「アアーッ」
ラヴェンナはベッドでうつ伏せのまま、今にも死にそうな声を上げながら辛そうに枕へ突っ伏していた。
背中と足の裏には自家製の軟膏が塗られている。先日、一日中走り回った黒魔女の身体は今日に悲鳴を上げ、こんな無様な姿で伸びる羽目になったのだった。
動物相手に本気を出し、その後は荒らされたロクサーヌの畑の手入れに勤しんで屈みっぱなし。普段から運動をろくすっぽやってない齢200超えの女性が突然あんな無理を試みたら、こういう末路を辿るのもまあ当然と言うものだ。
外からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。
窓から射し込む日に当たりながら無為な時間を送るラヴェンナは眠りかけた頭でウトウトしていたが……ふと嗅ぎなれない香りを覚えて薄目を開く。するとすぐにドアがノックされた。
「どうぞ」
「失礼する」
低く落ち着いた声色の返事の後、鎧姿の女騎士が現れる。
白髪を伸ばした彼女は男性的な凜々しさを纏っていたが、その翠眼がラヴェンナの絶不調の姿を目撃した瞬間……
家の中に、何とも言えない微妙な空気が流れた。
「……大丈夫か?」
「いいわよ。名前と用件を言って」
「ストーンヘイヴン騎士団、団長のカトリーナだ。昨日、このウィンデル集落方面から爆発音をしたと報告があったのだが、話を聞かせてほしい」
「あぁ、そういうこと」
例のシカ騒ぎを思い出しながらラヴェンナは苦い顔で頭を回す。しかし、どこから話せば良いか考えているうちに脚をパタパタと無意識に動かしてしまい、たまらず筋肉痛で「ぐぉえっ!?」と声を上げながら自爆してしまう。
「ね、ねえ、カトリーナ……そこの痛み止めのオイルを、代わりに塗ってくれないかしらっ……ぁぁっ、ア、イタタ……」
◆ ◆ ◆
ベッドでうつ伏せの黒魔女は、腿の裏と背中がよく見えるようにローブを捲って無防備な姿となっていた。指示を受けた女騎士は、琥珀色のオイルが入っている瓶を手に取ると差さっていた
濡れた毛先が魔女の腿裏を湿らせると、冷感に似た心地よさでラヴェンナが声を漏らす。カトリーナは、それを聞きながら薬液を塗り広げていく。
「んんっ……はぁ、そこ……」
「こんな感じで良いのか?」
「ええ。こんなの、身体が痛い時に自分でやりたくないから。あぁぁ……」
悩ましく艶のある声が家の中に響く。
「昨日は野生生物が迷い込んできて大変だったのよ。お陰で畑やハーブ園が被害を受けて、集落の人たち全員で獣を追いかけたわ。最後は私が何とかした」
「もしかしてあの爆発は……」
「……ちょっと本気を出し過ぎただけよ。怪我人はいないから安心して」
ぬりぬり。ぬりぬり。
ひとしきりオイルを伸ばした後、ラヴェンナは心底楽そうに息を吐いた。
「ありがとう。ごめんなさいね、折角来てもらったのにこんなだらしない姿勢で」
「構わない。だが貴女は……その、普段からこういう感じなのか」
「なぁんか引っかかる言い方ねぇ。私だっていつもは頑張ってるのよ」
「いや、すまない。失礼な物言いだった。貴女に聞きたいことがあったんだ」
カトリーナは陳謝すると、喉を鳴らしてから気持ちを新たにする。
それからラヴェンナの家にある物――およそ通常のお宅にはないだろう釜、棚に並ぶハーブ入りの小瓶や水晶玉などを見渡してから質問をする。
「魔女になった人は、毎日、どんな暮らしを送っているんだ?」
「どんなって……そうねぇ。起きて、食べて、ダラダラして寝る……」
「……それだけなのか?」
「それだけって何? もしかして、私が昔、巷でブイブイ言わせていた頃の話でも聞きたいのかしら。いいわよ、いっちばん脂の乗っていた時期の武勇伝を……」
「いや、それは長くなりそうだからいい」
「なぁっ」
軽くあしらわれて悶絶するラヴェンナ。もう一度枕に顔を埋めてからいじけると、顔を突っ伏しながらブーブーと抗議する。
「だったらいいわよ、他に用事が無いなら帰ってちょうだい。今日は本当に身体が痛くて立ち上がることもままならないの」
「……そうか。わかった、失礼した」
カトリーナは案外大人しく帰ろうとしていたが、振り返った後ろ姿には、どこか寂しそうな気配が漂っていた。ラヴェンナはそれを予期したように顔を上げると、名残惜しそうな雰囲気さえ纏っていた女騎士の背中へ声をかける。
「ねえ」
「?」
「貴女、そうね……自分が魔女と気付いたのでしょう?」
帰ろうとしていた足が止まる。
返事は無かった。だが、その沈黙こそが全てだった。
「騎士団長として、一人の人間として生きていたのに突然自分に魔女の力が目覚めて、不安に思っていたところで昨日の出来事があって……周りにはそれを言い訳にしながら、私にこっそりと尋ねに来たってところじゃない?」
「……」
「別に怖がる事なんてないわよ。貴女みたいな人はこれまでに何人も見てきたし、彼女たちはそれぞれ自らの進むべき道を見つけていったわ……バケモノになるわけじゃないの。相談したいことができたら、いつでも来てもらっていいから」
カトリーナはラヴェンナからの言葉を聞くと腕組みして少しの時間考え込む。しかしすぐに柔らかい表情に変わると、ベッドで潰れたままの彼女へ振り返ってから質問をした。
「じゃあ最後に……何故私が魔女だと思った?」
「それはね」
かつて「幻想の大魔女」として皆に崇められた、人生の大先輩はすんすんと鼻を動かしてみせる。
「匂いよ。魔女という生き物はね、とってもいい匂いがするものなの」
「そうか……部屋に漂っていた薔薇の香りは、そういうことか」
「ええ。もしかして、好きじゃなかった?」
「いいや。悪くない……」
問答に満足したのか、カトリーナは口元に笑みを浮かべながら去っていった。
彼女の居なくなった家に、仄かにシトラスの香りが残っている。
「……うん。とっても、素敵な香りね」