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第21話「お風呂の日」

 修道院からポーションの制作依頼があった。納品は明日までだ。ラヴェンナは必要な物を魔女釜へ放り込むと火を熾してから長いへらを使って、グルグルと全身で回すようにかき混ぜる。

 いかにも魔女らしいことをしていると、ふとローブと背中の隙間にむずむずとした感覚が襲いかかってきた。


「む……」


 背中に手を伸ばし、ローブの上から指先を押しつけるようにして擦る。

 ひとまず痒みは収まった。そのまま調薬作業を続けるが……


「むむ……」


 今度は後頭部の辺りにピリッとした感覚が走る。

 面倒くさいが気になって仕方ないので、また手を伸ばして指先で擦る。


「……」


 攪拌作業を終えて火を止める。それから、修道院へ運ぶ為に専用のポーション瓶へ流し込む作業を続けていたが……半分が終わったところで、肩と頭の両方がむずむずと気になり始める。

 苛立ちの声を漏らしながらラヴェンナは両手でカリカリ。

 すると今度は背中だ! そして腰にも、お尻にも、腿の裏にも――


「ぬがーーーーっ!」


 こんなの作業どころではない! ラヴェンナはたまらず家を飛び出すと、肩をいからせながら蔵へ大股で向かっていった!




 ……そして、集落共用の台車に「浴槽」を乗せて庭まで戻ってきた。


 白い焼き物でできたそれは一人なら悠々できるほどに広く、備え付けの魔石を用いることで水を丁度良い温かさに仕上げられる機能もある。井戸から汲み上げた綺麗な地下水を満たし、湯が出来上がるまでの間に周りへ仕切り板を立てる。

 庭に突然組まれつつある臨時の浴室。並べられた木の板が壁の様相を呈していく中、その様子に気付いた隣人のロクサーヌが顔を出しに来た。


「ラヴェンナ様、もしかしてお風呂ですか?」

「ええ。貴女も入る?」

「では後で浸からせてもらいましょう。そう言えば――」


 ロクサーヌは何かを思い出した様子で自宅へ帰る。

 そして戻ってきて……彼女は両手で一匹の「アヒル」を持っていた。


「うん? 何よそれ」

「カタログで注文した物です。先日セレスティア様が来た時に受け取りまして」

「アヒル……のおもちゃ?」


 鮮やかな黄色のまんまるボディ。くりくりとしたお目目が何とも愛らしい。

 壁を立て終わったラヴェンナが興味深そうに見ている前で、ロクサーヌはそのお尻の辺りにつけられていたつまみを回し始める。どうやら中にゼンマイ仕掛けが組み込まれているようだ。

 力を溜めたおもちゃを水面に置き、そっと離してみると――


 ピチャピチャピチャピチャピチャ……

 アヒルは水を跳ねさせながら健気に泳ぎ始める。とってもキュート!


「まあっ……」

「素敵だと思いませんか?」

「ええ。なかなか良い買い物をしたじゃないの」

「本当は子供のおもちゃらしいのですが、どうも以前から気になってたんです。それでセレスティア様に持ってきてもらったら、とても可愛らしくて……」


 ロクサーヌは珍しくニコニコと満面の笑みである。

 ラヴェンナも、ピチャピチャ泳ぐアヒルの雄姿を前に口元を緩ませていて……やがて、二人は顔を見合わせてから「んふふふふふ」と笑ってしまっていた。



 ◆ ◆ ◆



 人肌よりもやや熱めに張ったお湯にはラベンダーの花が浮き、リラックス作用ともたらすと共に薄紫色の落ち着いた色合いを浴槽へ与えている。

 そこで、全身を浸からせていたラヴェンナが長い脚をゆっくり伸ばしていた。

 魔女は連日の疲労を溶かすように深く寄りかかると、フチに両腕を掛けながら口を開けて目を閉じる。


「あぁ~」


 身体を動かせば水面が揺らぎ、それに伴って浮いた花々と黄色いアヒルが波打って動く。やがて、懸命な遊泳隊長は流れに乗ってラヴェンナの胸元までやって来るとそのままタッチダウンを決めてひとときの冒険を終えた。

