深夜。夢の中で暗い洞窟を歩いていたラヴェンナは、暗がりから見覚えのある後ろ姿が浮き出るのを目の当たりにした。白のローブに白い三角帽子を被った影は……見るからにロクサーヌのものだ。
ただ、なんだか普段と様子が違っている。
彼女はラヴェンナに背中を向けたままお尻を左右に振り続けており……それでいて、少しずつ近付いてきているのだった。
『え……?』
奇妙な踊りを前に困惑していると、暗がりから更に知り合いの姿が現れた。
修道服を身につけたアイリスと、鎧を纏ったカトリーナ、終いにはなんとセレスティアまで……彼女たちは黒魔女を取り囲むように広がると、お尻を振りながら迫るという理解の及ばない侵略行為を始める。
『ちょ、ちょっと、待って、なんなのよこれは……!』
どぅんどぅんどぅんどぅん……何故か逃げることができなかったラヴェンナは四人に囲まれると、各方向から徐々に徐々に追い詰められていって……
「――!」
目が覚めた。
まだ外は真夜中に包まれているが、窓から差し込む薄暗い月の光がラヴェンナに視界をもたらしていた。ベッドに転がったままの魔女は大きく溜め息をつき、寝返りを打ってから二度寝を試みようとする。
しかし先程の夢の内容があまりに衝撃的で……今眠ったらあの続きを見てしまうのではないかという懸念が首をもたげると、結局安眠に辿り着けなかった。
「うう、何て夢なのよ……」
背中が寝汗で妙に湿っている。それもあってか寝転がっていることすら叶わず、仕方なしに身体を起こして足を床へ置いた。すると――
ぎゅう……
ラヴェンナのお腹が物足りないと主張し始める。
「……」
暗闇の中でしばらく思い悩むも、このままでは眠れないのは必至だった。まずは何か腹に入れよう――ラヴェンナはふらふらと立ち上がり、明かりにするためのランプを半ば手探りで探し始める。途中で棚に頭をぶつけて変な声が出た。
◆ ◆ ◆
「むぅ……」
ランプを片手に、部屋の隅に備え付けられていた厨房で屈んで何か食べられる物を探す。棚を覗いてみれば、幸いにもパンが数きれ余っていた。
あとは卵かベーコンでもあればなんとかなりそうだが、折の悪いことにどちらも切れてしまっている。もし昼間ならロクサーヌに話せば事情を分かってくれるだろうが、まさか、こんな真夜中に彼女を起こす訳にもいかなかった。
(何か……何か他にないかしら)
諦め悪く探すと隅の方から古いニンニクの欠片が出てきた。もう少し探そうかラヴェンナはしばらく考えていたものの、いよいよお腹が鳴り始めたからこの辺りで妥協することに決める。
空腹で頭もあまり動かない上に余裕も残っていなかった。
油や調味料の類いはある。今日の夜食はこれらで何とかするしかない。
(ベーコンは今度買っておかないといけないわね)
(まあ、ない物のことを考えても仕方ないわ。さて……)
パン、ニンニク、オリーブオイルに塩胡椒。そして乾燥させた刻み唐辛子。肉があればという気持ちをぐっと堪え、ラヴェンナは
フライパンを置き、オリーブオイルを垂らして傾けた。余った手でニンニクの欠片を浮かせた後、魔法の力を使い、空中で「握り潰して」からオイルに浸す。家の中にガーリックのかぐわしい香りが漂い始める……
(この時間、暇ね……)
油にニンニクの風味が移るまでの間、口を開けてぼんやりと立ち続ける。
まだ頭には夢の欠片がこびりついていた。何か別のことを考えなければ。
(これを食べたらもう一回寝て、起きたら街でアリアの様子を見て……)
(うーん、やることが多いわ。なんでなのよ)
(何もすることがないよりはずっとマシだけど……うん?)
