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第17話「魅惑の商品カタログ」

 もうじき春も終わると言った時期、少し気の早い日差しで、ウィンデル集落とそこに暮らす生き物たちはよく温まっている。間もなく到来する暑い季節へ順応しようとイヌやネコが外へ出るも、まだ日陰と行ったり来たりしている様子だ。畑の作物もすくすく育ち、これからの夏に向けて様々な命が準備を進めていた。


 心地よい暖気の中で目覚めたラヴェンナは、僅かに汗ばんでいた背中を拭いてから支度を済ませて表に出た。いつものガーデンテーブルを見ればロクサーヌの作った朝食が並び始めている。今日は、ほうれん草のパイと自家製ヨーグルト、シロップの入ったポット、ハーブティーと続いていた。


「おはようございます、ラヴェンナ様」

「おはよう、ロクサーヌ。暖かくなってきたわね」

「はい。早夏祭サマーグリーティングも近いでしょう、それが終わったらいよいよ夏です」

「暑くなるのは嫌ねぇ。今年もロクサーヌの世話になるわよ」

「ふふ、お任せください」


 ガーデンチェアに腰掛け、ぽかぽかとした陽気の下でパイをかじる。さっくりとした食感に程よい塩気で朝にはピッタリの料理だ。ヨーグルトも、備え付けのシロップを垂らせばラヴェンナの好みの甘さに調えてからいただける。

 集落のどこかで鶏がコケコケ鳴くのを聴きながら過ごしていると、手のひらで顔を仰いでいたロクサーヌが思いつきでこんなことを言った。


「今日のお昼にアイスクリームを作りましょうか」

「あら、私も頂いていい?」

「勿論です。では昼前にいらしてください」

「じゃあそれまでの間、蔵の整理でもやっておこうかしら……」

「そう言えば近々、アレン様がいらっしゃるそうですが」

「ええ。折角来るなら、ちょっと準備しておきたいことがあって」


 美味しい食事に魔女二人の会話は弾んでいたが、僅かに汗ばむ暑気に火照った彼女たちは丁度良いところで切り上げ、各々の為すべき仕事へ戻っていった。



 ◆ ◆ ◆



 ラヴェンナがしばらく使っていなかった道具の手入れに勤しんでいると、日はいつの間にか高く昇って昼前頃を示していた。

 額にじわりと汗を覚えながら蔵を出た後、屋内に吊していた布巾を押し当てて処理。ロクサーヌの家に入ると、涼しい風とミントの香りで目が細くなった。


「どうなってる?」

「先程生乳を絞ってきたので、もう少しだけお待ちください」

「ええ。楽しみにしてるわ……」


 ロッキングチェアに腰掛けて寛ぎ始めたラヴェンナ。すると、ちょうど視線の届いた棚に発色の良い冊子が立てかけられているのを見つけた。

 丁寧な作りの背表紙には「セレスティア商工会 商品カタログ」の文字。以前も似たような本があったような気はしたが中身が新しくなったのだろう。こういうものは顧客を飽きさせない為にも時期を置きながら定期刊行されるのだ。


「ねえロクサーヌ、商工会のカタログを読んでもいい?」

「勿論です、どうぞ」

「では遠慮なく。どれどれ」


 開いてみればそこには、様々な色のインクを用いて描かれた美しい絵と商品の説明文が数多く並んでいた。それは子供に読み聞かせる絵本にも似ていて、毎日使うようなものから「あったらいいな」のアイデアグッズ、更には好奇心を刺激するような異国の品々まで広く揃えられている。

 海の向こうからやって来た香辛料に高級な紅茶、綺麗なガラス作りの食器に、瓶に入った各種様々の珍味。受け手の想像を膨らませるような精巧なイラストがまた見事だ。どれもラヴェンナの興味を引くには十分である。


(む……)


 鯨肉の煮付けの缶詰:柔らかくて甘みに満ちた逸品。5缶で銀貨10枚。

 選べる8種のチーズ:ワインのアテはこれで決まり。1セット銀貨6枚。

 厳選ブレンド蜂蜜:他にないリッチな香りと舌触り。1個あたり銀貨3枚。


(むむ……)


 パンとベーコンの定期宅配サービス:※一部地域では追加料金がかかります

 銀製の蝋燭立て:百年以上前のアイテム。数量限定につきなくなり次第終了。

 希少な星の砂を使ったランタン:光を蓄えて夜に光る。1個あたり金貨2枚。


(ふうん……)

