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第32話「魔物学者ライラ」

 開けたままの窓からカラッとした風が吹き込んでくると、それはベッドの上でだらしない寝姿勢で転がるラヴェンナの顔をそっと撫でる。彼女は僅かに覚えた涼しさに反応すると心地よい表情へ変わっていった。

 大きな欠伸をひとつ。その後、猫のように目元を擦ってからはっきりしない意識のままで身体を起こしてベッドを出る。真夜中に蹴落とされた布団の塊を乗せ直し、長い黒髪にクシを入れながら溜まった湿気を解放し始めた。


「ふああああ……」


 魔女小屋の中はまだ過ごしやすい気候だが、この時期は日が高くなってくるとそうも言えなくなってくる。ラヴェンナは、薄く作っていた黒いローブを着るとすぐに髪の毛を整え、これまた空気の通りが良く作られた魔女帽子を被ってから外へ歩き出した。


 庭のガーデンテーブルでは朝食の準備が進められていた。

 しかし、その様子は今までと大きく異なる。テーブルとチェアの傍には大きな日よけが組まれ、食事を取る魔女たちと料理が過度に温められないように配慮がされていた。既にこの時間でも日なたに立つとぼんやりした熱が感じられて……下手に肌が焼けてしまわぬ前にと、日陰に置かれた椅子へ腰掛ける。


 並べられていた木のボウルにはレタスとタマネギのサラダが盛られていたが、今日はそこに可愛らしいミニトマトの赤を見つけることができた。もう、時期になったのだ。


「おはようございます、ラヴェンナ様」

「ああ、ロクサーヌ、おはよう。ミニトマトが生ったのね」

「はい。これからは色々な野菜が使えます」


 今回の朝ご飯は例のサラダに加え、ニンニクとバジルを利かせたチキンソテーと二人用に切り分けられたバゲットがあった。水の入ったグラスでは氷が音を立てて、この季節はそれがなんとも涼しげに聞こえてくる。

 向かい合うように席につき、ゆったりとした食事の時間を過ごす。味と食感のバランスが取れた食卓はこの上なく、今日も良い日になりそうな気がしてくる。


「だんだん暑くなってきたわね。まったく、嫌になるわ」

「楽しいこともあるでしょう。そう言えば、海に行きたいと仰られてましたね」

「ああ……そんなことも言ってたわ」

「折角なので計画を立ててみましょうか? きっといい思い出になります」

「じゃあ、考えてみようかしら。家にある水着も一度見ないといけないわね」

「楽しみですね……ん、そう言えばラヴェンナ様」


 ロクサーヌはコップを持ち上げたまま、何か思い出した顔で続けた。


「最近、集落に旅の女性がやって来ている話はもう聞きましたか」

「初耳ね。誰かの家にいるの?」

「それが、テントを張ってそこで寝泊まりしているとのことです。私も他の方から聞いただけで、まだ実際に見た訳ではありませんが」

「ふうん」

「話によれば、見た目は確か――」


 その時、遠くから牛の鳴き声が聞こえてきた。

 首を捻ってみれば、集落の道のど真ん中で例のウシがのんびりと座って身体を休めており、近くではあまり見ない風貌の女性が両膝を折っている。


 白い髪を伸ばした褐色肌の女だ。

 傍にはパンパンに膨らんだ使い古しのリュックサックが転がされていた。


「おーっ、お前、ウシの癖にいい御身分してるなぁ」


 モ~ッ。


「のんきなやつだ。あたしもそんな風に食っちゃ寝の生活をしてぇよ……」

「ラヴェンナ様」

「まさか……」


 屈んでいた女性はウシの頭を撫で回した後、満足した様子で立ち上がってリュックを背負い直す。そして今度は彼女を見つめる魔女二人に気が付くと、ぱっと明るい笑顔を浮かべながら大股で駆け寄ってきた!

