日が沈みきった後、ラヴェンナとロクサーヌはランチバッグとランタンを片手に外へ出た。箒に乗って、黒くどこまでも広がる空の下を真っ直ぐに飛びながらストーンヘイヴンの方向へ向かう。
ランタンのぼんやりとした灯りをつけて駆ければ、光が動く様子は地上の人たちにも見える。それは街の真上を抜けて、端に残る城塞跡地へ降りていった。
――世界が「魔王」の脅威にさらされていた古い時代から、この場所は魔物に立ち向かう人々が集う城塞都市「ストーンヘイヴン」として栄えていた。
あれから百年余りの時が流れた現代、その痕跡は、街の各所に張り巡らされた上下水道と今なお存在する「騎士団」、そして当時のまま残る史跡に見ることができる。市街地から離れたところに位置する「城塞跡地」は、かつては魔物らと戦う兵士が詰めかける都市防衛の最前線だった場所だ。
しかし……
そんな所も今は寂れ、星を見るにはうってつけのスポットとなっている。
「アイリス!」
「魔女様!」
会場に降りたったラヴェンナとロクサーヌはアイリスに挨拶を交わす。灯りをそれぞれぶら下げた修道女たちの笑顔は昼とはまた違った雰囲気を醸していた。
「お二人ともこんばんは。今日はよく来てくださいました」
「おつかれさまです、アイリス様」
「今はまだ準備中?」
「はい、子供たちが寝転がる場所を整えております。そう言えば……」
言いかけた時、向こう側にある焚き火からどっと笑い声が聞こえてきた。
子供たちが何かを中心に集まっている。その中にはあの魔物学者ライラの姿があり、彼女が身振り手振りも交えながら昔話を聞かせているようだった。
「それでな、ヘビがジーーーーっとあたしの飯をほしそうに見てくるものだからな、こっちも睨み返してやったんだ。こんな感じに目をグワッと開けて“これはあたしの飯だ! 絶対にお前なんかには渡さない”って……しばらく睨めっこをしてたら日が暮れて……」
「あちらの方に、ライラさんもいらっしゃいますよ」
「彼女も来ていたの。賑やかで良いじゃない」
「もう間もなくですが、それまで腰を落ち着けてお休みください」
簡単に組まれた薪の周りには、半分に切った丸太や丁度良さそうな瓦礫が並べられて椅子代わりになっている。ラヴェンナとロクサーヌも集まりに混ざって、ライラの語る昔話に耳を傾けていた。
「……森の中であたしはイノシシと一騎打ちになった訳だ! 向こうから一気に突っ込んできたけど、咄嗟に近くの木に登って、逆に上から頭をぶっ叩いて気絶させた後、そのままその日のスープにしてやったさ。あれは美味かったな……」
「こんばんは、ライラ」
「ライラ様もいらっしゃったのですね」
「おっ、魔女様たちじゃないか。今日は良い夜になりそうだな! そうだ、次は山のてっぺんでデカいドラゴンを見た話でもしてやろうか。あれはな――」
◆ ◆ ◆
星座鑑賞会は修道院における課外教育の一環で、女神エレオラにまつわる神話を夏の星座と共に子供たちへ伝える意義があった。修道女たちに集められた子供らはシートの上へ寝転がっており、今の解説はアイリスが担当していた。
「さあ、あそこに赤く強い光が見えるでしょう? あれは、とても大きなさそりの心臓と言われています。ずうっと昔、女神エレオラの足をツンと刺したと言われるさそりは彼女の怒りを買って――」
その間、壁を一つ挟んだ先にある焚き火の近くでは魔女二人とライラが三人で話をしていた。火がパチパチと燃え上がる中、近くではライラが鉄の容器で水を温めてお湯を作っている。
「本当に子供たちから人気なのね」
「アハハハ、ありがたいことにその通りだ。人気者は辛いなぁ」
「お話も聞いておりましたが、非常に興味深いもののようでしたね」
「おっと、誓って言うがウソはついてないぜ……」
「どちらでも良いわよ。で、今は何を作っているの?」
「これはな……」
ライラは背もたれ代わりにしていたリュックを前へ寄せ、中から瓶を一つ取り出す。そこには、カラカラに乾いていた干し肉がぎっちりと詰め込まれていた。数枚を取りだした後、焚き火の近くで温まりつつある湯の中へ入れる。
「乾かす前にスパイスを振ってあるから、こうやって湯で戻した後、適当な具材を突っ込めば即席のスープができるってわけだ」
「へぇ、なかなか良さそうね……」
「ラヴェンナ様はもう少し食生活を整えてください」
「もう、言われなくても分かってるわよ」
「何か残ってたかな……んあ、ニンジンを見つけたぞ。これにしとくか」
削りかけのニンジンを取りだしたライラはナイフを使い、ダメになった部分をそぎ落としてから、残った部分を少し削ってスープの中に直接落としていく……