ランプの明かりでフライパンの中を照らして覗き込む。ニンニクが程よく色づいてきていた。
刻み唐辛子を少しばかり加えてオイルに辛みを乗せていく。そこに水溶きの小麦粉を流して塩胡椒で混ぜれば、即席のペペロンチーノソースの完成だ。
本当ならばここにパスタでもあれば良いが、残念なことに今はパンしかない。しかし……なかなか悪くもなさそうだ。ラヴェンナは丁度良い厚みにスライスしたパンをソースの上にぺたりと貼り付ける。あとはこのまま焼きながらソースを幾らか吸わせようという算段だ。
(昔はもっと、手の込んだ物を作って食べていた気がしたのだけど)
(何というか……年を取るって、こういうことよね)
(ああもういや、嫌なことばっかり。これも全部変な夢を見たせいよ……)
パンをひっくり返して反対側にも同じようにする。既に表面はカリカリに仕上がっていた。焦げ具合も良さそうで期待が持てる。ラヴェンナは今すぐにでもかぶりつきたい衝動を抑えながらもう片方も丁寧に焼いていった。
やがて、フライパンからカサカサと音がするようになったところでお皿に引き上げ、残っていた具材を乗せて乾燥パセリの粉末を振りかければ……ラヴェンナ特製「面倒くさい夜のガーリックトースト」が完成する。
「ふふ……じゃあ早速一口」
口を開いて歯を立ててみる。しゃくり、と小気味よい音と共に口の中でニンニクと唐辛子の風味が広がっていった。塩辛さもいい感じで、最後に上へ乗せた具材が持っているとろみのお陰で過度にパサつくこともない。この瞬間ばかりは、自分こそが世界で一番のシェフではないかと自画自賛してしまう。
ご満悦な様子でテーブルにつき、ランプの明かりの中で食事を続ける。
ふと、棚の上に居るぬいぐるみ「ミノタウロスくん」と視線が合ったような気がした。ちょっと自慢するようにガーリックトーストを掲げてニヤリと笑う。
「うーん、実に良く出来てるわ。ロクサーヌに食べさせてあげたかったけど、こんな夜だし仕方ないわね。あむっ……とても美味しいわ、シェフを呼んで!」
そう言った後にラヴェンナはすっと立ち上がると、先程彼女が座っていた椅子の方へ向かって立ち直してから恭しく頭を下げる。
「本日はこのような夜更けにありがとうございます。こちらの料理に携わりました、シェフのラヴェンナ・フェイドリームです」
そして、今度はクルリと回ってから椅子に座り直し――
「こほん……ラヴェンナ、この料理はとても美味しかったわ。なんというか、その……そう、この大陸にあるレストランで一番! これに名前はあるの?」
再び立ち上がるラヴェンナ。
誰もいない夜であることを良いことに彼女の一人芝居が繰り広げられた。
「こちらの料理は今夜のために拵えたもので、名前はございませんが……そうですね、『魔女の気まぐれ病みつきトースト ぺぺロン風』でしょうか」
しかも、料理名がちょっとカッコイイものに変わっている。
「まあ。なんて素敵な名前。今すぐにでもこの料理を全土へ広めたいわね」
「勿体なきお言葉。今後もより貴女を満足させられるよう精進いたします」
「期待しているわ! 下がって良いわよ、シェフ!」
「はっ……」
魔女小屋は静かになる……椅子に座り直したラヴェンナは空になった皿を見た後に天井を仰ぎ、「何をやってるのかしら……」と小さく零した。
そうして、まるで何事もなかったかのように腰を上げて、棚にあった「ミノタウロスくん」と魔女文学「私の魔女様が離してくれない」第2巻を手に取る。
ラヴェンナはそれからしばらくの時間を読書で過ごした。ランプでぼんやりと明るい中で腿の上にミノタウロスくんを座らせながら小説を読んでいると、半分ほど読み進めたところで欠伸が出てくる。
「ふああぁ……」
思考が丁度良い感じにぼやけてきた……本を元の棚に戻してから明かりを落とし、せっかくだからとぬいぐるみを抱いて眠りにつく。
まだ朝までは時間がある。これなら今晩は満足に眠れそうだ……
……夢の中で。
ラヴェンナは腰に手を当てながらお尻を左右に振っていた。足元ではミノタウロスくんも同じ動きをしている。そして、ロクサーヌ、アイリス、カトリーナ、セレスティアの四人も並び、五人と一匹であの奇妙な踊りを繰り広げていた。
『うわああああ!!!』
遠くからアレン少年の悲鳴が聞こえる。
ラヴェンナたちはお尻を振りながら、彼の下へジリジリと近付いていった……