ウィンデル集落の畑の手伝いをしている内に日は高く昇り、その頃には農作業も一段落となっていた。今日の目的は達成したようで、ロクサーヌはアイスクリームを作って庭先で――普段ラヴェンナと一緒に朝食を食べている、二人の土地の境で振舞っていた。冷たいデザートを前に、そこに居る皆が目を輝かせている。
あの放し飼いにされているウシの乳を搾り、味と香りを調えたところへ氷魔法を放って作り上げた至高の甘味だ。「氷撃の魔女」の異名は伊達ではない。
「わっ、これ、美味しいです……」
「ありがとうございます。気に入っていただけたのなら今後もお出ししますよ」
「……! うんっ!」
「うふふ、良かったですね、アレン君」
(ロクサーヌったら、もう子供の懐柔に成功してる……)
ラヴェンナは、アイスクリームカップを摘まむように持ちながらティースプーンをカツカツ動かして甘い白み汁までいただきながら一人そんなことを思っていた。
すると、ストーンヘイヴンの方向から一台の荷馬車がガラガラと音を立てながら集落へやってくる。
御者台に腰掛けていたのは、煌びやかな金髪を腰まで長く伸ばした碧眼の女商人だった。“レディ”の言葉が似合う恵体に花柄のドレスを纏わせた姿は貴族の婦人を彷彿とさせる一方、麗しい空気感の中には、どこか常人離れした余裕も窺える。
「ラヴェンナ、ロクサーヌ! 今日も来たわよ~。まあっ、今回は可愛いお客さんもいらっしゃるのね? ほら、良い物を沢山持ってきたから見ていきなさ~い」
呑気に間延びした声で喋りかけられた魔女二人は空になったカップをテーブルに置いて席を立った。しかし、修道女のアイリスは彼女に気が付くと途端に緊張した様子で肩を強ばらせてしまう。
アレンは場の雰囲気を理解していないようだが、無理もない。
このウィンデル集落へわざわざ訪問販売に来た女商人、只者ではないのだ……
「ねえ、前に頼んだベーコンのブロックはある?」
「うーん、まずは塩と胡椒を貰いましょうか……」
「二人とも待っててね、いま出してあげるから――それっ!」
彼女は乗ってきた荷馬車を固定するとその壁面についていた鍵を外し、ぐるりと回して大きく展開。すると内側に収められていた商品の数々がお披露目となって、途端に場の空気が賑やかなものに変わった。
棚に並ぶのは日用品から珍しい舶来品まで様々だ。色とりどりの調味料は小瓶に入ってベルトで留められ、パンやチーズ、ワインといった品が揃う。どれも確かな目利きによって集められた一級品揃いだ。
「ふふ、そこで座ってらっしゃるお二人もいらっしゃって。たしかアイリスちゃんとアレン君だったかしら? いっぱいあるから心配しなくていいわよ~」
にこやかな表情で香水の香りを振り撒く麗人の名前は「セレスティア」。
世界に名を轟かせる「セレスティア商工会」の創始者、並びにその会長である。
◆ ◆ ◆
ウィンデル集落で定期的に行われる訪問販売は、この片田舎で余生を送る魔女にとって数少ない楽しみの一つになっている。いつ頃から続いているのかは本人たちのみぞ知ることだったが、彼女たちが買い物を終えた後は、同じ集落内の住人らも珍しい商品を楽しめるのだ。
足りなくなっていた物を買い足したラヴェンナは、今回の訪問でセレスティアが選んできた娯楽物をチェックする。すると、カードでも入れているような薄い箱が何種類かあった。どれも金色の装飾が施され、高級感溢れる仕上がりだ。
表にはこのように書かれている。
バロットウィズ――裏面の解説曰く、対人で行うテーブルゲームのようだ。
「これは?」
「最近売り始めたカードゲームです。プレイヤーは魔法使いとなって、モンスターと魔法を操りながら相手のライフをゼロにすることを目指す……カードイラストはどれも綺麗で、実は大人の方にも好評なんですよ~」
「ふーん」
ラヴェンナはふと“子供”の反応が気になってアレンの方へ視線を向けてみた。
……彼は、年相応に目をキラキラと輝かせながら前のめりになっていた。
「それでどう、ラヴェンナ? 貴女が興味あるなら一戦付き合ってあげるけど」
「いいわよそんな、子供じゃあるまいし」
「あらあら、大魔女様とあろうお方が、この私から勝負で逃げるのですか?」
「は?」
鋭い視線が飛ぶ――しかしセレスティアは全く動じることなくニコニコと微笑み続けていた。とんでもない胆力だ!
「ウフフ……」
「……いいわよ、そこまで言うなら相手してあげる。ただし容赦はしないわ!」
「はいはーい。では、一箱につき銀貨一枚になりま~す」
「あぁ、またラヴェンナ様が乗せられてます……」
「流石は商工会のトップ……」
「待ってなさい、最強の山札を作ってすぐに戻ってくるわ! ……アレン!」
「は、はいっ!」
ラヴェンナは大人げなさを丸出しにしながらセレスティアの持ってきた「商品」を全種類買うと、それを両手に持って自分の家へ戻っていった。その後ろをアレンが付いていく。
豪胆な女商人が口元に手を当てて笑っている間、ロクサーヌとアイリスの二人は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
◆ ◆ ◆
※ここからは、ラヴェンナたちによる頭の中のイメージも交えてお届けします。
◆ ◆ ◆
「戻ってきたわよ、セレスティア!」
「では約束通り、その勝負を受けましょう。ラヴェンナ!」
二人の魔法使いが相対するは、約束された“決戦のバトルフィールド”。
彼女たちはデッキからカードの刃を抜き、宿命の相手と雌雄を決するのだ!