「そういや、不思議なことがあってなぁ」
「どんなこと?」
「前に言っただろ、お宅の集落の隅にテントを張ったって。あの後、街に行って買い物をしてから帰ったら手紙があってな。差出人は“セレスティア商工会”からだ……本の流通で何度か世話になった」
「うん? でもそれって……」
「ああ……あたしがここに来たのを、いったいどこで嗅ぎつけたんだろうな? まあ何も悪いことは起きてないし、今となっちゃあんまり気にしちゃいねえが」
ラヴェンナはロクサーヌと顔を見合わせる。
どうやら、セレスティアの“地獄耳”は旅行客にも適用されるようだった。頭の中では貴族らしいドレスを纏った彼女が口元に扇を当てながらおーっほっほっほとニコニコ笑顔で身体を揺らしながら笑っていた。
三人で寛いで夜空を見上げていると修道女たちの話が一段落した。子供たちは起き上がると焚き火やランタンの近くへ集まって、各々お弁当を出しては雑談を交えながら食べ始める。
ライラの作っていた即席スープも完成した。ラヴェンナとロクサーヌも持ってきたランチバッグを開け、中に入っていたサンドイッチをつまむ。昼に食べた時と同じ、夏野菜の瑞々しい食感と心地よい酸味が口を爽やかに戻してくれる。
「う~ん、我ながら良い出来」
「本当にありがとうございます、ラヴェンナ様」
「茹で卵がある……」
「……一個くらいならいいわよ」
「本当か!? んじゃあ一個頂くよ!」
あまり節操無い様子のライラはランチバッグから茹で卵を一個、見事せしめてから殻を剥いて口に放る。直後、満面の笑みに変わってから親指を立てた。
「うまい! 中身も実にいい半熟具合だ!」
「そこまで喜ばれると悪い気はしないわね……」
「うふふ、良く出来ていると思いますよ……ん?」
ロクサーヌが何かに気付く。ラヴェンナも同じ方向を向くと、そこにはアレンの姿があった。手元には何やら分厚い本を持っており、それを見つけたライラがおや、と眉を上げる。
「あの、ライラさん」
「ん、どうしたんだ、少年」
「サインをお願いしたくて……」
「ああ、それくらいならすぐにやってやる。ちょっと待ってろ……」
ライラは彼の持っていた本――「ライラの魔物図鑑」の最後辺りの空白ページを開いてから、リュックの中で厳重に保管されていた羽ペンとインク瓶を取りだしてからサラサラと自分の名前を書く……
それを見ていたアレン少年は、ちょっと緊張した様子で質問したのだった。
「あの、一つ聞いてもいいですか」
「なんでも!」
「もし……もしなんですが、僕が、ライラさんみたいな魔物学者になりたいって思ったら……どうやったらなれますか」
横から話を聞いていた魔女二人は目を大きくして驚く。彼が「何かになりたい」と言う意見を言葉で表したのは、これが初めてに思えたからだ――
答えを期待されていた彼女は一度ゲラゲラ笑った後、一瞬のうちに真面目な顔へ切り替わって……不敵な笑みを浮かべながら質問者の少年を見つめ返す。
「簡単なことだ。たった一つ……あたしの本に書いてないことを見つけて、手紙を書いて知らせてくれ。その時は一人のファンじゃなく、一人の仲間として相手してやる」
「!」
「少年にひとつアドバイスだ。見つけるのは何も、デッカい発見じゃなくたって構わない。本当に一つ、一つだけ、こんなことにお熱なのは世界でも自分だけなんじゃねえかってくらい小さなことでもいい……それを見つけるんだぞ」
「はいっ!」
サインをした後は息を吹きかけて乾かし、持ち主の元へと返却される。そこにはライラの名前の他に、学者としての彼女が拠点とする住所も書かれていた。
そんな風に夜の時間を過ごしていると、別で子供たちの相手をしていたアイリスがラヴェンナたちの元へやって来て声をかけてくる。
「お二方も、何か子供たちにお話をされてみますか?」
「ラヴェンナ様、やってみてはどうですか」
「いいわね。じゃあアイリス、“白鳥”の話はもうした?」
「うふふ、まだしておりませんよ」
「ならそれにするわ。んんっ――」
喉を鳴らしたラヴェンナは立ち上がると、子供たちの集まっているところへ向かってから空にある大きな十字の星座を指さす。満天の星の下、ちびっ子たちの人気を集めながら柔らかな口調で語り出したのだった。
「夏の空には大きな白鳥が羽ばたいているのよ。でもあれは元々、とっても可愛い見た目をした男の子だった。ある日、女神エレオラが森の奥で水浴びをしていた時に、少年はそれを偶然見かけてしまって……」
……夏の夜に相応しい特別な時間が流れていく。
子供たちにとっては、これも、忘れられない思い出の一つになるのだ。