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第34話「嗚呼、筋肉痛」

「アアーッ」

「ラヴェンナ様ー!」


 その日、“幻想の大魔女”ラヴェンナ・フェイドリームは、ベッドの上で俯せになって顔を枕へ埋もれさせ、今にも死にそうな声で苦痛に呻いていた。


 朝から何の音沙汰もないことをロクサーヌが心配して向かえば、そこで黒魔女がすっかり力尽きた様子で倒れ込んでいる。全身を広げたまま潰れていた彼女は腕と脚をガクガク震わせながらぐったりしていて……とてもじゃないが食事などできない様子だった。

 なんとかいつも通りのローブに着替えられてはいたが、それだけ。身体を蝕む痛みに逆らえず、重い身体を寝台へ預けて満身創痍の醜態を晒している。


「あ、脚が……腕が……」

「まさか街でそのようなことがあっただなんて……朝ご飯は中に運んでおきますので、食べられる時に食べてください」

「うう、助かるわ……」

「ところでラヴェンナ様、今日は、アレン様がいらっしゃる日では?」

「?」


 ベッドに伸びたまま記憶を辿って確かめる……確かにその通りだ!


「待って、本当に今日?」

「そのはずです」

「ああ最悪……まあいいわ、アイツに身の回りの世話でもさせようかしら」

「うーん、もしどうにもならなくなったら、私をお呼びくださいね」

「何とかするわよ。っ、イタタ……」


 ロクサーヌは心配そうな顔をしながらも、自分の作業に専念する為に魔女小屋の外へ出て行った。一人だけになったラヴェンナは枕を抱きしめると、眉間に皺を寄せながら大きな溜め息をつく。

 窓の向こうはとてもよく晴れ、雲も殆どない透き通った青空が広がっている。日差しの強さに目を瞑れば絶好のお出かけ日和だ。出かけられればの話だが……


(でも、うっかりしてたわ)

(何をやらせようかしら。今のところ、調薬の依頼は来てないし、あまり難しいことをさせる訳にもいかないわ……)


 アレンは一応、「職場体験」という建前で来ることになる。修道院へ戻った後に何をしたか聞かれた時、彼が答えに窮するような事態はなるべく避けたい。

 ラヴェンナはむむむと唸りながら考えるも、結局妙案が思いつくことはなく、そうしている間に魔女小屋の扉のやや低い位置がコンコンとノックされる。返事をすると扉はゆっくりと開き、隙間からアレン少年が顔を覗かせる。


「あれ……ラヴェンナさん?」

「うう、ごめんなさい。ちょっと昨日大変な目に遭っちゃって……身体が本当に動かなくなっちゃったの」

「だ、大丈夫なんですか、お医者さんとかは」

「そこまではいいわ、休んでたら治るから……今日は雑用をお願い」

「はい!」


 前向きな返事にラヴェンナはニッコリと微笑む。

 いい使い走りができた……全身は痛いが、たまには王様気分も悪くない。


「じゃあアレン、そこにある水の入ったグラスを持ってきて」

「はいっ」

「あら、今日の朝食はサンドイッチだったのね。それも一つお願い」


 さっそく食事を持ってこさせたラヴェンナは痛みを堪えながら身体を起こし、ベッドの上で少し遅れた朝食を摂り始める。その間アレンは手持ち無沙汰な様子でそわそわと落ち着かず、目を合わせないように色々なところへ視線を向けてはこの時間をやり過ごそうとしていた。

 ラヴェンナが気になってじっと見つめてみれば、アレンはまた更にうつむいてもじもじと気恥ずかしそうに振舞う。魔女にとってはそれが面白くて仕方ない。


「うんうん、たまにはこういうのも悪くないわね」

「何か他にすることは、ありますか」

「うーん、じゃあアレン、身体のマッサージをお願いしても良いかしら」

「へ……?」


 グラスを返した後、ラヴェンナは身体を捻って俯せに戻ると、胸の下あたりに枕を敷いて楽な格好を作る。そして純粋無垢な少年をからかうようにニヤニヤと歯を見せて笑うのであった。




 ……アレンは、最初何を言われたのかすぐに理解できなかった。

 目の前では動きの鈍い黒魔女が楽な格好をしている。彼女の纏っているローブは寝返りを打つ際に身体の下へ巻き込まれており、そのせいで、少年にとっては何ともやりづらい「丸み」がところどころに浮いてしまっている。


 しかし、かと言って彼に断る選択肢があるはずもない。

 哀れな少年は、言われるがままに指示をこなすしかないのだ……


「背中の辺りを押してちょうだい。あまり強く押すと痛むから、程々にね」

「この辺、ですか」

「もうちょっと下ね」

「ここ……?」

「ああ、その辺り。そこをぐぐっと……」


 ラヴェンナの身体に跨ったアレンは位置取りを済ませ、まだ大人になりきれていない手指を患部へそっと当ててから力を込める。ローブ越しに分かる腰の質感は凝り固まってこそいるものの、それだけではなく、指が僅かに沈み込むほどの柔らかさも感じられていた。

