ラヴェンナはカトリーナとなんでもない時間を共有して、陽が西へ傾くまでをのんびりと過ごした。祭りの雰囲気で慌ただしかった街も徐々に落ち着きを取り戻し、やがて、その最後を締めくくる催し事の準備が整えられる。
広場に組み上げられていたのは巨大なキャンプファイヤーだ。丸木が崩れないようにしっかり組み込まれ、真ん中にくべられた薪が炎を宿して煌々と燃え盛る。空の端が赤く焼け始めた頃と同時に始まった行事は、祭りの余韻に浸りながらも新たな日々への決意を固めるのに丁度良い機会だった。
キャンプファイヤーの周囲には、丸太を半分に割って作られた即席の長椅子が囲むように置かれていた。
既に暗くなった空の下、火の近くでは市民たちがそれぞれの過ごし方でこの時を共有している。良い感じの男女が身体を寄せ合っていたり、リュートの音色で場の雰囲気に華を添える者がいたり、はたまた最前列で長い串にチーズやソーセージを刺して炙る猛者がいたり……
その片隅で、ラヴェンナはカトリーナと同じ椅子に腰掛けながら炎が揺らめいているのをぼんやり眺めている。既に空は藍色に染まり、陽の光も地平線の彼方へ隠れて夜となっていた。
「今年の早夏祭も終わっちゃうわね」
「ああ……」
「祭りが終わったらいよいよ夏って感じね。こっちは畑仕事の手伝いが増えるんだけど、騎士団は夏になったら何をしてるの?」
「変わらないさ。騎士団のやることは同じ、人々の幸せを守ること。春も、夏も、秋も、冬も……」
「そういうのも素敵ね。良いじゃない」
高く昇った火柱が星空を焦がして色をつける。
風に揺れる明かりは、じっと座り込む女騎士の真顔を淡く照らしていた。
「今日は、私の我が儘で時間を取ってくれて、すまなかった。折角こちらから誘ったのに大して祭りを回れなかったが」
「いいわよ別に。今年は貴女と過ごせて、緩やかだけど心地よかったわ」
「ありがとう。そう思ってくれたなら良い」
「あと言っちゃえば、私は魔女だから。この祭りも何十回と経験してるの」
「ああ……そうだったな」
二人が話している間も火の周りは賑やかだった。酒を飲みながら皆で声を合わせて歌ったり、ボードゲームを持ってきて仲間内で遊んでいたり、キャンプファイヤーの光で本を読んだり、横になって寝ていたり――これらの光景は、ラヴェンナが幾度となく見てきた平和そのものの光景だった。
「また機会があったら一緒に回りましょう? これが最後ではないと思うわ」
「きっとそうだろう。貴女は魔女だし、私も……」
カトリーナはようやく頬を緩ませると、安らかな様子で目を閉じた……
◆ ◆ ◆
早夏祭の特別な夜、街のあちこちでは住民たちがそれぞれの過ごし方でこの時間を楽しんでいた。普段は修道院の子供たちも眠る時間だが今日は別のようで、キャンプファイヤーの周りでは数少ない夜更かしできるひとときを堪能する子供たちの姿が見られる。
「昨日と今日はおつかれさまでした、アイリスさん」
「なんとかうまくいきました……一時はどうなるかと思いましたが」
修道院のシスターたちがお話をしている中、アレンはなんとなく大人たちの間に交ざってその会話を聞いていた。
背後では他の子たちがカードゲームで遊んでいたり、祭りの屋台で買っていた木剣を打ち合わせて「騎士ごっこ」をしたりしている。だが彼はそれに混ざらずパチパチと燃える火を眺めながら一人物思いに耽っていた。
「……」
年に一度の早夏祭。来年の自分はどうなっているのだろう?
思春期に入った少年はそんな薄ぼんやりとした不安を抱えながら背中を丸めていたが、ふと、フリーマーケットで手に入れた本の存在を思い出しては膝の上に乗せてみる。
「あら、アレン君。なんの本か聞いても良いですか?」
「えっと……魔物についての本」
「魔物?」
ページを開けば、そこには世界各国にいる魔物たちが挿絵つきで詳細に解説されている。まだ彼には分からない言葉も沢山載っていたが、イラストの数々は少年が知るいくつかの魔物の特徴を事細かに捉えていた。
蜘蛛の下半身を持った種族に、植物の身体を持った種族……ふとアレンが顔を上げてみれば、焚き火の光が届くところでグロリアとリリィの姉妹が仲良く寄り添いながらスヤスヤと眠っている。ロクサーヌの畑であった鮮烈な出会いの記憶が蘇ってきた。
「……最近、魔物の人と話す機会があって。それで、僕たちと全然違ったから、ちょっとは勉強した方がいいのかなって」
「良いと思いますよ。もし詳しくなったら私にも教えてくださいね」
「うん、がんばる……」
アレンは座ったままでアリアのことも思い返してみる。
彼女は今、何をしているのだろう……?
