ。私のところの商人でも使ってる子がいるわね」
「へぇ……」
蓋付きの箱ならば雨の日も濡れる心配をしなくて良さそうだ。
ラヴェンナが頷いている横でセレスティアが別の箒を指さす。
「次がこの『喋る箒』。箒そのものに知性を宿らせて、飛んでいる最中に会話ができるようにしたものよ。長旅の時に暇で困っていたり、話し相手がいなくて寂しかったりする魔女たちが買ってくれてるわ」
「今の箒って喋るのね……」
「ここだけの話、あんまり賢くはないんだけど……でも、色々なことをちょっとずつ教えて自分だけの相棒に仕込むって感じに楽しんでる話も聞くの」
「ふうん。まあ、選択肢には入れておこうかしら」
「それで、最後に紹介するのが……」
セレスティアは、ページに描かれている中で一番シュッとした箒を指さした。
「とっても速い箒!」
「何の捻りもないわね! でも本当に、いかにもって感じ」
「乗る人の安全性を確保しながら、できるだけ軽く、速く飛べるように作ったのがこちらのモデル。ちょっと乗っただけで、これは今までの箒と感覚が違うってわかってくれるはず! 方向転換もすごく軽いのよ~! ちょいちょいってできちゃう」
「いいわね、速い箒なら街と行き来する時間も短くなりそう」
「でしょ? このタイプは昔から色々なところで需要があって……」
なんとも楽しそうにつらつらと喋り倒すセレスティア。まさに立て板に水だ。
それからラヴェンナは思案した末に、彼女がオススメしてきた三本の箒を「お試し」することになったのだった。
◆ ◆ ◆
しばらく後、ラヴェンナの魔女小屋にセレスティア商工会をから箒が届けられた。柄の部分にはレンタル品であることを表す商工会の名前入りキーチェーンがぶら下がっている。ところで、今の魔女見習いはこのキーチェーン付きから始まるらしい。
「さて……まずはコレから使ってみましょう」
その日は、ストーンヘイヴンのサン・ブライト修道院までポーションを届けに行く依頼があった。ラヴェンナは早速「荷物入れつきの箒」を用意して、後方のチェストに必要分の薬瓶を詰め込んでいく。
夏空の下、箒に跨って地面を蹴り――やや後ろへひっくり返りそうになるのを堪えながらなんとか飛び上がった。
「ああ、なるほど。普段よりもうちょっと、後ろの方から……」
以前まで使っていた箒では、ラヴェンナの身体が乗っている部分を真下から持ち上げるようにマナを操る必要があった。今回は一瞬後ろへひっくり返りそうになるも、お尻よりやや後ろの方を重心に据えることで姿勢が安定する。
そうなれば普通のと同じ乗り心地だ。天気が良い空をスイスイと飛べる。
(うーん、なかなか悪くないわね)
(追尾魔法を掛ける手間も省けるし、荷物がはぐれる心配も無い……)
往路は特に問題もなく終わり、目的地の修道院へ降り立った。
中から出てきた修道女のアイリスは、早速ラヴェンナの相棒候補に反応する。
「魔女様、箒を新しくされたのですか?」
「今はお試しで借りてるの。前使ってたのがヘタっちゃったから、新しいのをどれにしようか悩み中ね」
「いいですね。これくらいのチェストだと、他にも色々なものが入りそうです」
アイリスにポーションの数を確認してもらった後、用事を終えたラヴェンナはいい気分になってウィンデルの魔女小屋へ帰っていった。
そしていつものように、箒を室内の適当な所へ立てかけようとした時――備え付けられていた箱が床に当たってガゴンと音を鳴らす。
「あ……」
考えてみれば当たり前のことではあるが――
物を収納するためのチェストは容積が大きければ大きいほど広く場所を取る。家のどこに置こうか迷ったラヴェンナは右往左往した挙げ句、結局は、蔵の片隅に置いておくことになった。その脇には、今回使わなかった別サイズのチェストもある。
(荷物を沢山積めるのは便利だけど……)
(なかなかに場所を取っちゃうわね。それに、箱の中も定期的に掃除しないと)
(今日は良さそうだけど……しばらく経ったらこの手間が面倒になるかも)
(だいいち、乗りたい時にパッとすぐに乗れないのも考え物ね……)
目を閉じたまま眉間に皺を寄せて考え込むラヴェンナ。
やがて、途中で諦めたように頭を振ってから蔵を出て――他にレンタルしていた箒の前に来る。残りの二本も今のうちに性能を試しておかなければならない。
午後。
焼き菓子とハーブティーを食事代わりにしたラヴェンナは、日が暮れる前に済ませるためにと早速テストを始めた。