「うふふふ、先攻は貰いますわよ、ドロー!」
「クソっ、言ったもん勝ちじゃないの!」
「私は手札から、“光の勇者 セイヴァー”を召喚! そのまま、場にカードを一枚伏せてターンエンドします」
セレスティアの前に現れたのは鎧を纏った初々しい少年。
腰の剣を抜き、煌びやかな切っ先をラヴェンナの方へ向ける!
「私のターン、ドロー! ……フン、良いわ。私は手札からモンスターを裏側表示で召喚! そして、場にカードを一枚伏せて、ターンを終了する」
ラヴェンナの前に現れたのは、どこか怪しい雰囲気の漂う古い宝箱。
その頃……勝負の様子を見ていたアイリスが首をかしげていた。
『……? これはどういうことですか? 魔女様が押されてるのでしょうか』
『ううん、まだまだ分かんないよ……』
『アレン様、もしかしてこのゲームをよくご存じで?』
『あ、えっと、小さい子たちが相手しろって言うから、仕方なく……』
「ふふ、守っていては勝てませんよ、ラヴェンナ! 私のターン、ドロー!」
セレスティアは引いたカードを見て、満足そうに笑う……
「ではこれならどうでしょうか! 私は手札から“伝説の聖剣”を勇者セイヴァーへ装備! さあ、これで大幅なパワーアップです。このままバトル! 行きなさい、光の勇者!」
主の意志に従って攻撃がかけられようとした瞬間――古い宝箱が僅かに開いたと思えば、中から瘴気と共に牙が現れる。仕掛けていたのはミミックだ! しかし、伝説の聖剣を手にした勇者はそれを苦も無く切り伏せる。
ラヴェンナの前からモンスターの姿が消えた。だが、箱から放たれていた瘴気は止まる気配がない。そのままフィールド全体を覆い隠し、光を遮ってしまう!
「フフフ……フハハハハ!」
『ああっ、もしかして、ラヴェンナさんがさっきセットしたカードは……!』
「若き勇者よ、礼を言わなくてはならないな……貴様が壊した箱には、この世界を飲み込む夜そのものが封印されていたのだ!」
暗がりの中、ラヴェンナのフィールドで先程セットされていたカード“棺”の姿がぼんやりと浮かび上がった。場が漆黒に覆われた後、それを閉ざしていた重い蓋が内側から強く叩かれれば、潜んでいたモンスターの力で持ち上げられる。
眠っていたのは、口元に牙、背中に翼を生やした女――美しいヴァンパイア。
夜を支配する高潔な一族、その
「時は満ちた。フィールドが闇に包まれた時、棺から吸血鬼の女王が降臨する! 出でよ、“ヴァンパイア・クイーン”!」
『ラヴェンナ様、現役時代に戻ったようですね……』
『えっ、昔あんな感じだったんですか?』
『やっぱりだ! あの女王はとても強力なモンスター! 聖剣を装備した勇者でも簡単に勝てる相手じゃない!』
「考えましたね……いいでしょう、私はターンエンドです」
「ふん、もう貴様には何もできまい! 私のターン、ドロー! 私は手札から、闇の眷属たる娘の像“ガーゴイル”を召喚! このまま、バトル!」
不気味な色の月の下、ラヴェンナの前に美しいヴァンパイアとガーゴイルの女性が並ぶ。彼女たちの殺気に満ちた視線が“ただ一人”へ向けられる!
「ヴァンパイア・クイーン! あの勇者に向かって攻撃!」
「フフ……」
セレスティアの口の端が、ニヤリと上がった。
「ラヴェンナ……いま、
「っ!?」
二匹のモンスターに襲われようとした瞬間――伝説の聖剣が突如、黄金色の光を帯び始める! まるで、雲の切れ間から差した日のような煌めきだ-
「貴女が攻撃を宣言した時、私は、場に伏せていたこのカードを使えるようになりました。発動、“聖剣のバリア -ライトニング・フォース-”!」
「そ、そのカードは一体……!」
「聖剣は勇者の危機に応えて力を与えます! 闇は切り裂かれて、夜の住人であるモンスターたちは消え去るのです! さあ……!」
「なあっ!」
剣から放たれた光は漆黒のフィールドを貫き、空から太陽の恵みをもたらした。
ヴァンパイアとガーゴイルは消滅。ラヴェンナの場がガラ空きになる!
「わ、私のモンスターたちがぁ……!」
◆ ◆ ◆
バロットウィズ初戦、勝負はセレスティアの勝利で終わった。
敗者となったラヴェンナは不服そうにガーデンテーブルに顔を突っ伏しながら、人差し指で天板を叩きつつ対戦相手にぶーぶー文句を垂れている。
「ちょっと、あのカードって何? 買った物は一通り確認したけどなかったわよ」
「お、おれも、見たことなかった……!」
「ふふっ、ラヴェンナが相手してくれるって言うから、嬉しくなって次の弾で出る予定のカードを使っちゃったわ~」
「はぁっ!? それってつまり、ズルしたんじゃない!」
「新弾出たら買ってね、アレン君っ。チュッ♡」
「販促しないの! 子供相手にみっともない!」
ラヴェンナがカードゲームに没頭している内に、空の端は赤みがかっていた。
すっかり大喜びのアレンはアイリスに期待の眼差しを向けて困らせている。
「アイリスさん、次のが出たら買って! みんなで遊ぶから!」
「うーん、じゃあ、修道院のお手伝いを頑張ったら……」
「やった、約束だからね!」
「……」
ロクサーヌは未だ怒り心頭のラヴェンナを遠く眺めた後に目を閉じた。
……今日の夕食は、普段よりちょっと良いものになるのかもしれない。