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第31話「閑話:ミノタウロスくんの奇妙な冒険」

 ある晩のこと。夏色の爽やかな風がカーテンを揺らす傍ら、魔女ラヴェンナは布団の塊を蹴落としながら口を大きく開けて眠っていた。草の揺れる音を背景にコオロギが鳴いている最中、棚の方から、ごく微かに物音が聞こえてくる……


 そこに座っていたのは、前にラヴェンナが街で見つけてお迎えしたフェルトのぬいぐるみ「ミノタウロスくん」だった。彼のつぶらな瞳がキラリと光ったかと思えば、二本角の生えた牛の頭がキョロキョロと左右に振れる。

 ベッドの上では持ち主たる黒魔女が口を動かしてウニャウニャと言っていた。ミノタウロスくんはのそりと立ち上がると、音を立てないように棚を降りてから部屋の隅に身体を突っ込んでは何かを探し……以前「井戸の底」を探索した時に背負っていたリュックサックを引っ張り出す。

 そして、これから必要になりそうな物が入っているかをしっかり確かめた後、小さなぬいぐるみはリュックを背負って魔女小屋をそっと抜け出たのだった。


「……」


 次に訪れたのはお隣、ロクサーヌの家だ。扉を静かに開けて忍び込んだ彼は、棚の中でランプ型の家に収まっている同胞「ウィスプくん」を見つけると傍まで近付いた。

 ぴくりとも動かない火の玉型のぬいぐるみへ両手を当てると……ミノタウロスくんの中に蓄えられていたラヴェンナの魔力がふんわりと伝わっていく。やがてウィスプくんの身体が揺れたかと思えば、ひとりでに浮き上がってランプ形の家から抜け出したのだった。


「!」

「――、――」


 家主がすやすやと眠っている中、二匹はそのまま家を出て例の井戸へ向かう。それから空の木桶へ飛び乗って、滑車を回しながら下へ下へと降りていった。



◆ ◆ ◆



 二匹を乗せた木桶の底が水面に触れたあたりは……ぼんやりとした魔力の光が空気全体に漂っており、石とレンガで作られた小さな廃墟の輪郭が朧気ながらに示されていた。ミノタウロスくんとウィスプくんは冒険の地へ降り立つと、以前の探索で作った地図を取り出して情報を共有する。


 ウィンデルの地下に広がっていたのは巨大な遺構。いつの時代からあったかも分からないそれは一回二回の探検で網羅できるものでもなさそうだ。フェルトの太い腕で「このあたり」とミノタウロスくんが探索範囲を示し、ウィスプくんも頷くようにフヨフヨと浮いて返事をする。


「……!」


 まわりを見ながら慎重に探索を始めるぬいぐるみ一行。

 もしかしたら以前は人間が住んでいたのだろうか? 文明の存在を感じさせるダンジョンのあちこちには今も様々な道具が放置されては埃を被っている。どの時代で使われていたか分からない文様のコインに凝った装飾のネックレス、口が欠けたカップに魔石の欠片……それらの所在についてもメモしながら、後でじっくりと確認したいアイテムをお土産としてリュックに詰め込んでいく。


 だが、彼らの冒険は何の障害もなしに易々と進むものでもなかった。

 曲がり角の先から何かの気配を捉えたミノタウロスくんは足を止めると、腰に携えていた斧を片手に身構える……すると向こうからネズミ型の魔物が現れた!


「!」


 人間にとってはまだ強敵でないネズミもぬいぐるみ一行にとっては自分たちと同じ大きさの身体を持つモンスターと化す。しかし、ダンジョンの中に籠もっていたマナは二匹に戦うための力を与えていた。彼らは、自らのモチーフとなった魔物のごとく目の前の脅威へ果敢に立ち向かっていく!


「――!」


 勢いよく飛びかかるネズミ。だが、ミノタウロスくんの振り下ろした斧がそのカウンター攻撃としてヒット! 思わぬ攻撃に小動物たちがパニックになると、今度はそこへ青白い炎の球が飛んでくる! ウィスプくんの支援攻撃だ!

 持ち主に可愛がられていたウィスプくんは、ダンジョンのマナを操って火球を作り出していたのだ。ミノタウロスくんとのコンビは最強。自分たちの身体程はあるネズミを一匹も寄せ付けず、逆に優位を取ったのだ!


 だが……

 大慌てのネズミがあちらこちらへ逃げようとしたとき、何か石の下に仕組んでいたものを踏みつけ「カチリ」と音を立てる。すると遠くでズシンと重い地響きが響いて、ゴロゴロとした振動が徐々に近付き……


「?」


 ……廊下の奥から、黒ずんだ丸岩が転がってきた。最早戦いどころではない。ミノタウロスくんとウィスプくんも踵を返して逃げ始める!


