朝、ラヴェンナの魔女小屋を訪れていた少年アレンは中へ入ろうとしたところを黒猫に遮られてしまっていた。
扉の前ではちょうど真ん中を塞ぐように猫がしゃんとした姿勢でお座りして、来客がどのような人物であるかを見極めようと試みている。気がついたら周りに犬やら鳥やら牛やらも集い、彼はあっという間に周囲を囲まれてしまった。
「えっ……えぇぇ」
動物たちの察しが良いのか悪いのか、アレンは行く道も帰る道も阻まれ身動きが取れなくなる。
どうにもできずに困っていると、家の中からラヴェンナが顔を出してくれた。彼女は玄関の前が動物園になっている現状に溜め息をつくと、まずは扉を塞いでいた黒猫を両手で持ち上げる。身体は炙ったチーズのように柔らかく伸びた。
◆ ◆ ◆
「ごめんなさいね、びっくりしたでしょ」
「わぁぁぁ」
家に入れられたアレンは、早速頭をわしゃわしゃ撫でられてはくすぐったさに震えていた。以前と違ってすぐに赤面するようなことはないが、それでも慣れていない待遇に動揺を隠せずアワワワと目を回していた。
魔女はそんな彼を甥っ子のように可愛がってくれる……年頃の少年にとってはどんな反応をしたら良いのかも難しいことだ。
「ら、ラヴェンナさん、さっきのは……」
「家の周りに住み着いている奴らね。きっと、アレンを一目見に来たのよ」
「ちょっと怖かったです」
「正直、あれは私も手を焼いているところはあるけど……まあ、いつか仲良くなれると思うわ。じゃあ、今日一緒にやるお仕事を説明しちゃおうかしら」
魔女から最初に差し出されたのは小さなボウルだった。そこには一枚の葉っぱが入っている。表面にはツヤが光り、真ん中は丸くぷっくらと膨らんでいた。
「家の裏にハーブを植えている場所があるわ。これと同じ種類のものを探して、ボウル一杯分集めて頂戴。大きい物が欲しいから、小さな新芽は残してね」
「わかりました。でも、何に使うんですか?」
「さあ、なんでしょうね。終わってからのお楽しみよ」
「はいっ」
少年は言われた内容を頭の中で反芻しながら家を飛び出した。魔女の命令通りに裏手へ向かってみればそこには様々なハーブが繁茂している。見本の葉っぱの形を覚え、屈んだ姿勢でようく目を凝らしながら探して……
(あったあった、これだ)
(ええと、小さな新芽は残すんだっけ)
人差し指と親指でプチリと摘まむようにして取る。ボウルの中の葉と比べれば確かに間違いないようだ。
一枚を見つけられれば二枚目、三枚目は割とすぐに分かるようになるもので、アレンはただひたすらに黙々と摘み取り続ける。やがて与えられた器はモサモサとハーブの山をたくわえていた。すると……
モ~ッ。
摘まれた葉っぱの匂いを嗅ぎつけたのか、ウシがゆっくりと近付いてアレンに物欲しそうな視線を送り始める。じっと見つめられて気圧された少年はボウルを後生大事そうに抱え、またさっきみたいに囲まれる前にと急いで中へ戻った。
「と、取ってきました!」
「あら、随分頑張ったじゃない。中身は……うん、大丈夫そうね。なかなかやるじゃないの」
「ありがとうございます……」
「じゃあ次だけど、これを使って、取ってきた葉っぱをすり潰して頂戴。十枚くらいは残しておくといいかもね」
魔女小屋の隅にあった乳鉢を受け取り、取ってきたハーブをそこへパラパラと入れる。アレンは乳棒をしっかり持ってグリグリと力を込めながら圧し始めた。ラヴェンナは暖炉の傍に屈んで赤色の液体を温めながら、世間話を振る。
「お仕事体験はどう? ちゃんと馴染めてる?」
「みんな優しくて、色々教えてくれます。大人の知り合いも増えました」
「これにしたい、って仕事はあった?」
「うーん……」
悩むアレン少年。
一日二日のお手伝いをするならどこも悪くなさそうだが、一つのお仕事に就いてしまったらもう、ずっと何年もそればっかりになってしまうのが思春期の彼にとっては悩ましいところだった。かと言ってそうじゃない仕事というのも子供だからパッとは思いつかない。
しかし、そんなことを伝えても……大人はきっと、そういう退屈に耐えながら毎日を過ごしているのだ。だからこそラヴェンナのような「魔女」にはちょっと憧れるのかもしれない。
「……今の状況が、結構好きかもしれないんです。毎日色んな所に行って、別のことをして、みたいな」
「行動力がある子ね。アレンならきっと、どこに行ってもうまくいくわ」
「そうかなぁ」
「人はね、最後は落ち着くべき所に落ち着くものなの。特に貴方はまだまだこれからなんだから、一日一日をしっかり頑張ること。一足飛ばしにしないでね」
「んー」
乳鉢の中にあったハーブがペースト状になれば、中身を新しい葉っぱと交換してからまた同じ作業をこなしていく。グリグリと擦れる音が魔女小屋に響く。
「そうだ、外で準備するものがあるから行ってくるわね。すぐに戻るから」
