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第4話「シカだーーーー!」

 よく眠れた日の朝、ラヴェンナはご機嫌な気持ちでベッドから身を起こした。

 着替えを済ませ、早速外で光を浴びようと家を出た瞬間……視界にひどくむしり散らされた草花の姿が飛び込んでくる。植物にさほど関心のない彼女でも目の前の景色がいつもと違うことはすぐに分かった。


(何があったの?)

(誰かが手入れをした? でも、人の手が入った痕跡には見えない……)

(……まさか!)


 ぞっと背筋が震えたまま家の裏に回れば、後で使えるように育てていたハーブ類も同じ末路を辿っていた。直近で使う予定が無かったのが不幸中の幸いだったが、突然襲いかかってきた不穏を受けてラヴェンナは眉をひそめる。

 すぐに思い浮かんだのは、あのウシが食い散らかしていったという予測だった。しかしにわかに信じがたい。いくらヤツでもここまでやるだろうか……?


(そうだ)

(私の庭がこんな状況なら、彼女の畑は――)


 急いで隣の家に向かえば、そこではロクサーヌがベッドでうつ伏せに倒れたままピクリとも動いていない。着替えすらもしていなかった。普段なら、この時間にはもう既にシャキっとして朝ご飯の支度も済ませているはずなのに。


「ちょっと、大丈夫?」

「あぁぁぁあぁぁぁぁあぁぁぁ」

「事情は分かったけど起きなさい! ほら、まずは着替えて」

「わたしのっ、わたしの野菜がっ、あぁぁぁぁぁ」

「ロクサーヌ!」


 頭から怒鳴りつけられて初めて、失意の白魔女はゆっくりと顔を上げた。

 いつもの凜とした表情が嘘のように崩れ、目には大きな涙の粒が浮いている。


「朝ご飯は私が用意するからまずは食べましょう。こっちのハーブだってやられているの。集落の皆から話を聞けば犯人が分かるかもしれないわ……」

「うっ……うっ……」


 ラヴェンナはロクサーヌの身体を起こし、優しく抱きしめてローブの胸元で涙を拭う。そして彼女の額に口づけをしてから、朝食を作るために帰っていった。



◆ ◆ ◆



 ガーデンテーブルの上にはやや雑に切って焼かれたベーコンとパン、そして牛乳の注がれたグラスが置かれていた。普段通りの装いとなったロクサーヌはなんとか腹に物を入れようと頑張っているが、どうしても一口が小さくなっている。


 ラヴェンナは、どこか寂しい朝食を咀嚼しながら畑のことを思い返していた。

 先程確認してみたところ、葉物野菜は半壊状態。育てていた量が多かったためか全て荒らされた訳では無いが、普通のやり方では回復まで長い時間が掛かる。それにここまで可愛がってきた植物が不本意な形で失われてしまうのは、例え元に戻るとしても辛い気持ちになってしまうだろう。


「大丈夫よ、元に戻す手伝いはするから」

「ありがとうございます。……でも、一体どうしてこんなことに?」

「分からないのよね。最初はウシかと思ったけど、奴は他の家でも餌付けされてるからそこまでは食べないはずだし……」

「またこんなことがあったら」

「そうならない為に考えるんでしょ。ほら、食わないと頭は回らないわ。夜ご飯は何か良い物にしましょ? 街で魚でも買って……」


 いつになく静かで薄気味悪い朝だ。

 二人の魔女が食事を済ませ、重い腰を上げようとした瞬間……


「……うん?」

「ラヴェンナ様、あれ」


 どこかから草の揺れる音が聞こえてきた。ロクサーヌが何か見つけて指を差し、ラヴェンナも目で追ってみる。

 するとそこでは。

 四つ足の細身の生き物が、角の生えた頭を下げながら、ラヴェンナ宅の脇に伸びていたハーブをむしっていた。“それ”は魔女たちの視線に気が付くと振り向き、何ともムカつく表情を見せつけながらムッシャムッシャと咀嚼し始めた。


「ぁ……」


 あまりに堂々とした様子だったから、彼女たちは最初唖然とするばかり。

 しかし我に返った二人は、ほぼ同時のタイミングで犯人の名前を叫んでいた。



「「 シ カ だ ー ー ー ー ! 」」



 ウィンデル集落中に響くような叫びを聞いたシカは「ヘッ」と笑うと、そのままお尻を向けてぴょんと軽くジャンプ。逃げるつもりだ!

 ラヴェンナとロクサーヌはガーデンチェアを倒しながら立ち上がり、普段からは考えられないような反応速度で獲物の方角へ走り出す!


