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第24話「夏を控えて」

 早夏祭サマーグリーティングの前日。ラヴェンナは最後の準備がてらストーンヘイヴンを訪れ、その途中で例の手芸用品店に来ていた。

 店の中は相変わらず暗い。カウンターには厚いカーテンが今も掛けられ、店主が人見知りを克服する日がまだ遠いことを暗に示している。ラヴェンナは慣れた様子でカウンター裏へ回ると、おそらく「彼女」がいる方へ声を飛ばした。


「アリア、私よ。奥に入っても良い?」

「ひゃああっ――ど、どうぞ、中に入って……」


 昼間に来たはずだが奥の部屋はやはり薄暗い。窓という窓にはあの時と同じように木の板が張られ、前回取れたところも糸でしっかりと固定されていた。

 そこに、女店主アリアの作業スペースがある。

 目を凝らすと、完成済みのぬいぐるみがきちきち詰めて並べられていた。アリアは銀髪の編み下ろしに手を添えながらラヴェンナを高くから見下ろしている。彼女の黒いドレスの下にある蜘蛛の八つ脚はいつ見ても細く長い。


「あら、邪魔しちゃったかしら」

「ううん、大丈夫よ。ちょうど休憩しようと思っていたところだから……」

「これは……全部手作り?」


 まだ目が慣れていないから確証こそ持てなかったものの、魔物を象ったぬいぐるみは例え同種でも微妙に細部が異なっている。傷の跡があったり、持っているアイテムが違ったり、身に纏うものや装飾が違ったり……どれもきわめて細かい精度で作られた、一つとして同じもののない作品だ。


「お祭りの為に、ちょっとずつだけど作ってた。あの少年もたまにお店の手伝いをしてくれる。その日は一日中籠もってても良いのよ。うふふふふふ」

「しかし凄いわね……職人技じゃない」

「そ、それほどでも。私より凄い人は、もっと沢山居るし……」


 卑屈な態度こそ残ってはいたが、以前に会った時と比べればかなり社交性が上がったようにも窺える。好きなことの話をしているためか表情も嬉しそうだ。


「市長からお話があった……私のぬいぐるみを、縁日の景品にしたいって。会長が間に入って、色々難しい手続きをやってくれたの。私は面倒事はしないで、必要な分を作るだけに集中して欲しいって」

「会長って……セレスティア? 貴女、彼女と会ったことがあるの?」


 こんなところで知っている名前が出てきた。

 彼女が普段、家の前でダラダラ油を売っていることを知ったら驚くだろう。


「いいえ、直接はないけど……あの人は何故か知ってる」

「あの地獄耳、いったいどこで貴女の正体を知ったのかしら」

「会長は、街のみんなのことを全部覚えてるの。お年寄りから子供、昨日生まれた赤ちゃんの名前まで、全部。私とはまるで正反対で、凄い人よ」

「へえ……」


 スケール感が大きすぎて思わずそう答えてしまう。

 一体その話もどこまで本当なのだろうか? 商工会長というネームバリューにありがちな噂の尾ひれでは? ラヴェンナは訝しんだ。しかしあのセレスティアならば実際にそうかもしれない……そんな気がして、結局何も言えなかった。

 頭の中でセレスティアが「おーっほっほっほっほ」と笑っている。口元に貴族らしい装飾のついた団扇を添えて。


「ねえ、魔女様。こんな私で良いなら、貴女にお願いをしたいの」

「別に大丈夫よ、何?」

「もし良ければ……あとで、私にお祭りの話を聞かせてくれない?」


 アリアの口調は妙に寂しい。

 彼女の言うことはつまり――早夏祭には参加しない、ということだった。


「いいけど、貴女だって街の住民よ。祭りを楽しむ権利はあるわ」

「私は、その、ごめんなさい。まだ人間が怖いのよ。みんながみんな、あの少年みたいに私を許してくれるわけじゃない。だから……今は、まだなの」

「そう……」


 何か掛ける言葉を探そうとしたが、何百年と生きたラヴェンナでさえ、アリアのことについて――彼女の過去については殆ど知らなかった。

 未だ人見知りの治らないアリアを見上げながら、せめて彼女が寂しい思いをしないよう、祭りの最中に顔を見せてあげよう……そんなことを頭で思い描く。



◆ ◆ ◆



 表通りへ出ると、修道女のアイリスが珍しく一人で歩いている姿を見つけた。その腕には籠が一つ提げられていて、一つ一つ丁寧に作られた焼き菓子らしい包みが何枚も入っている。