『おはようございます、魔女様。ヨロシクお願いします』
「うわぁ、本当に喋った……」
『ハイ、私は魔女様の快適な旅路をサポートする為の箒です』
ところどころで口調に違和感もあるが、それ以外は普通の箒だ。
ラヴェンナは早速それに跨って地面を蹴り、ウィンデル集落の全体を軽く一回りし始めた。他の住民たちが、眼下で午後の畑作業に勤しむ様子がよく見える。
(乗り心地は悪くないわね……)
『魔女様、空の旅は、如何でしょうか』
飛び上がって早々、箒が声をかけてきた。
ちょっとタイミングが早すぎる気がしないでもないが……
「今のところ、乗っていて別に違和感はないわ」
『どこまで行かれるおつもりですか?』
「集落を一回りするだけよ。ちょっとしたテストだから」
『今日はとても良い天気ですね』
「まあ……そうね」
なんともつかみ所の無い会話が繰り広げられる中、ラヴェンナの表情はだんだんと陰り始め、レスポンスも鈍いものに変わる。目を閉じて風を感じようとしている間も、箒は色々な話題を投げかけてきては騒がしい時間に変えていった。
『魔女様、今日の晩ご飯はお決まりですか』
「担当は私じゃなくてロクサーヌよ……」
『魔女様、今日の星座占いは聞きましたか。今日は――』
「ねえ、ちょっと……ちょっといい?」
こめかみをピクピクと震わせながらラヴェンナは口を挟んでしまう。ウィンデルを一周して帰るはずが、半分も回らないうちに引き返す羽目になった――
飛んでいる時に何もないのは退屈だけど、かといって煩すぎるのは困る! 一人で空を行くあの時間は存外悪くないものであったことを、黒魔女はこの喋る箒を通して嫌でも思い知る羽目になったのだった。何より、急かされるのを嫌う彼女の性格とは極めて相性が悪い結果でもあった……
魔女小屋に戻ったラヴェンナは、乗っていた箒を適当な所に立てかけてみる。
『またご一緒させて下さい、魔女様!』
「……ええ、機会があればね」
うなだれながら溜め息を一つ。
そして最後に、残っていたもう一本「とっても速い箒」を取って外へ出た。
その箒は、軽量化を謳っていただけあって手に持っただけでも軽さが分かった……柄の中がスカスカなんじゃないかと思えるそれにラヴェンナは跨り、足裏で軽く土を蹴って飛び上がる。
しかし、セレスティアが「とっても速い」と言ったそれは伊達ではなかった。
あまりにも加速が良い! 一蹴りで高くまで上ったのに驚いた魔女は高度を落とそうとするが、すると今度は一気にガクンと揺れて地面が近付いてくる。
(ちょっと――!)
(これ、思ったよりも乗るのが難しい……!)
超スピード! 暴れ馬のような軌道を描きながら庭の上をグルグルと回り、蛇行しながらどうにか速度を落としていい塩梅を見つけようとする。そうしてようやく制止させられた瞬間、箒全体がぐるりと上方向へ回り、ラヴェンナは後ろから転がるようにして落ちてしまった。
幸いにも、そこはロクサーヌがフカフカに土を耕していた畑の敷地内。いくつも生えたニンジンの中へ並ぶようにラヴェンナは頭からブスリと突き刺さり、理解が追いつかない状況で脚をピクピク震わせていた……
「ら、ラヴェンナ様!? いま助けますから!」
「……」
その真上では、主を失った箒が一人で同じところをグルグル回り続けていた。
◆ ◆ ◆
後日。セレスティアの荷馬車がウィンデルにやって来る。
疲れた表情のラヴェンナが出迎えると、女商人の手には新しい箒が一本。
「ラヴェンナ~! これ、前に頼んでいた箒よ」
「ああ、ありがとう……」
「結局、昔ながらのものにしたのね」
ニコニコ微笑みながら尋ねられたラヴェンナは、未だに若干違和感がある肩の辺りをさすりながら、深い溜め息の後に諦めた様子で語り出す。
「新しい物は試してみたわ……でも、悔しいけど、年を取ったら今まで使い慣れてきた物が一番落ち着くのよ」
「まあ、おばさんみたいなこと言うのね!」
「何とでも言いなさいよ。まだ、首の後ろとかが若干痛むんだから……」
「も~。薬塗ってあげるから見せて」
「はぁぁ、お宅の商品でこうなったって言いふらしてやろうかしら!」
「頭から落っこちたのはラヴェンナのせいでしょ!」
「くぅぅ……」
疲弊した様子のラヴェンナは彼女を招き入れると、置いていた軟膏を出して後ろから塗ってもらう。セレスティアは微笑みながらペタペタとし続けていた。