目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
第12話「大雨の日」

 落雷と共にラヴェンナは目を覚ました。

 身体を僅かに起こして窓の外を見れば、そこはざあざあ降りの大雨になっている。晴れ間の多いウィンデルではめっぽう珍しい天気模様で、恐らく朝の時間だと言うのに全体的に薄暗い。家の中も、いつもよりはジメジメしているようだ。


「ウーン……」


 このような日は、ロクサーヌと一緒にご飯を食べるなんてイベントもない。もう少しだけゴロゴロしていようかと目を閉じてまどろんでみるも、二度目の雷の音が追撃をかましてくるものだからなかなか眠れなかった。

 何度目かの挑戦に失敗した後、仕方なくベッドから渋い顔で這い出る。

 いつもの格好へ着替えて身支度している最中、髪が湿気で大変なことになっていると気付いたラヴェンナは腹の底から溜め息を吐いて化粧台につき、木のブラシを手に取って真っ黒い塊を毛先から解し始めた。


(雨? 昨日はまあまあに天気が良かったのに、いきなりね……)

(ああもう、髪がグチャグチャ。長い戦いになるわ)

(今日のご飯はどうしようかしら。家に蓄えはあったと思うけど――)


 絡み合った髪の毛と格闘しながら竈の方を向き、普段は薬品の調合などを行っている台所を確認。前に買っておいたベーコンブロックとジャガイモ、パンが目に入った。とりあえずこれで問題なさそうだ。


(何もなさすぎて、本当に暇な一日になっちゃったわ)

(街に出て気を紛らすこともできないし……)


 思い悩んでいると、結び目ができていたところにブラシが引っかかってブチッと音を立てた。小さな悲鳴が上がる。



◆ ◆ ◆



 お隣の家では、既に身支度も済ませていたロクサーヌが窓際にロッキングチェアを置き、そこで「ウィスプくん」を膝に載せながらゆらゆらと揺られている。彼女の真っ直ぐに伸びた髪はラベンダーのヘアオイルが擦り込まれ、この湿気にも負けない質感と柔軟性を保ち続けていた。

 いつものように感情の薄い表情だったが、その視線は外の風景へ――普段農作業に勤しんでいる畑へと向けられている。


「……」


 雨は長く降り続いているが、畝に植え付けられた野菜にとっては何も問題無い。それでも万が一のことが無いか、白魔女はひたすら心配している様子でじっと外を眺め続けていた。

 雨ざらしにされた野外では、屋根の付いている農具置き場が生き物たちの大人気スポットとなっていた。梁の上には小鳥たちが集っており、その下ではイヌやネコが寝そべったままぼんやりしている。雷雲はかなり遠くへ行ったようで、降り続く滴が葉っぱと家屋に当たる音が集落の各所から静かに響いていた。



◆ ◆ ◆



 ウィンデルから離れたストーンヘイヴンの街は、雨の中でも人々の交通が止まることはなかった。しかしいつも外に出ている者の多くは大人しく屋内へ引っ込んでおり、それはサン・ブライト修道院で過ごす子供たちもまた同じだ。

 晴れの日は屋外を走り回る彼らも、今は修道院内の集会場で静かに座っており、視線の集まった先ではアイリスが絵本のページをめくりながら読み聞かせを行っている。内容は、勇者が仲間と共に魔王を倒しに行く、実によくある昔話。


「魔王を倒すために旅へ出た勇者一行は、途中で、一人の魔女と出会いました……彼女はこう言います。“今のお前たちでは魔王を討ち滅ぼすことはできない。仲間と手を取り合い、未来が良くなるものだと心から信じなければ、奴は何度でも闇の底から蘇ってくるだろう"と――」


 かつての歴史と寓話的教訓が混ぜ込まれたこの物語は、修道院に預けられたことのある者たちにとっては定番の説話となっていた。

 まだ幼い少年少女たちが前のめりで聞く中、後ろで膝を折って座っていた十二歳のアレンは窓の外をぼんやり眺めている。鉛色の空の下、それでも忙しなく行き交う大人たちの姿を観察しながら、大人に成長した自分を想像して過ごす。