「ラヴェンナ様! 間違いありません、奴です! ぶ っ 殺 し ま し ょ う !」

「ええ! 今日のディナーはシカの気分よ!」


 家の裏へ回り込んだ動物を、ラヴェンナとロクサーヌはそれぞれ二手に分かれて追いかける。だが挟み撃ちが決まる前に野生の勘が働いたのだろう、シカは家々の垣根を足場に、屋根を伝いながら集落の道へ出て行く。

 ラヴェンナは走って追いかけようとしたが……足の速度は徐々に遅く、ゆっくりになり、やがて、両膝に手を置きながらゼエゼエと息を切らしてしまう。


「くそっ……この私を、走らせるんじゃ、ないっ……! 何歳だと思ってるの!」


 後ろへ手を伸ばせば立てかけてあった箒がピクリと反応し、そのまま宙を飛んで魔女の手中に収まる。得意の乗り物へ跨った黒魔女は地面を蹴って、シカの逃げていった方角を見下ろすように斜め上へ飛び上がった!

 なんということだろう、他の住人の畑もまあまあやられている。無残な犯行現場をその張本人が優雅にお散歩しており、ラヴェンナの姿を見上げた住人たちがヤツの駆けていった方向を指で差していた。


「魔女様ぁー! あの害獣を殺ってくだされぇー!」

「勿論よ! 集落の広場に誘い込んで!」

「確かに承りましたぞ!」


 もう、話の規模は二人だけでは収まらないようだ。

 シカはぴょんぴょん跳ね回りながら集落の中をジグザグに駆けており、小回りを利かせた箒さばきの苦手なラヴェンナにとってはいやらしいことこの上ない。


「くそっ……だけど、これでどうかしら!」


 ターゲットの行く先にあった大木へ手をかざし、その太い枝を手足の如く操って大振りなパンチを繰り出させた。当たりこそしなかったが、黒魔女の狙い通りの方へ進行方向を逸らすことには成功。

 道の両脇ではウィンデル集落で暮らす老若男女が「武器」を持って集まり包囲網を築き始めていた。シカは捕まるまいと強く地面を蹴って、前方――集落の開けた場所へ向かって駆け出していく。


 が、しかし。

 四つ足は何かに気付くと、足の裏で土煙を上げながら急ブレーキをかける。


「ふふ、皆様、ご協力ありがとうございました」


 その先に立っていたのは、全身から殺気を漲らせていた白魔女。

 赤い瞳は血の色と化し、彼女の大切な物を奪った存在を視線で刺していた――


「情けは無用――すぐに終わらせてあげます!」

「!」


 ただならぬ気配を感じ取ったシカは逃げようとするが、ロクサーヌが指をほんの少し動かした瞬間、獣の細い足は地面ごと氷漬けにされた!

 肌をひりつかせる程の冷気は獲物を足元から包んでいき、集落の真ん中に氷像を完成させる。その真上からは、箒に乗ったラヴェンナが、手のひらに巨大な火球を作って奴を見下ろしている!


「くたばりなさい! この、畜生めぇぇぇぇ!!!」


 目を見開きながら繰り出された一撃。

 幻想の大魔女が放った魔法は、明らかな過剰火力で大爆発を起こした――




 ……爆発の音は、やや離れた都市「ストーンヘイヴン」にも届いていた。


 ストーンヘイヴン騎士団、訓練所。

 営内で木製の人形相手に剣を振っていた騎士が動きを止め、ウィンデル集落方面からの爆発音に首を捻る。近くで監督に当たっていた女騎士も――白髪を輝かせる凜とした態度の騎士団長も、音の方を向いて疑問の声を上げていた。


「うん……?」



◆ ◆ ◆



 丁度の昼を迎えたウィンデルではシカ肉パーティーが行われていた。

 テーブルの上では、伸びたシカが住民たちの熟練の手技で綺麗に捌かれて食肉と化し、魔女たちを含めた食害の被害者を主に配られる。試しに少し切ったものをステーキにしたらこれが美味で、二人は普段より豪華な昼食を楽しめていた。


「あまりシカのお肉は食べないけれど、これはこれでとっても美味しいのね」

「少々複雑な気持ちですが……まあ、野菜が肉になったと考えましょうか」

「この後は畑の復帰を手伝うわ。まだ暑くなる前だから、新しく植え直しましょ」


 持って行かれたものは多かったが、代わりに得るものもあった。

 珍しい鹿肉のステーキの美味しさで二人が溜飲を下げていると、呑気な雰囲気が戻ってきたのか黒猫や牛も姿を見せて思い思いにのんびりし始める。ラヴェンナとロクサーヌが久しぶりに落ち着いた時間を過ごしていると、横から現れたイノシシが突然、家の脇で育てていたハーブをモシャモシャと食べ始める……

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