とてもよく晴れた朝。ラヴェンナが家の中でマナ活力剤を精製していると、ドアをノックしてくる音が聞こえてきた。妙に音の位置が低いことから当たりを付けて返事をしたら、僅かに開いた隙間からアレンが顔を覗かせる。
「おはよう、ございます……」
「おはよう、アレン。今日も手伝いに来たのね」
「はい。これから、ロクサーヌさんのところに」
「私も後でこれを届けに行くわ。頑張ってね。期待しているわよ」
「……はい!」
元気よく返事した少年はドアをしっかり閉め直してお隣さんへ走って行った。
ラヴェンナはその純粋さを思い出しながら釜の中をかき混ぜ続け、やがて満足いったところで火を止める。悪くない出来だった。あとはこれをいつもと同じように瓶に入れて運ぶだけだったが……
「ラヴェンナ様!」
いつもと違う様子でロクサーヌが飛び込んできた。
目を大きく開いて口がわなわなと震えている。こんな姿は滅多に見ない。
「どうしたのよ、そんな顔して」
「あ、ああ、アレン様が……」
「何ですって?」
「とにかく来てください!」
言われるがままラヴェンナが様子を見に行ってみれば……
「あーっ! あーっ!」
「やーん、この子、とってもかーわいぃー♪」
ロクサーヌの庭の一角から現れた赤い花弁、その真ん中から緑肌の妖艶な女性の上半身が見事に“咲いて”太陽の光を受けていた。下半身からは何本かツタが伸び、その一つが哀れな少年の胴体に巻き付いて彼を持ち上げていた。
足元では水の入ったじょうろが横倒しにされている。両手でツタを解こうと空中で懸命に足をバタバタさせるも、残念ながら力が足りない。
「あーーーーっ! 魔女様、魔女様ぁぁぁぁ!」
「……どういうこと? どうしてこんなことに?」
「おそらくですが、以前、セレスティア様より買った球根です。きっとそれがこのアルラウネのものだったのでしょう。先日の大雨もあって……」
「えぇ……そんなことがあるの」
「ほらほら、もっとお姉さんと遊びましょう? ねーぇっ♡」
「アーッ! アーッ! やめて、つつかないで、おねーさーん!」
抵抗空しく、すっかり“おもちゃ”として弄ばれてしまっていたアレン。
このままながめているのも面白そうだと思ったラヴェンナだが、あまりにも放っておけば彼の精神が保たないと考え、謎のアルラウネに向かって手を振る。
「こーら、その辺にしておきなさい!」
「ん……? あら、この薔薇の香りは、もしかして“幻想の大魔女”様? やだっ、生きていれば何が起こるか分からないのね……!」
「ちゃんと事情は聞くから、アレンを下ろしてあげなさい……」
「あぁ……あぁぁ、ぅ」
「しょうがないわねぇ。って、まあ……」
今回の事件の犠牲者となった未来ある男子は、ツタに拘束されたまま首から上を真っ赤に、気絶寸前まで追い込まれていた。
◆ ◆ ◆
落ち着いたところで話を聞けば、このアルラウネは遙か遠くから行商によってここまでやって来たらしい。それから最後はセレスティアの訪問販売を通じてロクサーヌの庭へ植えられ、丹念な世話と前回の大雨で復活したようだ。
「私の名前はグロリア。お世話してくれてありがとう、ロクサーヌ!」
「いえ、それは構いませんが……どうしてそこまでしてこちらへ?」
「そう、それよ! 実は私には妹が居るのだけど、まだこんなに小さかった頃に、“私はもっと別の場所で咲くべきなのよ!”と言って自ら鉢植えになって、行商人と街に出て行っちゃったの。まだこんなにちっちゃかったのに!」
「こんなに?」
「こんなに!」
そう言って彼女は親指と人差し指でごく僅かな隙間を作ってみせる。
ラヴェンナは苦笑しながらも、口元に手を当ててしばらく考え込んだ。