「はい、わかりました」
何かを作っていたラヴェンナは小鍋を暖炉から遠ざけてから立ち上がり、柔らかな香りを漂わせながら少年の横を通り過ぎて出ていった。
アレンは無意識のうちに手を止めてしまっていたが……後からそれに気付くと慌てて作業を再開する。遠くから、蔵の扉が開く音が僅かに聞こえる。
(ここに家を貰って、農作業するのも悪くなさそう)
(ラヴェンナさんや、ロクサーヌさんもいるし……)
(……)
牧歌的な雰囲気に浸っている間に、摘んできた葉っぱのほぼ全てがペースト状になった。残りの何枚かは取っておく分だ。手持ち無沙汰になったアレンは魔女が帰ってくるまでの時間、家の中をキョロキョロと見回してみる。
ぱっと見はごく普通の一軒家で、ベッドやテーブル、暖炉に本棚と生活に必要な物が揃っている。しかしその一角には大きな魔女釜や作業台、様々な素材などを保存した瓶が並んでいて、ラヴェンナが正真正銘の「魔女」であることを暗に物語っていた。
そして何よりも良い匂いが漂っていた。
鼻からすうっと入って頭がぼんやりしてしまうような、甘くて柔らかい薔薇の匂い。修道院で面倒を見てくれているアイリスとはまた違った雰囲気……魔女の道理こそ理解していないが、何か本能めいたものがそう教えてくれていた。
(ウーン……)
(ラヴェンナさんも、ロクサーヌさんも、いい匂いするよね……)
試しに色々見て回ろうと立ち上がると、棚にキラキラと光る薄い箱が置いてあるのことに気付く。バロットウィズのデッキだ。しかも最新弾! 隣にはミノタウロスを模したぬいぐるみもお座りしている。よく抱いているのだろうか、彼女の薔薇の香りが僅かに染みついていた。
なんとなく……アレンはそのぬいぐるみを抱えてみる。鼻先を擦りつければ、甘美な大人の香りが少年の少ない理性をじんわり痺れさせていった。
「ただいま。あら?」
「わわっ、おかえりなさい……」
家主が帰ってきて、アレン少年は慌ててぬいぐるみを元の場所に戻す。しかし一連の行動は全て見られてしまったようだ。魔女は興味深そうに目を丸くする。
「え、えっと、なんでもないです」
「もしかして興味あるの?」
「……ちょっとだけ。あと、良い匂いがしたから」
「ふうん」
ラヴェンナはそれ以上何も追求して来なかった。
口角が僅かに上がる一方、彼女の瞳はなんとも複雑そうな色を帯びていた。
◆ ◆ ◆
既に外では日が高いところまで昇っていた。ラヴェンナは陽の当たらない場所へ置いていた鍋を開け、中にあった、小麦を捏ねた塊を千切って並べていく。
「アレン、そこに置いてる棒を取って、生地を薄く伸ばしてくれないかしら」
「はい……でもこれは?」
「お昼ご飯よ。お腹が空いているでしょう?」
「――! はいっ!」
アレンが来る前に準備されていたそれはもっちりとよく膨らんでいる。指示の通りに薄く円形に広げ、それらを六枚用意してから盆に乗せて外へ運ぶ。
庭にはいつものガーデンテーブルがあるが、横に見慣れない物が見えた。
小さいレンガで組んだ窯だ。下部分は鉄骨で軽く作られ、その気になれば自由に持ち運びができるようにされている。既に火は熾され、中は温まっていた。
「最後の仕上げよ。ソースを塗って、好きな具を乗せて……」
つるりとした木の板を皿代わりにして、その上で先程伸ばした生地に赤いソースを塗りたくっていく。ところどころにはアレンがすり潰して作ったペーストを垂らし、ラヴェンナが後から用意してくれたベーコンやチーズもトッピング。
最後は、残していたハーブ――バジルの葉を添えてから釜の中へ。
しばらく様子を見ていると、小麦とソースの焦げた良い香りが漏れ出てきた。
「わぁ」
「覚えておいて。大人になるとね、こういうこともできるようになるのよ」
「大人ってすごい……」
「そろそろできるわね。先に食べても良いわよ、アレン」
「いいの!? じゃあ……」
満遍なく火を通したものを取り出せば、赤と緑と白の鮮やかなご馳走がテーブルに出されてアレンが目を輝かせる。ラヴェンナから許可を貰った少年はまだ熱いそれを摘まみながら三つにちぎり分け、一つをそっと口の中へ運んだ。
一口囓れば、酸味と苦みの程よく混ざったソースと濃厚な舌触りに思わず頬が緩んでしまう。口元から白いチーズの筋を伸ばしながら、アレンは言葉にならない喜びを爆発させていた。
「んふ、んふふっ……」
「今日は魔女としてのお仕事はなんにも無い日だから、これで終わり。食べたら昼寝でもしましょうか」
「うんっ!」
「あら、ラヴェンナ様にアレン様、おつかれさまです」
「ロクサーヌの分も用意してあるわ。折角だから三人で食べましょう……」
……そうして、大満足のお昼ご飯が終わった後。
ぐうたらな魔女に言われるままアレンは「お昼寝」の時間を過ごすことになる。腕枕をされた少年は、口を大きく開けながら幸せそうに眠ったのだった。