その日は、窓辺から差し込む朝の光がいつになくキラキラと輝いているように思えた。ベッドの上で横になっていたラヴェンナは静かに目を開くと小鳥たちの調べを聴きながらゆっくりと身体を起こして身支度を始める。
なんてことない朝――だが今日は違う。今日は
テーブルの反対側では既に、ロクサーヌがいつも通り“白の装い”で席についている。凜とした佇まいの彼女も今日は普段よりもより美しく目に映った。
「ラヴェンナ様、おはようございます」
「おはよう。今日はよろしくね」
「はい。朝ご飯は軽めにしたので、お昼はあちらで沢山食べましょう」
食事を済ませたラヴェンナは家の裏に回ると、ボウルをとってからハーブ園の中に足を踏み入れる。するとちょっと離れたところに「ヤツ」の姿が見えた。
「ウシ!」
声を飛ばすと、黒白模様の大柄な生き物はのっそのっそと近付いてくる。その間にラヴェンナは繁茂していたハーブを摘み、ボウルに山を作ってから地面へ置いた。ウシはいつになく優しい彼女をじっと見つめた後、モウと一鳴きしてから首を下げてムシャムシャ食べ始める。
ラヴェンナは蔵の扉を開け、箱の中に詰められていたカップケーキたちの様子を確認する。一つ一つが丁寧に舗装されていたそれらを前に頷いた魔女は袖からローズクォーツの込められた杖を取り出して箱の端をトンと叩き……独りでに浮いてついてくるようになったそれを従えながら、外に出て箒に跨った。
遠くまで見渡せる晴れ模様。黒魔女はカップケーキの山を率いて街へと飛ぶ。その下では腹ごしらえを済ませたウシが座り、のんびりと心地よい朝の時間を気ままに過ごしていた。
今日は早夏祭。誰にとっても素敵な一日になるのだ。
◆ ◆ ◆
ストーンヘイヴンの街は、遠くからでも賑やかな喧噪が聞こえるようだった。濃くなりつつある青空の下、あちこちからリュートやパイプの音色も響いてこの日の特別感を演出している。外に用意されたテーブルでは既に一部の連中が集まって酒盛りを始めており、どこを歩いていても楽しい時間を過ごす人々の姿を見ることができた。
ラヴェンナが座っていたのは、ストーンヘイヴンの中央広場から伸びた幾つかある大通りのうちの一つ。早夏祭期間中は道の両端に木組みの屋台が並び、そこで有志らによるフリーマーケットが開かれている。
黒魔女が今年販売するのはあの「魔女のカップケーキ」。ふんだんに使われたレモンバーベナの爽やかな香りは、夏の始まりを祝うこの日にピッタリだった。
(ロクサーヌは先に買い物に行ってるから、その間は店番ね……)
普段通り魔女らしい格好で売り子として座っていると……道行く子供の一人が彼女の黒い三角帽子を指さしてあっと声を上げた。それからすぐに駆け寄ってきたのは見覚えのある親子だった。
「魔女様!」
「魔女様、お久しぶりです」
「あら、あなたたちは確か……」
先日、アイリスと一緒にクッキーを配りに行った家の親子だった。ラヴェンナの姿を見つけた子供は嬉しそうにはしゃいだ後、売り物として並んでいるカップケーキをじっと見つめ始める。
「お菓子あるよ。なんだろ、カップケーキ?」
「レモンの香りがするハーブを使ってるの。甘くて爽やかな味がするわよ」
「魔女様、それでは二個いただけますか?」
「ええ。一個につき銅貨一枚よ」
「良いのですか!? こんなに出来がいいものを……」
「良いのよ、今日はお祭りの日だから」
親子はそれぞれ一個ずつカップケーキを受け取ると満面の笑みで去っていく。なんとも幸せいっぱいな後ろ姿を見守っていると……反対側を向いた時に覚えのある女騎士を発見する。