「ラヴェンナ様、できましたよ」


 カタログを見ながら物思いに耽っている間にアイスクリームが完成していた。ロクサーヌが差し出したカップには丸く綺麗なバニラアイスが乗せられ、頂上に小さなミントの葉が添えられている。横にチョコレート色のシガレットクッキーが刺さってなんとも本格的だ。

 本を閉じたラヴェンナは一緒にアイスを堪能し始めるが……二人の話題は自然とあの商品カタログになっていく。


「何か良さそうなものはありましたか?」

「そうね、この辺りじゃ手に入らない缶詰とかがいいかしら」

「あれを読むと、セレスティア様が良い仕事をされているのが分かります」

「あの女、こんなところで油を売る暇なんて無いでしょうに……」


 商品カタログに記載されている物品はどれも一級品ばかりが揃えられている。謳い文句は「セレスティアのお墨付き」で、彼女がウィンデルに持ってくる例の荷馬車と同じこだわりが各所に見られていた。

 しかし商品の種類がいくつもある……全部確認しようものならアイスが溶けてしまうだろう。これら品々の価値を担保する大商人の仕事姿を想像したら、貴族よろしく団扇を口元に当てて「おーっほっほっほ」なんて笑う姿が浮かんだ。


「でも私はやっぱり、自分の目で見てから買うかどうかを決めたいわね。買った後から“思ったのと違った”なんて気持ちにはなりたくないもの」

「その中にセレスティア様への私怨は?」

「あるにはあるわ。こんのくらい」

「ふふふふ。でも、あの人の仕事は確かでしょう」

「それは分かってるわよ。分かってるからこそ突っ込めるところがないと言うか……ロクサーヌは前からカタログをよく使っていたのよね?」

「はい、昔からお世話になっていました。ご存じの通り私の故郷は雪と氷の世界でしたので、自給自足が大変厳しく……」


 以前から、ロクサーヌが雪国出身であることはラヴェンナもよく聞いていた。大きな都市から遠く離れた場所に作られた“氷撃の魔女”の城は度胸ある人間でもなかなか近付けない秘境。その過酷さでウィンデル集落は比較にもならない。


「あんなところまで届けてくれた人がいたのね」

「流石に私の家までは酷だと思ったので、近くの村に置いてもらっていました。時には皆からの注文を代わりに頼むこともありましたね。届くまでは何日もかかったので、一回の量もなかなかのものでしたよ」

「私の居たところも結構な田舎だったけど……ってあれ、話を聞くに、カタログってあの頃からあったの?」


 ラヴェンナは目を丸くしながら愕然とする。

 少なくとも、彼女がこれの存在を知ったのはウィンデルに越してからだ。


「持っていなかったのですか?」

「なかったわ……ううっ、もう少し早くそれに気付ければ、もっと楽な暮らしを送れていたでしょうに」

「ああ……ご愁傷様です」


 過ぎ去った遠い日の苦労を想いながらスプーンをかつかつ動かし、残っていたアイスクリームを平らげた。そう、全ては終わったことだ……と言い聞かせて。


「ところでラヴェンナ様は頼みたい物ありますか? もしよろしければですが、私が注文するのに合わせて一緒に話をしておきますよ」

「うーん、今のところはあの女の訪問販売だけで足りてるのよねぇ」

「これの後ろの方に……ほら、見てください。魔女に向けたアイテムも扱いが」

「うん? なになに……」


 ローブ:部屋着から外出まで幅広く活躍。形から入りたい貴女にも。

 魔女の香炉:選べるステキなデザイン。詰め替え用の砂も一袋付属。

 例の箒:絵本でよく見るアレを忠実に再現。実は、なんと掃除にも使える。


「随分とカジュアルな扱いね」

「魔女は勿論ですが、そうでない女性にも人気があるみたいですよ」

「へぇ。見てみれば、手に入りにくい魔物の素材もちらほらと……」


 たまにはこんな買い物も悪くはないかもしれない――

 ラヴェンナが心の財布の紐を緩め始める中、ロクサーヌはページをパラパラと捲って色々なものを見せてくる。そうして女性用下着の紹介ページに差し掛かったところで二人は怪訝な顔を浮かべた。


「ん?」

「……?」


 視線の先には「魔法の下着でアノ男性もイチコロ!」という文言。

 二人の考えていることは同じだ。明らかにここだけ時代が違う気がする……


「“イチコロ”って、かなり久しぶりに聞いた気がするわ。いつの言葉よ?」

「んん……服と音楽の流行りは一周すると聞きます。もしかしたら言葉も」

「ふうん。長く生きていると、こういうこともあるのね」

「ですね……」


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