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第20話「ダイスロール!」

 朝ご飯を食べた後の時間だと言うのに、その日のラヴェンナはどうにも眠くて仕方なかったようだ。することもない彼女は魔女小屋で机に伏し、心地よい陽が差す中で口を開けたままスヤスヤ眠っている。

 するとそこへ。

 窓の外に金色の髪がちらりと見えた。下からこっそり覗いていた女性は魔女の無防備な姿を見るや、ぴょいとどこかへ駆けだしていって――


「ラ ヴ ェ ン ナ ~ !」


 ――魔女小屋の扉を蹴り開けながら、ウッキウキの笑顔で乗り込んできた!

 驚いたのは家主だ。一瞬で跳ね起きた彼女は次に侵入者を前に椅子ごとひっくり返り、いつかの朝のようになんとも無様な姿勢で転がされる羽目となる。


「おはよ~! ちゃんと目、覚めた?」

「っ、ぐぅ……ああ、もういきなり何よ! ノックの一つくらいしなさい!」


 ラヴェンナは四つん這いになってから椅子を戻し、それを支えにフラフラと立ち上がってから無法者――女商人セレスティアの姿を睨む。

 今日の彼女は両手でやっと持てる程の横幅が広い箱を持ってきていた。表には「冒険者成り上がりゲーム」と書かれている。すごろくの類いだろうか。


「今度新しくこのおもちゃが出るんだけど、一緒にやってみましょう? 本当は商工会の人たちとできれば良かったけど、何故かみんな私に気を遣っちゃって」

「あのねぇ。私もそんなに暇じゃないんだけど」

「寝てたのに?」


 あわれ、これにはぐうの音も出ない。


「……」

「とっても気持ちよさそうな顔で寝てたのに?」

「むむむむむ……」


 ラヴェンナが口を結んだまま唸っていると、セレスティアは逆に納得した様子でクルリと背中を向けてみせた。金髪がふわりと舞って香水の匂いを散らせる。


「じゃあいいわよ、ロクサーヌと二人で遊んでくる。無理を言っちゃって悪かったわね。庭のテーブル借りてるから」


 訪問者が去り、魔女小屋にまた平穏な時が訪れた。ラヴェンナは未だ痛む身体をさすりながらもうひと眠りでもしようか考えていたが……。


『見て! この財宝カードっていうのを集めていくの! ゴールした後はこれを金貨と交換できるのよ!』

『この金貨のトークンもよく出来ていますね! 誰でもお金持ち気分になれる素晴らしいゲームだと思います。子供なら尚更こういうものが好きでしょう』

『でしょ~! みんなでやったら楽しいと思ったの~!』

『ええ、人数が増えればもっと面白くなりそうですね!』


 外から聞こえる楽しそうな声。ラヴェンナのこめかみがピクピクと動く。

 やがて、彼女は観念したように溜め息をつくと、腰の辺りを手でさすりながら三人目を待つ連中のところへゆっくり歩いて行った。



 ◆ ◆ ◆



「素直じゃないのねぇ、ラヴェンナったら」

「うるさい」

「それで、ルールは何だったでしょうか」

「ダイスを振って、その数だけ駒を進めて、マスの指示に従う……」


 ガーデンテーブルを囲むように椅子を三つ並べて、ラヴェンナ、ロクサーヌ、セレスティアと座る。三人の真ん中にはすごろくのフィールドが広げられ、スタート地点にはそれぞれの色を模した駒――黒、白、黄色の木片が集っていた。


 ルールは簡単だ。全員がゴールした後、手持ちの金貨が最も多い人物が勝利者となる。道中のマスでは様々な出来事が待ち受けており、最後に金貨と変換できる「財宝カード」を手に入れたり、商人マスで金貨と交換できる「道具カード」を使ったりして、時にはダイスの目に翻弄されながらも有利な状況をプレイヤー自らの手で引き寄せていくのだ。