 薔薇の香りが立ち上る中……アレンは顔を真っ赤にしながらも必死に言われたことを実行しようと奮闘する。だが、そんな彼の努力を嘲笑うように、跨られている魔女はなんとも艶めかしい声を上げていた。


「んん……」

「どうですか、ラヴェンナさん」

「良い感じよ。そのまま……んっ……」


 果たしてこの時間はいつまで続くのか。一瞬にも永遠にも感じられるひとときを必死に持ちこたえていたアレン少年は、ふと気が付いた時、なぜか自分が誰かから見られているような気配を覚えた。


 この家には二人しかいない……はず。

 まさかと思って、ベッドのすぐ横にある窓の方向を見ると――


「……!」


 明るい金髪を伸ばしたドレスの女性が、ニコニコ微笑みながら覗いていた――


「ギャーーーー!」


 それだけではない。驚きのあまり、少年の手指は殆ど力任せと言ってもいい程の強さでラヴェンナの腰元へぐいと捻じ込まれた!


「ヘアアアアアアア!!!!!?」



◆ ◆ ◆



「アハハハ! 幻想の大魔女が、全身筋肉痛って、ひーっ! ひぃーっ!」


 訪問販売でウィンデル集落を訪れていた女商人セレスティアは、魔女小屋の中でラヴェンナから経緯を聞くや腹を抱えて笑い始めていた。爆笑のあまり目の端には涙が浮かび、すっかりツボに入ってしまっている。

 ベッドから起き上がれないラヴェンナは、今すぐにでも殴りに行きたい衝動を抑えながら握り拳を作るに留めていた。現にそれだけでも身体が痛むのだ。


「それで? 次の旦那さんでも探してるの? ? ひー!」

「下卑た冗談はやめなさいよ! はああ、もう最っ悪……なんでこんな日に!」

「ええっと……すいません」

「貴方は謝らなくて良いから! セレスティアもいい加減笑うのをやめて!」

「アハハ……ハァーッ、今年で一番笑ったかも……」


 まるで年頃の少女の如く笑い続けていたセレスティアはようやく落ち着くと、両手で顔をポンポンと叩いてから元の自信たっぷりな表情に戻った。


「それではお客様、今日持ってきた商品は、まさに今のような身体の痛みを緩和する不思議な魔法のオイルなのですが……」

「家にあるからいいわよ。なんなら自分で作ってるし」

「つれないわねぇ。そんなんじゃ男の子に嫌われちゃうわよ。ね、アレン君?」

「ええっ!? えっと、ぼくは……」

「あのね、反応に困ってるじゃないの。そういうの本当におばさん臭いから」

「なっ――わ、私が、おばさん、ですって!?」


 珍しく動転しているセレスティアの姿を横目にラヴェンナが気分良く笑っていると、このような渦中でアレンがハッと何か思い出したような顔に変わる。


「そうだ、修道院で今度『星座鑑賞会』をするんです。ラヴェンナさん、セレスティアさん、一緒にどうですか」

「あら、楽しそうね。後で具体的な話を教えてちょうだい」

「私は……ごめんなさい、アレン君。夜はぐっすり眠らなきゃいけないの」


 しゅん、と落ち込んだ様子でセレスティアは小さく返す。


「朝からお仕事がたっくさん……」

「ああ……ご愁傷様ね」

「そう思うでしょ? ねっ、お情けと思って売り上げに貢献してちょうだい! そうだ、今ならこの、トレーニングの重りとして使えそうな麻袋がなんと――」

「要らないわよ! 探せば蔵の中にあるんだから! っ、ア、イタタ……」


 流れるように商談を始めるセレスティア。反論しようと拳を振り上げた時に、ラヴェンナの身体にピシリと筋肉痛の痛みが走って声が上がる。そのままベッドの上へ撃沈した黒魔女は枕に顔を埋めながらウーウーと悶え苦しむだけだった。


 セレスティアは満足した様子で微笑むと、家の中を見渡してから……どうしたらいいか分からない様子でキョロキョロしているアレンに視線を向ける。


「ねえラヴェンナ、この子を借りてウィンデルを回ってもいい?」

「別に良いけど……修道院に怒られるようなことはダメよ」

「そんなことしないわ。じゃあそうね、アレン君、私と一緒に商売体験でもしてみない? きっと貴重な経験になるわよ~」

「……! はいっ!」


 来客二人が魔女小屋を出ていった。静寂。

 ラヴェンナは一息吐いた後、テーブルに覚えのないジュースの瓶を見つけ――それとほぼ同時に、セレスティアが扉の隙間からひょいと顔を覗かせる。


「忘れてたわ! それは適当に飲んじゃって」

「……貰っておくわ」

「お大事にね、ラヴェンナ!」


 バタン――。次こそ本当に魔女一人だけとなる。

 嵐のような時間だった。ラヴェンナは大きな欠伸の後に布団をお腹まで被る。すぐに足先がはみ出て、布団は腹巻きのような扱いへ変わっていった。

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