◆ ◆ ◆
一方その頃。手芸用品店の奥ではロクサーヌが自前の「ウィスプくんの家」をアリアに見せていた。お手製のぬいぐるみハウスは精巧にできており、アリアが四方から様子を見ると同時にセレスティアも興味津々で見つめている。
「うん、とてもよくできてる。本当にランプがあると見間違うほどね。ここまで精巧に作るのは手間暇がかかったでしょう?」
「勿論大変でしたが、アリア様の作品ほどではないでしょう。どうしても細かい部分はなおざりになってしまって……このあたりとか」
「ここでしたら、そうですね……」
ロクサーヌから話を聞いたアリアは針と糸を取り出し、素晴らしい手際の良さでその要望を実現してみせた。職人技を目の当たりにしたロクサーヌは長い息を吐きながら顎に手を当てて頷き、今度は自身の力で同じことを試してみる。
セレスティアもアリアの手技には感心していた。だが商売人として彼女の興味は別のところにあったようだ……
「ぬいぐるみも良いけれど、そのお家とか、一緒に飾るちょうどいいサイズの物が商品にあればもっと良さそうね~」
「しかしこれ以上の展開は、アリア様の負担もなかなかのものになるのでは?」
「それはね、実は、裏で小蜘蛛たちにも裁縫のやり方を教えているの。うまくいけば……空いた時間でもっと色々なものを作れるかもね」
「まあ! 形になりましたらその時は是非ともご相談を」
「ええ、勿論そのつもりですよ、会長」
静かな夜、祭りとは全く関係ない場所で手芸の道を行く三人。
しかしこの場に滾る熱気は、外の篝火にも引けを取らないものであった。
◆ ◆ ◆
キャンプファイヤーの周りで穏やかな時間を堪能していたラヴェンナは、瞼を閉じてウトウトしていた時にふと良さそうなアイデアを閃いて目を覚ましていた。その隣ではカトリーナがずっと星空を見上げている。
「ねえ、カトリーナ。折角だから、一緒に箒に乗ってみない?」
「……いいのか?」
遅れて返事した彼女の顔は、驚きの裏に少女のような期待が潜んで見えた。
ラヴェンナは箒を手に取って二人で細路地へ入る。そこで、始めに自分が箒へ跨って見せた後……そのまま後ろへ乗るように手で示した。
「この辺りに。そう、それでいいわ。あとは腰にちゃんと腕を回して」
「これで大丈夫か? 苦しくないといいんだが」
「良いわよ。じゃあそのまま脚に力を込めて、箒を挟み込んで――それっ!」
女騎士を背中へしっかり張り付かせた後、ラヴェンナは勢いよく両足で地面を蹴って高く飛び上がった。二人を乗せた箒は魔法でぐいと強く浮き上がり、魔女とその見習いを乗せたまま初夏の夜空へ突き抜けていったのだった。
ラヴェンナの腰に巻き付けられた腕へ力が込められる。しかし時が経つにつれて緊張は解け、やがて、空旅に慣れたような吐息の音が首元で聞こえた。
「どう? 初めての空は」
「綺麗だ。街の地図は知っていたが、実際に上から見たことはなかった。しかし貴女は……魔女は、ずっと昔からこの景色を知っていたんだな」
「魔法の練習が進めば、貴女も一人で飛べるようになるわ」
「ああ。是非とも楽しみにしておこう」
きらきらと輝く炎の周りから楽器の音色がごく微かに届けられる。
二人だけの遊覧飛行。カトリーナは、ラヴェンナの身体に頭を預けていた。
「ラヴェンナ」
「何?」
「貴女のことを……友達だと思っても良いか?」
「なあに、いきなり? 良いに決まってるじゃないの」
早夏祭の特別な夜はこうして過ぎていく。闇が深まるにつれて、空でまたたく白い粒たちもはっきりと存在を示すようになっていった。もう、夏の星空だ。