 まずは順番を決めるために一人ずつダイスロール。大きな数字を出した順に、ラヴェンナ、ロクサーヌ、セレスティアと決まった。


「じゃあ振るわよ。それっ……」


 ダイスを転がす。出た目は4だ。駒の止まったマスには「川辺で綺麗な色の石を拾う」と書かれ、このイベントによってラヴェンナは「不思議な石」カードを手に入れることができた。価値がそこまで高いわけでも無さそうだが、ゲーム最序盤にしてはまずまずの滑り出しだ。

 次いでロクサーヌの番になり、出目は3が出た。「商人マス」に止まった彼女は別にあるリストを見ながら考えると、手持ちの金貨を幾分か使って道具カード「職人ツルハシ」を手に入れる。


「じゃあ次は私の番ね。ダイスロール!」


 セレスティアは5を出した。駒の止まった先は「意地悪マス」。どうやら他のプレイヤーに対して、リストに書かれたアクションを取って妨害することができるようだ。一覧を覗くラヴェンナが今後の計画を練っていると――


 わしりっ。

 女商人の獰猛な片手が、黒魔女の胸をローブの上から鷲掴みにしていた!


「――!?」


 不意を突かれたラヴェンナが驚愕に目を見開く。

 念願のたわわに触れることができたセレスティアは歯を見せながら口角を上げて笑い、大魔女に負けず劣らずの眼力で睨み返す。そのまま服の上から数回モミモミ手を動かした後、ゆっくりと戻って何事もなかったように振る舞い始めた。


「あら、何をぼうっとしているの? ラヴェンナの番よ」

「……ふん、まあ好きにすると良いわ」


 子供じみた悪戯に動じることなくラヴェンナはダイスを振る。3が出た。駒は収入マスに止まり、今後の軍資金となる数枚の金貨を貰うことができた。


「うーん、何とも言えないわね」

「では次は私の番ですね」


 まだゲームは始まったばかりだ。ロクサーヌがダイスを振ると2が出て、先程セレスティアが止まっていた意地悪マスに駒を進める。

 妨害行為をまとめたリストを見れば、他のプレイヤーにダイスの目勝負を持ちかけて金貨を分捕ったり、一部の道具カードを使うことで一回休みにできたりするらしい。今後に備えて商人マスの交換リストも覗いていると――


 わしり。

 ロクサーヌの雪のように白い手が、ラヴェンナの胸に皺をつけて食い込んだ。


「――!?」


 二度目の不意を突かれた黒魔女が再度驚愕に目を見開く。

 視線の先、白魔女は僅かに眉を下げながらも赤い瞳を確かに滾らせ、その口の端をニッと上げて不敵に笑っていた。してやったり、の表情を浮かべていた彼女はゆっくりと手を引っ込めると、やがて何事もなかったように平然とした振る舞いへ戻る。


「……なるほどね」


 ラヴェンナは天を仰いだ。

 透き通るような青空で、綿のように可愛らしい雲がフワフワ浮いている。


「完全に理解したわ」



 ◆ ◆ ◆



 いい歳こいた大人の女性たちによる、情け容赦なくしょうもない争いが幕を開けた。「冒険者成り上がりゲーム」のルールに従いダイスを転がして駒を進め、徐々にゴールへと近付いていく彼女たちだが……誰か一人でも「意地悪マス」に止まった瞬間に場の空気がひりつくのだった。


 黒い駒が意地悪マスの上に乗っている。

 ラヴェンナは手元の道具カードに視線を落としたまま、小さな声で呟く。


「ねえ、セレスティア」

「……何かしら?」

早夏祭サマーグリーティングの準備はどう?」


 僅かばかりの沈黙が生まれる。

 その間、やわらかな風が草花を揺らす音だけが微かに聞こえていた。


「勿論順調よ。みんなが頑張って進めてくれているわ」

「いつも思うのだけど、毎回ここに来て大丈夫なの? 会長でしょう?」

「お仕事はちゃんとしてるわよ。計画書に目を通したり、サインしたり――」

「あっ、ドラゴン」

「へっ?」


 会話の途中でラヴェンナが空を指さした。セレスティアはいつもと同じ空気で彼女の示した方へ視線を向けるが――今は、そんな伝説的存在よりも大切なことがあるのに気付いてハッとする。

 しかし遅かった。

 セレスティアが腋を締めて防御しようとした直前、黒魔女の手がずいと迫って彼女の膨らんだ胸をドレス越しに捕らえる! たまらず悲鳴が上がった!