「アイリス!」

「まあ、大魔女様、こんにちは。今日は街にいらしたのですね」

「祭りの準備でちょっとね。お仕事中……だったわよね?」

「問題ありませんよ。そうだ、折角なので一緒においでください」


 にっこりと愛らしく微笑むアイリス。

 思わぬ申し出にラヴェンナは目をぱちくりとさせる。


「あら、いいの?」

「うふふ、その方が皆さんも喜ぶと思います……」


 二人は一緒にストーンヘイヴンの街を歩き、住宅街の方までやってくる。この周辺は石とレンガでがっしりと組まれた集合住宅が多かった。


「それは何? クッキー?」

「はい。早夏祭サマーグリーティングに際して、街の子供たちにお菓子を配ってます」

「……まさか、修道院に来てない子にも?」

「その通りです。当日、私たちは子供たちと劇を行う予定なので、街の人たちには一足早くプレゼントを贈ることになったんです」

「劇ねぇ。分かったわ、なるべく時間を合わせて行ってみようかしら」

「お待ちしております……ここの家ですね」


 話をしている間に目的地の一つに到着したようだ。

 アイリスがドアをノックすると、少ししてから母親らしき女性が現れる。


「失礼します、サン・ブライト修道院のアイリスです。早夏祭に先だって、街の子供たちへクッキーを配っていて……」

「あら、そうなの? ――大丈夫、来て良いわよ!」

「ママ、誰が来たの……?」


 母親が呼びかけると奥に居た子供がやってくる。アイリスは腰を屈めて視線を合わせるとにっこりと微笑み、籠に入っていたクッキーの袋を一つ手渡しした。


「明日はお祭りですから、クッキーのプレゼントですよ」

「わあ……ありがとう、お姉さん!」

「うふふ、どういたしまして。ちゃんと良い子にするんですよ」


 そんなアイリスの後ろ……彼女が「お姉さん」と呼ばれているのを聞いて妙に不服そうな様子のラヴェンナは何も声は掛けなかったが、クッキーを貰った子供が彼女に気付くとあっと驚きの声を上げて指さした。


「わあっ、すごい! 魔女がいるよ、ママ!」

「やだ、本当じゃない。もう、これならもう少しちゃんとした格好にしていた方が良かったわ!」

「こんにちは、二人とも……」


 ラヴェンナがいかにも魔女らしく対応すると子供は大はしゃぎ。まるで昔話に出てくる英雄と出会ったような喜びようだった。

 そのまま握手を交わし、励ましの言葉を掛け……親子がニコニコ笑顔で室内に戻っていった後、ラヴェンナは妙に疲れた様子で大きく息を吐く。


「子供たちの相手は気を遣うわね……」

「今のは満点だと思います。見ていましたか? 私の時より笑ってました」

「魔女ってそんなにいいものかしら」

「それはもう!」


 アイリスは次の家へ行くようだ。

 ラヴェンナは帰ろうかと思ったが……もうちょっと付き合うことに決める。


「そう言えば、魔女様は当日何をされる予定で?」

「カップケーキを作ろうと思ってるわ。明日はちょっとだけ売り子もやるけど、それが終わったら後は他の人に任せて……うーん、何をしようかしらね」

「魔女様であれば、どこに行っても喜ばれますよ」


 ウィンデル集落で隠居生活を送っていた黒魔女にとって、アイリスの言葉はなんとも不思議なものだった。別に人気を稼ぐために何かしていた訳ではないし、街に迫る大きな陰謀へ立ち向かっていた訳でもないのだが……


「まあ、そういうのも悪くはないかしらね」

「街の人はみんな、魔女様のことが大好きですから」

「はああ。あんまり表には出ていなかったつもりなんだけど、どうしてかしら」


 次のクッキー配りの家へ辿り着く。

 親子と対面すると、やはり「魔女ラヴェンナ」に子供たちは大喜びだった。



◆ ◆ ◆



 あれから色々お手伝いをしたラヴェンナは、そろそろ自分の仕事を始める為にウィンデル集落へ戻ってきた。

 明日の早夏祭に向けて「魔女のカップケーキ」を用意する必要がある。その為に育てていたレモンバーベナを見に裏庭へ回ると、ラヴェンナはなんとも不穏な後ろ姿を見つけて怪訝な顔に変わった。


「む……」


 ハーブ園にウシがいる。

 背後からそろりそろりと近付いて様子を見ると、どうやら以前に植えたレモンバーベナの前でじっと「待て」をしているようだった。いつもなら無遠慮にムシャムシャかぶりついているところを、先日のラヴェンナの言葉を聞いて思い留まっているようにも窺える。


(……)

(この子、普段は色々好き放題やってるように見えるけど、本当にダメそうなことはしないのよねぇ)


 何とも言えない表情になったラヴェンナは、その頭を優しく撫でる。

 ところで、ハーブは肥料の甲斐もあってモッサリと茂っていた。これならカップケーキ作りに使ってもかなりの“おつり”が出る……早速ラヴェンナは台所からボウルを持って行ってハーブを収穫。余ったレモンバーベナから数本を差し出すと、ウシは待ってましたとばかりにモグモグと食べ始めた。


「うーん……まあいいわ」


 それから今度は台所から木桶を持ってきて乳搾りを始める。人差し指から握るように力を込めると、白い生乳が底へ向かってピューっと噴き出していった。


 濃くなりつつある青空へ、ウシの心地良さそうな鳴き声がモ~ッと遠く響く。


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