白髪を靡かせているのはストーンヘイヴンの騎士団長、カトリーナだ。彼女はマーケットの各所に視線を配りながら歩いていたが、その最中でラヴェンナの姿を見つけると目を丸くしてから近付いてくる。
「ラヴェンナ……?」
「あら、カトリーナ。お仕事中のようね」
「ああ。ところで、貴女も店を出していたのか」
「そうよ。毎年何かしてるんだけど、今年はこれ」
カトリーナは鉄のグローブを嵌めた手指を顎に当て、そのままラヴェンナの商品を覗き込む。彼女は表立って口にこそしないだろうが、彼女にはその瞳が期待でキラリと輝いていたような気がしていた。
「この日のために作ったものよ。レモンバーベナのハーブを混ぜ込んでるから、夏らしい香りがするはず。一個あたり銅貨一枚で出してるんだけど」
「そうだな……一つ貰っても良いか?」
「勿論よ。はい」
「では――」
支払いを済ませた女騎士は早速手に取ってみる。まずはその表面から香るものを鼻で感じ取り、目を閉じてから一口含んで歯形を残した。
「……うん、レモンの香りが実に爽やかだ。甘みと大きさも丁度良くて、最後まで美味しく食べられる。よくできていると思うぞ」
「ふふん、私の自信作よ」
「うむ……うむ。つい全部食べてしまった」
「あら、ありがとね。頑張って作った甲斐があったわ。今日はずっと仕事?」
「ああ、このまま夕方まで街の見回りでな……」
ラヴェンナとカトリーナが話をしていると、騎士団長の姿を見つけた子供たちが物珍しさに集まってくる。中には澄んだ目を輝かせている少年もおり、彼女の人気が垣間見えた場面でもあった。
「わあ、団長のお姉さん!」
「騎士団長だ!」
「すごい、カッコイイ!」
「やあ……ちゃんと良い子にしてるか?」
「もちろん!」
「良い子にしてる!」
「お母さんの言うこと聞いてる!」
「うむ、感心だ。将来は立派な人に育つだろうな……」
子供たちに応対しつつ、カトリーナは最後にと質問を一つ投げかけた。
「明日も祭りには来るか?」
「ええ、そのつもりよ」
「もし良ければ……」
カトリーナはなんとも慣れてなさそうに、僅かに視線を逸らしながら呟く。
「この祭を、案内してほしいんだ」
「勿論よ。でも私なんかで良いの?」
「……頼む」
「意地悪しちゃったわね、ごめんなさい。いいわ、明日も楽しみにしてる」
満足いく答えを貰ったカトリーナは気が楽になった様子で笑むと、そのまま子供たちを連れて次のパトロール先へ向かっていった。騎士団長人気は凄まじいものがあり、さながら何かのイベントでもやっているかと見紛う程だった。
そうして、一人で座ったまま店番をしていると……先にマーケットを回っていたロクサーヌが、袋を片腕に提げながら満足気な表情で戻ってくる。
「戻りました。代わりますよ」
「あら、何か良い物はあった?」
「ええ。とても可愛らしいものが」
そう言って出したのは観葉植物の小鉢だった。種類こそラヴェンナには分からないが、この大きさであれば窓際へ置くにはピッタリかもしれない。他にもチェック柄の手袋、古い言葉で書かれた農業書らしき本も見せてもらえた。どうやらかなり良い「収穫」だったようだ。
次はラヴェンナが早夏祭のお客さんになる番である。今日のイベントを思い出した時、頭の中でアイリスとアレンの姿が蘇った。
「じゃあ、私も行ってこようかしら。修道院の子たちの劇を見ないといけないし、彼女のところにも顔を出さないと……」
「私は店番をしております。本もありますので、どうぞ気兼ねなく」
「そうさせてもらうわ。じゃあ、顔を出してくるわね」
しばらくぶりに立ち上がったラヴェンナは腰を軽く捻って解した後、早夏祭に浮かれる街の中へ一人繰り出していった。まだ見るべきものは沢山ある。