「!!!」


 細長い廊下を懸命に走る二匹。

 その後ろではネズミたちが岩に弾き飛ばされて目をグルグル回している。あれに巻き込まれたらタダでは済まないと走っていると、丁度よく脇に身を潜められそうな隙間が見つかった。

 一目散へ逃げ込む一行。安堵していると、ミノタウロスくんの足元で――


 ――ガシャリ。

 なんてことだ! ネズミ取りのトラップが彼の身体を捕らえてしまった!


「!」

「――! ――!」


 二匹で力を合わせてなんとか罠を外すことには成功するも、ミノタウロスくんの身体の一部が裂けてしまっていた。このまま動き続ければ、ぬいぐるみの形を保てなくなるかもしれない……慌ててリュックサックからお手製の裁縫セットを取り出して修復する。

 しかしミノタウロスくんの手で直すには限度があった。このまま家まで帰れたとして、持ち主がこの姿を見たらきっと悲しむことだろう。ミノタウロスくんもウィスプくんもそれを分かっているだけに、しゅんと気落ちしてしまう。


「……」


 するとそこへ。上から一匹の小蜘蛛が糸を吐きながらゆっくり降りてくる。

 すぐに身構えた二匹だが、なぜかその姿にはどこか親近感があった。小蜘蛛は彼らの様子を見て状況を察知すると、八つある脚のうち一つを動かしながらついてくるように指示する。

 ぬいぐるみ一行は顔を見合わせた後、あとに続いていった。



◆ ◆ ◆



 ミノタウロスくんとウィスプくんが案内されて辿り着いたのは、小蜘蛛たちが何匹か行き来している地下の抜け道。そこを上へ上へ進んでいくとちょうど良い大きさの穴があって、抜けた先が広い部屋になっていた。


 二匹は、ここがどこであるかをすぐに理解できた。

 暗く広い部屋の隅ではランプがぼんやりと灯り、その傍で黒いドレスを纏った女性が一人黙々と作業に没頭している。小蜘蛛がトコトコ走って行くと、彼女はそれに反応して振り返った。

 そこにいたのは長い銀髪を編み下ろしにした女性――手芸用品店のアリア。

 彼らは図らずして、生みの親の元へ「里帰り」を果たしていたのだった。


「まあ、人形が自分で動いているだなんて……あなたたちは?」


 二匹は顔を見合わせた後、身振り手振りでなんとか状況を知らせる。

 アリアは他に小蜘蛛たちからも情報を得ると、まずミノタウロスくんの身体を抱き上げてその身体をチェックし始めた。それから「患部」の様子を確認して、すぐさま同じ色合いの糸を縫い針で通していく。

 実に手慣れた職人の技だ。

 あの忌々しいネズミ取りで負った傷が嘘のように消えてなくなっていた。


「……!」

「きっと魔女様たちのところへ行った子ね。とっても良い匂いがするわ。でも、いったいどうしてこんなところに……」

「――、――」


 ミノタウロスくんはリュックサックの中から地図を出して説明した後、戦利品として持ち帰っていた古いコインを一枚、アリアの元へ差し出した。せめてもの感謝の印だ。彼女はそれを手に取ってまじまじと見つめながら感嘆の声を出す。


「へえ……地下に何かがあるって噂は小蜘蛛たちから聞いたけど、どうやら本当のようね。わかったわ、この後も何か困ったことがあれば私のもとに来て」

「!」

「勿論、このことはあなたたちの持ち主には秘密にしておいてあげるわ。だけど今日はもう帰りなさい。あまり長居していると夜が明けてしまうわ。道は分かるわね? ここを出て、あっちの方に抜けて……」


 ミノタウロスくんとウィスプくんはこくこく頷き、別れの挨拶のジェスチャーをした後に店を飛び出していった。東の空が僅かに青白くなっている中、二匹は急いでウィンデルの方へ走って行ったのだった。

 長旅の末に集落へ戻ってきた彼らは、家の前で手を振ってから各々の持ち主の家へ帰っていく。また一緒にこんな冒険をしよう、そんな約束を交わして……




 ――翌日。窓の外からあたたかな光が差し込んでくる朝、ラヴェンナはふと、棚に座っているミノタウロスくんの身体が気になって両手で担ぎ上げていた。


「あら、なんだかちょっとだけ汚れているような……うーん、気のせいかしら」


 黒魔女はなんとなくその小さな身体を抱き寄せてみる。

 持ち主の腕に包まれたミノタウロスくんは、どこか幸せそうに見えていた。

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