「うーん、名前を教えてもらえるかしら」
「リリィよ。白くて、とっても綺麗なお花なの」
「……待って、もしかしてストーンヘイヴンの種苗屋?」
「私も思い出しました。ラヴェンナ様、きっとあそこの店主です」
「わーっ、よかったー! じゃあここでジッとしている暇なんてないわ、今すぐにリリィの元へ向かわないと。ふんんぬぬぬ……!」
グロリアは身体から生えていたツタを地面に押しつけ、そのまま自分の下半身を土から引き抜こうと試みる。
しかし……周りの地面がフカフカだったこともあってツタは沈み込んで、一向に抜ける気配が見られない。アルラウネの掛け声が空しく響き渡る。
「あーん、しっかり耕されてるいい土! ツタに力が入んない!」
「ロクサーヌ、掘っても大丈夫?」
「構いません。そうだ、私は街へ向かって鉢植えを買ってきます。ついでにお姉様の話も通しておきましょう」
「ふんぐぐぐぐ……! ふんーーーーっ! ぬーけーなーいー!」
「アレン、周りを掘るから手伝って!」
「はいっ……!」
ロクサーヌが箒で街へ買い物に向かっている間、ラヴェンナとアレンはグロリアを掘り出す為の農作業を担当することになった。白魔女の保管していた木の農具を用いて、万が一でも根っこに傷が入らないように丁寧に土を動かす。
「ごめんなさ~い。私たちアルラウネは“お引っ越し”がとっても苦手なの」
「でしょうね。まったく、しっかり深いところまで根っこが入ってるわ」
「あまりにも居心地が良かったからつい……んっ♡ ちょっと、そこ敏感だから、あんまりつついちゃダメよぉ……」
「わああっ、ごめんなさい!」
からかい甲斐のある子だと認知されてしまったのだろう、アレンは度々セクシーアピールを受けながら何ともやりづらそうに作業を進めていた。
しばらく周りを掘っていると、グロリアの真下にあった真っ白い根っこの部分が徐々に露わになってくる。表面のつるりとしたそれが空気に触れた瞬間、下を向いて作業していた二人へ悩ましい声が降ってきた。
「あっ……あぁぁ……」
「どうしたのよ」
「いやぁ~ん! そんなにじっくり見ちゃダメぇぇぇぇ!」
「はうっ――」
「我慢しなさい! それに、子供に変な色目を使わないの!」
そんなやりとりを交わしていると、周りの土がすべてなくなったタイミングで丁度ロクサーヌが戻ってきた。彼女が持ち帰ってきたものは、下に小さな車輪が付けられたタイプの大きな植木鉢。これなら移植後も問題なく動けるだろう。
グロリアはツタで自分の身体を持ち上げる。今度はうまくいった。
彼女は滑らかな下半身を鉢の中へ急いでしまって隠すと、近くにあった土をツタでかき入れ、普段魔女たちがよく見かけるアルラウネの姿へ変わる。
「これでもとどおり!」
「出かける前に……この手紙を持って行きなさい。貴女が無害な魔物であることの証明になると思うわ。私とロクサーヌのサインもしてあるから、見る人が見れば分かってくれるはずよ」
「うわーん、みんなありがとう……じゃあ、早速行ってくるね! 今度は妹共々、よろしくお願いします! ぶいっ!」
ご機嫌そのものとなったグロリアは身体から伸ばしたツタで地面を蹴り、車輪を転がしながら街の方へと進んでいく。おそらくもう大丈夫なはずだ。
一仕事終えた後、三人はその場で屈んで一息吐いた。
特にアレンは色々消耗した様子で、グッタリと怠そうな雰囲気だった。
「ひ、酷い目に、遭いました……」
「何とかこの場は収まりましたね。ですが――」
「ええ。後で、セレスティアの奴には一言言っておかないといけないわ」
件のアルラウネの後ろ姿は大分小さくなっていた。
今日はよく晴れている。お散歩をするにはうってつけの日だろう。