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第11話「井戸の底」

 某日の朝。今日もウィンデル集落は平和そのもの。

 家の裏に居たラヴェンナはジョウロ片手に鼻歌を歌い、植えてあったハーブ類へ水やりをしていた。膝を折り、背中を曲げながら目立った草を抜いていると視界の外で黒い影がぴょこんと動く。

 顔を上げると黒猫が庭をグルグル回っていた。いつものことだ。


(まったく、うちの周りは何もないのに、どうしてこうも毎日来るのかしら)

(まあ、そのお陰でネズミにやられたことは無いかもしれないけど……)


 あまり気にも留めずに野良作業を済ませて中に戻ろうとした時。

 ラヴェンナは黒猫が井戸の淵に立っているのを見つけ……それが、つるりと足を滑らせて落っこちる様を目撃してしまう!


「あっ……!」


 慌てて駆け寄って下を覗き込む。

 だが、そこに広がっているのは口を開けたような漆黒。底がどうなっているのかは果たして確認できなかった。ラヴェンナは井戸に備え付けられていた滑車を回して水桶を下ろしながら、落ちていった猫に向かって声を張って呼びかける。


「大丈夫? ねえ、返事をしなさい!」


 すると、下の方から「にゃー」と返事が聞こえてくる。無事のようだ。

 引いていたロープにも手応えがあった。そのままゆっくりと桶を上げていると、しばらく経って黒猫の姿が現れてひとまずホッとした。

 だが……ネコは、その首にキラキラとしたネックレスを提げていた。


「うん? どうしたのよこれ……」


 しかし、尋ねてみたところで返ってくるのは鳴き声だけである。

 木桶の中には他にも細かな宝石などが沈んでおり、謎は深まるばかり。今まではこんなことなかったように思えるのだが……


(まさか、この真下に何かがあるのかしら)

(だとしたら一大事よ。ちょっと探ってみましょう)


 井戸の淵に両手を置き、目を閉じてマナの流れを読む。

 すると確かに、ここよりずっと深いところに大きな空洞が広がっている。通常のように、湧き水が溜まっていると考えるには不可解な反応もあった。底まで降りて調べられれば多くのことが分かるかもしれないが、この狭くて暗いジメジメした場所に入っていく程のやる気は黒魔女には無かった。


(……)

(そうね、誰かに行ってきてもらいましょうか)

(でも人間を入れるわけにはいかないわ。何か代わりになりそうな物は……)


 黒魔女は顎に手を当てながらしばらく考え込む。

 そうして――この場所の探索に丁度良さそうなものを一つ思い出した。




 家の中を漁っていたラヴェンナはクローゼットに詰め込まれていた革と布、糸を駆使して小さなリュックサックを突貫で作っていた。ちくちくと針を操る魔女の傍では、テーブルの上で「ミノタウロスくん」が座っている。

 他には、地下の様子を書き記すための羊皮紙と鉛筆、何かあった時の手当に使う布と糸とワタ……大荷物にならないよう厳選もしたアイテムをまとめて、完成した革のリュックに詰め込んで背負わせる。


 ラヴェンナは、フェルトぬいぐるみの持つつぶらな瞳と見つめ合うと、引き裂かれそうな気持ちになりながらギュッと抱きしめた。そして額に魔法を交えたキスを贈る。すると……人形の身体がぴくりと独りでに動き始めた。


「いい? これは幻想魔法よ。あなたに仮初めの命を与えたの。だけど絶対に無理しないで、戻ってきてね……」


 胸元に抱っこしたまま井戸まで連れて行き、木桶に座らせてからロープに掴まらせる。リュックを背負ったミノタウロスくんはラヴェンナの方へ振り返ると、片手を振って別れの挨拶をした。

 そうしてカラカラと滑車は回り、小さな冒険者の姿は底へと沈んでいく。魔女は旅立つ彼を見送ろうと覗き込みながら、じっと黙って眉を下げていた。



◆ ◆ ◆



 昼食の時間。いつものように二人でガーデンテーブルについて、チーズソースに付けたパンを食べていたロクサーヌは対面していた相手が手を動かしていないことに気付いていた。