 辺りに湯気が立ち込める中、ラヴェンナの肢体が湯を破る度に、細く長い手足から薄紫色を宿した滴がしたたり落ちる。濡れた肌は日の光に艶めき、至福の時がもたらす心地よさは唇の隙間から漏れる溜め息に混ざって溶けた。


「はぁぁぁ……」


 胸元に留まっていたアヒルのおもちゃを手に取り、ゼンマイを回して離す。

 ピチャピチャピチャ……ラベンダー色の小さな海原を探検する可愛らしい姿に目を細めていると、リラックスしてきたためか、徐々に頭がぼんやりして……


(こういう時間も、悪くないわねぇ……)


 ……次に気が付いた時は、ロクサーヌがまさに入ろうとしていたタイミング。どうやらしばらくの間を湯船で過ごしてしまったようだ。


「ラヴェンナ様、眠っておられますよ」

「んん……寝てないわよ」

「ご一緒しても宜しいですか?」

「ええ、勿論」

「では」


 ちゃぷん。ロクサーヌの雪のように白い脚が湯船へ差し込まれた。

 魔女二人が入ったことで水位は上がり、花もアヒルもゆらゆら揺れる。彼女は入って早々にアヒルのおもちゃを手に取るとゼンマイを巻いて泳がせた。普段の冷静で済ました表情と違い、自然体の笑みが零れているように見える。


「良い時間ですね……」

「風呂に入っている間は、面倒なことは何も見なくて済むわ」


 肩と首のあたりを擦りながらラヴェンナがぼやく。


「最近はお疲れですか?」

「そろそろお祭りが近いじゃない。実は、そのことも考えててね」

「毎年何か作られているようですが……」

「ええ、今年のものは決まったわ。だけど材料が足りないから、今度街に出て行かないといけないかしらねぇ」


 泳いでいたアヒルのおもちゃがラヴェンナの元へ辿り着いた。くるりと回して方向転換させてあげると今度はロクサーヌのところへ往復し始める。


「いいですね、ラベンダーの香り。落ち着きます」

「正直、カモミールにするか最後まで迷ったわ。お肌のこともあるし」

「ラヴェンナ様でしたらそこまで気にされなくても」

「ロクサーヌは白くてツルツルじゃないの。雪国育ちが羨ましいわ」

「もう、これでも最近は外作業で焼けたのですよ」

「どのへんよ」

「このあたりとか」


 人差し指を立てて首周りを指さすロクサーヌ。ラヴェンナは目を細めてまじまじと見つめるが……よく分からない。


「真っ白じゃないの」

「ええー、焼けてますって。ちゃんと見てくださいよ」

「むう、なんだか嫌味に聞こえてきたわ」

「でもラヴェンナ様はもう少し外に出た方がいいですね」

「うるさいわねーっ」



 ◆ ◆ ◆



 物干しには二人の魔女が着ていたローブがぶら下がり、穏やかな日差しと風を受けながらゆらゆら干されている。湯船に一人残ったロクサーヌはアヒルのおもちゃを片手にニコニコ笑顔を浮かべ、ゼンマイを巻いてはその泳ぐ姿を前に和みの時間を送っていた。


 一足先に上がっていたラヴェンナは髪の毛にタオルを巻くと、新しいローブを纏ってから残った仕事を鼻歌交じりで片付ける。

 それからロッキングチェアへ腰掛け、前後に揺れるリズムへ身を任せていた。丁度湯冷めのタイミングも手伝い、甘美なまどろみの中で満足そうに微笑む。


 にゃー。


 そこへ黒猫がやって来て、ラヴェンナの膝の上へぴょこんと飛び乗った。

 黒魔女の太腿が普段より温まっていると感じたのか、猫は身体を丸くしてから目を閉じて安らぎの時間を得ようとする。家主も今は全てが気にならないのか、極めて寛大な様子で一緒に椅子で揺られていた。


(うん……うん……)


 窓の外から小鳥たちのさえずりが聞こえる。日の光もまだ高いところにある。今日のウィンデルは平和そのもの。文句のない、実に素晴らしい一日だ。


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