「魔女は続けてこのように言いました。“人間はみんな心のどこかに闇の一面を持っている。怒り、悲しみ、恐怖。魔物たちの故郷はそれなのだ”……」


 外では未だに雨が降り続き、石畳に当たった水滴が音を立てて跳ね返る。

 その上を、御者に操られた一台の馬車がカラカラと走って行く。



◆ ◆ ◆



 このような天候の日でも商工会の会長たるセレスティアに休まる時はない。馬車の中で優雅に座る彼女の向かいには恰幅の良い男性とその夫人が乗り合わせており、車内の雰囲気はゆっくりとし、それでいて厳かなものとなっていた。


「こんな日にわざわざ申し訳ありません、会長様」

「いえいえ、空模様だけはどうにもなりませんから。それに、この早夏祭サマーグリーティングは毎年、私を含め多くの民が楽しみにしております重要な催し事。わたくしの気分で遅れさせることはできませんわ」

「まこと、ありがとうございます。では早速ですが、今年の内容について……」


 石畳の上を、馬の蹄が蹴り、木の車輪が音を立てて擦っていく。

 雨音も合わさって、このような話をするには丁度よい雑音となっていた。


「……なるほど。確かに最近は魔物を象ったぬいぐるみを様々な場所で見ますね」

「縁日の場は様々な商品の宣伝も兼ねておりますが、今年はそれをメインに据えようと考えております。子供たちの受けも良く、産業としての可能性も大きい」

「セレスティア様、私も一つ購入したのですが、あれはとても素敵な物です。デザインに優れているだけでなく耐久性も高い、おもちゃの理想と言えます」


 女商人はごく僅かの時間沈黙した後、目を大きく開いて返事をした。


「話は分かりました。ですが、そのような未来を描くにはまだ早いでしょう」

「と、言いますと?」

「お二方、あそこの店主様と、実際に会われたことはありますか?」

「いえ……私が行った時も、カウンターにはカーテンの仕切りがあって」

「そうでしょう。これはご内密にして欲しいのですが、彼女は……」


 雨は降り続ける。



◆ ◆ ◆



 ストーンヘイヴン騎士団の建物内では屋内訓練が行われていた。部屋の中では鎧を纏った兵士たちが肘から先を地面へつけて体幹トレーニングに勤しみ、頭を並べるように二列を作っていた。その間を騎士団長のカトリーナがゆっくりと歩いており、胸元で「ゴブリンくん」が抱え込まれている。


 しかしそんな光景でも口を開く余裕のある兵士はいないようだ。しばらくの間は何も起こらなかったが……時間が経つうちに、一人の肩がピクピク震え出す。

 カトリーナはそれを見逃さない。

 彼の元に歩み寄ると、身体の震えが大きくなってきたところで「ゴブリンくん」による強襲が行われた。ぽむっ、と兜に載せた直後、鎧が崩れ落ちる音が響く。


「ぐはぁ……」


 脱落者、一人目。

 この訓練は最後の一人になるまで続けられる……



◆ ◆ ◆



 ……やがてそれから結構な時間が経った頃、西の空が赤く染まり始めた。

 家の中で小さな魔女帽子を作っていたラヴェンナは、光の塩梅が変わったことに気付くと作業の手を止めて顔を上げる。窓からは綺麗な夕焼けが見えていた。


(あら……)

(この分だと、明日は晴れそうね)


 作っていたハンドメイドもちょうど出来上がった。机の上に座っていた彼の――ミノタウロスくんの頭に完成した魔女帽子を載せれば良い感じだ。角の兼ね合いで斜めに被ることにはなるが、それはそれで悪くない。

 軒下に出てみれば、雨も既に殆ど止んでいる。

 ずっと中に居たラヴェンナは身体を伸ばし、凝り固まった腰と首を捻った。


「うーん……はぁぁ。さて、明日は何をしようかしら……」


 退屈な一日だったが、その終わりはなんとも言えない寂しさを与える。

 黒魔女はまだ夕食を摂っていなかった。昼間、ベーコンを焼いた際に残った油へ塩胡椒を振ってそれでパンを食べようか……そんなことでも思案しながら、家に帰ってから“夕食”の準備に勤しむ。

 なんてことはない、ごくありふれた、静かで平和なひとときだった。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?