「いやーーーーっ!」

「次、ロクサーヌよ」

「はい、それでは」


 ……また何巡かしてラヴェンナの手番が回ってくる。

 ラヴェンナは出た目にしたがって黒い駒を動かし……意地悪マスよりも一つ先のマスでそれを止める。ヒリついていた場の空気が一瞬和らいだ。だが、無防備になっていたロクサーヌの隙を突くように魔女の手が襲いかかる!


「なあっ――――ラヴェンナ様、まさか!」

「ふふ……」


 不敵に笑う黒魔女。

 手元で開いていたのは「道具カード:穴の空いた麻袋」。一つか二つ前のマスに戻ることができる奇襲性の高いカードだ! ラヴェンナは駒を一つ前の「意地悪マス」に戻しながら、手指の感覚を楽しむと共にしてやったりの顔となる。


 ここにいるのは、かつて「幻想の大魔女」として名を馳せた伝説の魔女。例え初めてのゲームだろうと、彼女が“何もできないままやられっぱなし”なんてことはないのだ……


「さあ、まだまだ後半戦よ。折角のゲームですもの、最後まで楽しみましょう?」


 ロクサーヌとセレスティアの目がギラリと光った。

 お互いに傷をつけ合った彼女たちの戦いは、より苛烈なものへと変わる――


「良いでしょう。ラヴェンナ様でも、セレスティア様でも、容赦しませんよ」

「うふふふふ、それなら、私も精一杯楽しませて頂きますわ……」


 ダイスロール!

 三人の駒は、時には道具カード、時にはこっそり駒を動かすズルを交えながらありとあらゆる術で意地悪マスへ誘導されていく。その度に彼女たちは心理戦を繰り広げ、相手を騙したり条件をつけたりして駆け引きが行われた。


「ほらほらラヴェンナ様、肩が凝ってはいませんか」

「いやいやいやいや良いわよ別にそんなことしなくても」

「あーもうこんなに硬くなって、これはほぐしてあげないといけませんね」

「そう言って本当は別のことを考えてるんでしょ」

「いえそんな、ほら、この辺をグリグリしたら」

「おおぉ……ああ、結構効くかも……」

「それ」

「アアーッ」


 策もナシに無理矢理掴みかかったり、相手の攻撃を避けるために身体をねじったり、クルクル回ったり、逆さになったり……もはやゲームの進行は二の次にも思える中で三人の激闘は続いていったのだった。


「さて、私の番ね。あらあら、カードがテーブルの下に落ちて……」

「むっ……」

「えーっと、どの辺りだったかしら。あっ、あったわ! そしてそれっ!」

「きゃあっ! せ、セレスティア様……!」

「うふふ、ロクサーヌのもちゃーんと頂いたわよ~。それっ、それそれ」

「あぁぁぁあぁぁ」


 ……やがて、すったもんだの末に三人の駒はゴールに到着。点数計算の時間だ。手元にかき集めた金貨のトークンと財宝カードをそれぞれ見せてスコアを競う。


 勝ったのは――ラヴェンナだ!

 激闘を制した黒魔女は高らかに両手を上げてガッツポーズ。勝利の余韻に浸っているとロクサーヌとセレスティアがほぼ同時に動き、ガラ空きになった脇からむにゅりと手を添える。

 彼女たちはもはや満身創痍。雰囲気を乱す言葉が紡がれることもなかった。


 そこへ。

 建物の陰からウシがのっそり現れる。


「……」


 ウシは、奇妙なポーズを取っていた大人の女性三名を目撃すると……ひと鳴きすらもせず、彼女たちのプライドの行く末をつぶらな瞳で眺めていたのだった。


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