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第42話「あつい日」

 ジリジリと日が照りつける真昼。ラヴェンナが家のベッドに伸びていた。


「うう……」


 外から蝉の鳴き声がひっきりなしに聞こえる中、ラヴェンナは、枕に顔を突っ込んだ俯せの姿勢で動かない。扉と窓は若干開かれていたが、そこから吹き込んでくる風はあまりにも頼りないものだった。

 黒魔女は気怠そうに身体を回して仰向けに変わる。いつになく無気力な瞳が何もない宙をぼんやりと見つめ、その頬はどうしようもない暑気に赤く染まりつつある。


「暑い……」


 小さな呟きも虫の声にかき消されそうになる。

 しんどそうに目を閉じたまま、黒い薄地のローブに包んだ胸元を呼吸で静かに上下させていると、魔女小屋の扉が開いてロクサーヌが入ってきた。彼女はラヴェンナの寝転がっているベッドの傍のテーブルへ鉄製のトレイを一枚ずつ挟み込むように置くと、手をかざして氷柱を生成させる。


 少し経てば、そこからひんやりと心地よい空気が漂ってくるようだった。黒魔女の眉間に寄っていたシワが薄れ、顔つきも幾分かリラックスしたものへ変わっていく。


「ラヴェンナ様、水は飲まれてますか」

「ん……」

「置いておきますからね。後で果物も切るので食べてください」


 再び一人だけになる。

 相変わらず蝉の声はうるさいことこの上なかったが、白魔女の残していったものが魔女小屋の中をかなり過ごしやすくしてくれていた。時間が経ってからラヴェンナはようやく身体を起こし、ロクサーヌの置いていった氷入りレモネードのグラスを取っては一気に飲み干した。心底落ち着いたような、長く濁った溜め息が漏れた。




 なんとか動けるまで回復したラヴェンナは、ウィンデルを照らす日の光から逃れるようにお隣ロクサーヌの自宅へと逃げ込んだ。氷魔法を得意とする彼女の家にはところどころに氷柱が立ち、それが周りの熱を奪って快適に整えている。そこはかとなく漂っているミントの香りも涼しさを感じさせてくれた。


 やってられないような熱気を窓の外に、黒魔女はすっかり生き返った様子でロッキングチェアに背中を預けてゆらゆら揺られている。そこへ、台所からロクサーヌが大きな皿を持って来た。

 程よいサイズに切り揃えられたスイカだった。みずみずしい赤の果肉が、滅入った魔女の気分をかなり楽なものにしてくれる。


「あぁぁぁ、凄く気持ちいいわ。ありがとう、ロクサーヌ」

「良かったです。……ん?」


 ロクサーヌが窓の外を見て何かに気付く。

 ラヴェンナも釣られて視線を向ければ、畑の横にある物置小屋の日陰に例のウシが身体を休ませていた。立つことすら放棄しているようで、地面に伸びている姿はぐったりと元気が無さそうに思える。

 いつもならその辺をほっつき歩いてはハーブをムシャムシャ食べていそうなものだが、さしものウシでもこの暑さにはかなわない様子だった。


「あそこに牛が」

「ああ、外の生き物は大変よね。逃げ場がないんだもの」

「どうしますか? 少し水浴びでもさせましょうか」

「ええーっ、せっかく涼しいところに来たのに……分かったわよ、行くから」


 ロクサーヌから心配そうな視線を向けられ、ラヴェンナは渋々立ち上がった。

 ローブの胸元を摘まんでパタパタしながら涼しい空気を仕込み、意を決して屋外へ出る。ロクサーヌが小屋の傍に氷柱を立てている間、ラヴェンナは井戸から冷たい水を汲み上げてウシの方へ持っていった。


 桶一杯に汲んだ地下水を持って物置小屋へ向かい、温まりすぎていたように思える白黒の身体を満遍なく濡らしては冷やしていく。頭から水を浴びたウシはふるふると首を振ると姿勢を変えて、さっきよりも過ごしやすそうにくつろぎ始める。

 その近くに、先程までは居なかったはずのイヌやネコの姿もあった。ロクサーヌが作った氷の放つ涼しさに惹かれて集まってきたのだろうか? この辺りは日暮れまで野生動物たちの避暑地になりそうだ。


「今日は一段と暑いので、夕方までまめに様子を見ることにしましょうか」

「ううーっ、外に出て動いたせいでまた暑くなってきたかも」

「もう盛りは過ぎているはずなので、少し待ってぬるいお風呂を準備しましょう」

「ええ、それでいいわ。頭があんまり回らない……」


 ぐったりした様子のラヴェンナは首を振りながらロクサーヌの意見に賛同。

 二人で蔵の中から浴槽を引っ張り出して湯を作る。周りに壁も立てなければならなかったが、それは、もう少しだけ日差しが柔らかくなってからになった。



◆ ◆ ◆



 陽が傾き、肌をジリジリ焼くようだった光はゆるやかなものへ変わった。まだ暑気は抜けきっていないが外に出て活動するには良さそうだ。

 魔女たちは改めて風呂の準備を再開し、ぬるくなっていた湯を張った浴槽の周りに壁を作る。その内側で二人は、汗でじっとり湿っていたローブを洗って干しながら、湯船の中で全身を伸ばして寛ぎ始めた。


「はあぁぁ……」

「落ち着きますね……」


 火照った身体を鎮めるにはちょうどいい湯温だった。

 今日は暑さに翻弄されて何も成し遂げていないが、たまにはこのような日もあって構わない。二人の間では黄色いアヒルのおもちゃがピチャピチャピチャピチャと水飛沫を上げつつも、浴槽全体の波に揺られて右往左往していた。


「明日はもう少しマシになってほしいわ」

「あまり暑すぎると、畑の野菜にも良くありませんからね」

「そう言えばそろそろ“時期”なんじゃない?」


 思い出したようにラヴェンナが尋ねてみれば、ロクサーヌは目を閉じて答える。


「はい。後日、ちょっと手伝ってもらうことになります」

「いいわよ、毎年やってることだから」

「助かります……」


 熱くなっていた身体を落ち着かせていた二人だったが、いつ頃からか徐々に口数は減っていき、やがてはたと静かになった。

 ラヴェンナは浴槽の縁に寄りかかると空を見上げながら口を大きく開いていびきをかき、ロクサーヌはうとうとと首を微かに振り続けている。ウィンデル全体が夕方の色に染まっていく静かな時間を、まどろみの中で過ごす……




 ……それから彼女たちがハッと気が付いた時には、空の端に赤く燃える西日がもう間もなく消え去ろうとしていた。魔女たちは慌てて湯船から出てタオルで身体を拭くと、用意していた替えのローブを纏って宵の下で小走りになる。


「寝過ごしたわ!」

「これ以上長居したら風邪を引いてしまいます!」

「ああもう、本当にうっかりしてた……!」


 魔女小屋の中に駆け込んでは急いでランプが灯す。窓がぼうっと光を帯びた。

 東の夜空から、十字に翼を広げた巨大な白鳥が上っていく――

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