中央広場から少し歩いたところには小劇場があって、そこでは普段から様々な演目が行われている。ラヴェンナはあまり演劇を嗜まない性格だったが、今日はアイリスと交わした約束を守るために会場へ足を運んでいた。建物の外には手製の宣伝ポスターが一枚貼られており、剣を持った背の低い勇者が妖精と共に魔女へ立ち向かうヒロイックなシーンが描かれていた。
タイトルは「少年勇者と影の国の魔女」。
なかなか力を入れて作ったように見える……期待が持てそうだとラヴェンナは静かに微笑んだ。きっとアレンも何かしら役を演じているのだろう、そんなことを考えながら劇場の中へ進む。
「おはようございます」
「おはよう。部屋はそちらで合ってる?」
「はい。どうぞ好きなところにお座りください」
「ありがとう。これはちょっとしたお気持ちよ」
ラヴェンナは銀貨二枚を置いてから会場に入る。
中は盛況のようだった。天井の高い劇場は声がしっかりと響く構造に作られている。親御さんらしき人物もいれば年配の観客も見え、普段、修道院にお世話になっている人たちも来ているようだった。魔女は端の席に座って開演を待つ。
すると……ちょうど位置が良かったのか、舞台端に下ろされたカーテンの隙間から子供たちが台本を読み込んでいる光景が垣間見えた。
「さあ皆さん、そろそろ始まりますよ。緊張はしてませんか?」
「うん……」「だいじょうぶ」「たぶん平気」
「本番中は、何かあったら大人の人たちがこっそりサポートしてくれます。もし失敗しちゃっても、落ち着いて、練習した通りにやりましょうね」
「はーい」「わかりました」「がんばる」
黒い魔女の格好で子供たちを勇気づけているのはアイリスだ。彼女から本番前最後のお話を聞いていた彼らは、大人しく座ったまま自分の出番を待ち始めた。会場の明かりは落とされ、徐々に周りが暗くなっていく……
◆ ◆ ◆
薄暗い小劇場は良い雰囲気に変わっていた。舞台の端に読み上げ担当の少女が二人現れると、彼女らは手元の台本に従い大きな声で物語の始まりを告げる。
『ここではない、どこか遠くの国であったかもしれないお話』
『平和が続いていたある日、王国へ、影の国から悪い魔女がやって来た!』
すると舞台の上に、アイリスが扮する「黒い魔女」が現れた。ローブも帽子も実によくできている。彼女は金色に輝く王冠を取り出すと、それを観客に見えるように高く掲げながらいつになく声を張ってみせた。
「私は影の国の魔女。ああ、この光の王冠は、なんと眩しいことだろう! 是非とも持って帰って、明かりの代わりに使ってみようではないか!」
『魔女は光の王冠を奪い取り、姿をくらましてしまった!』
いかにも悪そうな声色で演技するアイリス。普段の温厚で優しげな態度からは見られない意外な一面に、観客席は逆にホッコリと和らいでいるようだった。
彼女がカーテンの奥へ消えた後……今度は一人の少年が現れる。
『奪われてしまった王冠。このままでは、戴冠式が行えません』
『そんな中、ある勇者が魔女へ立ち向かうこととなったのです……』
ラヴェンナは目を丸くしてあっと驚いていた……勇者を演じていたのはなんとアレンだったのだ。彼は腰に差していた剣を抜くと天に向かって掲げ、この物語の主人公らしく決め台詞を放ってみせる。
「待ってろよ、影の国の魔女め。その王冠は、必ず返してもらう!」
◆ ◆ ◆
アレン演じる少年勇者は「影の国の魔女」を倒しに行くための旅に出た。
その道中、背景は森に変わって草木を表す道具も登場する。かなり作りが良いものだからラヴェンナはすっかり感心していた。そしてそこへ、背中に羽根を付けた少女が一人現れる。
「なんだ、おまえは誰だ!」
「あなたが勇者なのね! わたしはこの森に住む妖精。旅の力になるわ」
「僕は影の国に行くんだ。そんな危険なところに連れて行くことはできない」
「甘く見ないで! あそこの魔女には、わたしたちもうんざりしてたの!」
『勇者は妖精を連れて行くことにしました』
『森を抜け、影の国へ向かう道中、魔女は二人に魔物をけしかけてきます』
森の平和な雰囲気から一転……舞台の大道具が切り替わって禍々しいものへと変わる。そこへ、獣の皮らしきものを被った男の子が現れた!
「ガオガオ、ガオーッ! おまえが勇者だな!」
「きゃあ!」
「魔物だ、下がって!」
「魔女様からの命令だ。ここでお前らを食ってやる!」
「そうはさせるか!」
舞台ながらもしっかりとした戦いが繰り広げられる。きっと裏で何度も練習していたのだろう、俊敏ながらもキレのある動きは彼らが子供であると思わせない程で、席に座っていた観客は皆この瞬間に引き込まれていく。ラヴェンナもその一人だった。
やがて魔物を退けた勇者と妖精は、その後も魔女からの試練を乗り越え、遂に根城である「影の国」へやって来る。いかにも悪いキャラクターが出てきそうな背景の中で因縁の相手を探すが、姿は見当たらず……
「魔女はどこに行った? 近くにいるはずだ!」
「見て、勇者。あそこ!」
妖精役の少女は観客席を指さす――直後、真上に備えられていた魔石灯が光り、席の通路に立っていた魔女の姿が煌々と照らし出された!