 普段なら、手づかみでパンを千切ってはソースをたっぷり乗せてムシャムシャと食らっているものだが……今回の彼女は目の焦点もろくに合っていない。


「ラヴェンナ様」

「……うん? 呼んだ?」

「はい。もしかして、体調がすぐれませんか?」


 ラヴェンナはしばらく返事に悩んだ……井戸の底に“何か”があることを軽々しく言ってもいいのだろうか? 手がかりを探すべく婉曲的な質問で返す。


「ねえ、この辺りを耕した時のことは覚えてる?」

「うーん、細かい部分はもう曖昧になっていますが」

「それでもいいの。土に混じって、何か変な物とか出てこなかった?」


 きょとんとするロクサーヌ。


「いえ、特には……もしかして最近は考古学がブームで?」

「え? ああ、そんな感じかもね」

「……」

「ちょっと考えていただけよ。もしかしたらこの辺りにも昔からの遺跡が残っていたり、なんて」


 途端に早口になった黒魔女に、心配そうな表情が向けられる。


「……ごめんなさい、やっぱり疲れてるのよね。ちょっと今日は横になるわ」

「ああ、申し訳ありません、ラヴェンナ様の発言を根っから否定するような意図はありませんでした。ただ――」


 ロクサーヌは目を伏せると、やや神妙な面持ちに変わった。


「もしこの辺りで“大発見”があった場合、場合によっては引っ越しを考えなければならなくなるかもしれません。ウィンデルはなかなかに気に入ってる場所なので、ちょっと寂しい気持ちになってしまいました」

「……」


 あまりにも珍しい調子だった。

 呆気にとられたラヴェンナは、返す言葉をすぐに思いつけなかった。


 昼食後、ロクサーヌはまたいつもの調子で自分の家に戻っていったが、黒魔女の頭の中では先程の言葉がずっとグルグルと回り続けて消えてくれない。

 ベッドに倒れ込み、ゆっくり深呼吸して落ち着こうとする。だがしかし、今度はぽっかりと空いていた棚の一部がどうにも気に掛かってしまう。井戸の底では何が起きているのだろう? 様子も見られなければ直接の手助けもできない。


(あの子、大丈夫かしら……)


 目を閉じてウトウトしている間に日も傾いてくる。

 だが、眠りかけたほんの一瞬――井戸の底で彼がピンチに陥っている悪夢を見た彼女はすぐさま跳ね起き、たまらず駆け出した!


 つい深いところを覗き込んでしまうが、そこには闇が広がっているだけ。

 ラヴェンナは座り込むと、すっかり落ち着きのない自分が馬鹿らしくなって苦笑してしまっていた。まさか、たった一体の人形の安否にここまで影響されてしまうだなんて……

 正直にロクサーヌに話して辛い気持ちを分け合った方が良いのか、なんて考えていた時。井戸の滑車がカラカラと回る音を聞いて顔を上げる。


「……!」


 遙か遠い深みから、見覚えのある二本角が浮かび上がってきた。

 戻ってきた木桶の中には、あのつぶらな瞳をたたえたフェルト生地のぬいぐるみ「ミノタウロスくん」の雄姿が収まっている! 背負っていたリュックはパンパンに膨らみ、様々なモンスターの素材が詰まっていた。

 井戸のロープに掴まりながらニコニコと笑う小さな冒険者は、やっぱり全体的に薄汚れた姿になっている。それでもラヴェンナは彼を持ち上げると、ずっしり重いリュックと一緒に優しく抱きしめた。


「ああ……おかえりなさい。本当によく帰ってきてくれたわ……」



◆ ◆ ◆



 夕方、ロクサーヌは、水を溜めた桶の前で手を動かす隣人の後ろ姿を見つけた。ちゃぷちゃぷ音を立てながら洗っているのは、少しだけ汚れの残ったミノタウロスの人形。心なしか、その表情はやり切った達成感に満ちたようだった。


「ラヴェンナ様、それは?」

「なんでもないわよ。ちょっと汚れてるけど、これなら丁寧に洗えばいいわ」


 水洗いで汚れを落としてからラヴェンナが魔法の力で温かい風を当てれば、ぬいぐるみは元の質感を取り戻すのだった。


 夕食を簡単に済ませた後、一人だけになった黒魔女は井戸の底から引き上げられたお宝の数々を前に思惑に耽る。キラキラとした首飾り、装飾の凝った短剣、鳥のような生き物の頭蓋骨に、地上では見たことのない色模様の羽根……

 地下でミノタウロスくんが描いてきた地図もなかなかの範囲を示している。本腰を入れて捜査したら進展がありそうなものだが、昼に聞いたロクサーヌの言葉が思い出された。


『もしこの辺りで“大発見”があった場合、場合によっては引っ越しを考えなければならなくなるかもしれません』

『ウィンデルはなかなかに気に入ってる場所なので――』

(……)


 ラヴェンナは、井戸の底からやってきた珍妙な品々をリュックに詰め直してから部屋の隅に隠す。明かりを落とし、綺麗になったぬいぐるみを抱きしめながらベッドに転がった。


(今日のところは、何も見なかったことにしましょう)

(ちゃんとした調査はいつかやるわ。いつか……)


 ……その日は、当分来なさそうな気がする。

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