 真正面から見てみれば姉御肌を思わせる凜々しさとがたいの良さだが、その瞳には子供さながらの純真さとも言える光が宿っている。まるで集落の子供が挨拶をするように魔女たちへ歯を見せて笑いかけてきた。


「おおお、魔女だ! すごい、噂には聞いていたが本当にいたんだ……! アーその、コホン。あたしはライラ。世間では“魔物学者”の肩書きで通ってる」



◆ ◆ ◆



 ラヴェンナとロクサーヌはそれぞれ自己紹介を済ませると三人目の椅子を用意する。ライラは片脚を組んだ姿勢で腰掛けると、ここに来るまでの経緯を簡単に教えてくれた。


「かいつまんで話すと、そうだな……あたしは世界中の色々な場所を旅しているサバイバリスト、冒険家みたいなのも兼ねてたんだ。旅の最中に見つけた面白い奴らをスケッチして記録に残してたんだが、ある日それが学者先生共の目に留まったらしくてな。魔物図鑑の形で出したら、コレが子供に大受け。人気者になっちまった訳さ」

「何があるか分からないものねぇ」

「こちらの方面に来られたのは、目的の場所があってですか?」

「いんや……目的地は決めてないし、滞在期間もプランも何にもない! だけど色々と興味深い噂は聞いてたからな。例えばそう、ウィンデルに住む魔女の話とかだ! いやはや、まさかこんないきなり出会えちまうなんてな――」


 矢継ぎ早に喋り倒すライラはこのまま日が沈むまで黙らないのではないかという勢いだったが、彼女のお腹がぎゅるるると音を立てると思い出したように口数が減り、肩を落とし、元気のない表情に変わっていった。


「しかし……」

「?」

「ここ数日は野宿続きで……あんまり、良い物が食えてなくて」


 ライラの視線は非常に分かりやすくラヴェンナのチキンソテーを向いていた。

 半分は既に黒魔女の腹の中だが、もう半分がなんとも美味しそうなガーリックの香りを立ち込めながらそこに鎮座している。ロクサーヌの自信作だ!


「……いいわよ、残りはあげるから」

「いいのか!? ありがてぇ!」


 皿ごと差し出すとライラは肉を器用に滑らせながら口へ流し込み、頬をいっぱいに膨らませて噛みしめる。ついでにバゲットを半かけ差し出せばそれも一緒に口の中へ入っていき、長旅終わりの旅人は今にも涙してしまいそうな目で満面の笑みを浮かべていた。

 ラヴェンナもロクサーヌもきょとんとしていたが、そこまで良い反応をされてしまうと悪い気が起こるわけもなく、彼女が喉を鳴らして飲み込むのを待つ。


「んぐっ……ぷはぁ。はあーっ、生き返った! 身体中に力が漲ってるよ!」

「そこまで言ってもらえたなら良かったわ」

「ふふ、ありがとうございます」

「いやあ、本当に助かった! 何かお礼は……そうだ、折角だからちょいと絵を描いてやろう。待っててくれよな……」


 ライラは羊皮紙を一枚取り出すと、それを腿の上に乗せてからやや前傾姿勢になってラヴェンナの顔を覗き込んだ。先程までの陽気な態度から一転、瞳の中に彼女本来の気質と思しき情熱の炎が燃え盛る。

 敵意ではないことは知りながら、ラヴェンナはちょっと緊張した様子で座り続けた。その間、ライラは鉛筆をサラサラと慣れたように滑らせ続けて……やがて一通り満足するまで描き込んだ後、それを筒状に丸めてから手渡した。


「あたしはしばらくこの辺にいるつもりだ。ストーンヘイヴンまで来たからには見て回りたい場所がいっぱいあるからな! あとそうだ……この集落の隅っこにテントを張ってあるから、何かあったらそこに知らせてくれ!」

「ええ……」

「じゃあな、また会おう! チキン美味しかったぞー!」


 立ち上がったライラは膨らんだリュックサックをしっかり背負い直すと、それをものともしない軽やかさでみるみるうちに遠ざかっていった。そのまま彼女の姿はストーンヘイヴンの方へ向かい、どんどん小さくなって見えなくなる。


 ラヴェンナとロクサーヌは二人きりとなり、またいつも通りの朝食の時間が戻ってきた。先程受け取った羊皮紙を開いて一緒に覗き込むと……そこには魔女の特徴をよく捉えたスケッチが描かれていた。

 三角帽子にローブ、椅子に座るラヴェンナの体つきに、大人の魅力たっぷりの微笑み。ちょっと脚色されてはいたが、けちをつけられるものでもない。


「……まあ、チキン半分の価値はあったわね」

「にしても綺麗なお方の絵ですね。いったいどちら様でしょうか」

「ぶっ飛ばすわよ」


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