「ああっ、あんなところに!」
「勇者よ、よくぞここまで来たな。だが、私の魔法にはかなうまい!」
驚きの演出にお客さんが息を呑む中、影の国の魔女は両手を使って大きく左右に振ってみせる。目に見えない網を引きずるような動きに合わせ、舞台の上では勇者と妖精が「魔法」の力で左右に吹き飛ばされていた。
「うわああっ! うわーっ!」
「ダメ、このままじゃ……そうだ、みんな! 私たちに力を貸して!」
遂に訪れた宿敵との戦いに雰囲気は最高潮。ラヴェンナがふうんと唸って笑っていると、舞台の袖から現れた子供たちが彼女を見つけ、ローブの端を掴んではぐいと引っ張って誘導し始める。
「ん?」
「早く戻って、次のシーンすぐに来ちゃう」
「えっ? ちょっと」
「もうすぐ始まっちゃうよ」
「はやくはやく」
「待って……」
暗い会場の中で引っ張られたラヴェンナはあれよあれよと言う間に舞台袖へ。そして子供たちが平然と動いている様子を見て、いま何が起きているのかを察したのだった。
まさか……アイリスと間違えられている?
劇場の暗がりでは顔があまりよく見えない。たまたま黒魔女の格好をしていたラヴェンナは、ウッカリ悪名高き影の国の魔女となってしまったのだ! 舞台の最中だから声を出して気付いてもらうこともできそうにない。
「え、えっと……次のシーンってなんだったっけ?」
「いちばん最後だよ。勇者の剣のビームを食らってやられるシーン」
「そ、そうだったわ……ごめんね、緊張しちゃって」
台本を見せてもらえば、「影の国の魔女」は、本当にやられるだけのようだ。長いセリフがなくて一安心だが、そうこうしている内に出番がやって来る。
ラヴェンナは子供たちに応援されながら冷や汗と共に舞台へ繰り出す。こんな事件が起こっているのも知らず、読み上げ役の少女が高らかに声を張った。
『遂に姿を現した魔女、果たして、勇者は勝てるのでしょうか!』
『観客の皆さん、勇者を拍手で応援してあげてください!』
明るい舞台にラヴェンナが現れると勇者役のアレンが顔を凍り付かせる。その背後では大人が慌ただしく動いていたが、当人たちが焦っている一方で観客側は大盛り上がりだった。“幻想の大魔女”の登場はサプライズのように映ったらしく大きな拍手と共に「やっちまえ勇者!」「悪い魔女をこらしめて!」などと好き放題の野次が飛んでくる始末。
バカ受けだ。
そんな中、舞台の袖には本来出てくる予定だった「魔女」のアイリスがやってきて、近くにあった文字盤でラヴェンナにメッセージを送る。
『いい感じの台詞を 言ってから やられて!』
(くっ……こうなったら仕方ないわ、なるようになれ!)
ラヴェンナはこほんと喉の調子を整える。それからアレンに視線で合図を送ってから、先程アイリスが見せていた舞台調の振る舞いを思い出しつつ即興で魔女らしい台詞を紡いでみせた。
「勇者とその……妖精か? お前らの旅はここで終わりだ。そうだな、このままお前たちを下した後、私がいいようにこき使ってやろうじゃないか!」
「ぐっ……そ、そんな簡単に、負けてたまるか!」
「勇者、みんなの力が溜まった剣を使って!」
少年は妖精の言葉に頷くと、剣の持ち手をしっかり両手で握り、その切っ先を「魔女」へ向けた! ここからが最後の見せ場だ!
「これが、みんなの、平和を求める祈りの力だ! ビーーーーム!」
……
…………しかしまあ、剣は劇の小道具なので何かが起きるわけでもない。
ラヴェンナは少し反応に遅れた後、必死に勇者の役をやり切ろうとしているアレンの表情と、期待に満ちたお客さんたちの様子を交互に見て――やがて、両腕をオーバーに振りながら後方の舞台袖へと退散していった。
「うわああああ、こっ、この私が、やられたぁぁぁぁ」
会場は拍手喝采。
かくして、王冠は無事取り戻され、勇者の旅は終わったのである――
◆ ◆ ◆
「本っ当にごめんなさい!!!!!」
終劇後。明るくなった劇場の中では、アイリスがラヴェンナに向かって平謝りしていた。ここまで必死になっている彼女は見たことがない。その横ではアレンも何故かちょっと申し訳なさそうに立っていたのだった。
「いや、別に大丈夫よ、うまくいったんだし」
「なんか、ごめんなさい……」
「貴方も謝らなくていいから!」
「ううっ、魔女様には普段からお世話になってるのに」
「あのねぇ……そうだ」
どうやって場の収拾を付けるか考えていたラヴェンナは一つ妙案を思いつく。次の目的地のことを考えながら、アレンのことをそっと見下ろした。
「じゃあそこの少年……ちょっとだけ付いてきてくれる?」
「えっ、僕ですか? えっと、いいでしょうか」
「大丈夫です! 片付けは他のみんなでやっておきますから」
「じゃあ決まりね。一人、遊びに行ってあげたい人が居るの」
きょとんとした顔のアレンは、少し考えて……もしかして、と眉を上げた。